第5話:姉 -eavesdropping-
不覚…思わず彼にときめいてしまった…。
いや、あれは気の迷いよ!絶対にそう!
今日は日曜日。バイトにほぼフルタイムで入ることになっている。
「やー
あたしが決めたバイト先では、一週間経たずにお店の噂が広がっていった。
「ここでしょ?すっごいイケメンがいるってファミレスって!?」
「間違いないわ!見れば絶対気に入るよ!」
そんな黄色い声が、窓の外からも聞こえてくる。
♫♫♫
ドアのセンサーが反応して店内のチャイムを鳴らす。
「いらっしゃいませ。二名様ですか?」
「は、はい!」
「ほらね。すごいでしょ?」
「噂以上!」
「こちらへどうぞ」
色めき立つ女子二人組の反応を見事にスルーして、笑顔のまま淡々と仕事をする月都美くん。
続いて男三人がやってきた。
月都美くんは手がふさがっているから、あたしが出ていく。
「いらっしゃいませ。三名様ですか?」
返事をする代わりにこくりと頷いた。
「ではこちらへどうぞ」
あたしも彼に続いて席へ案内を始める。
「ねえ君、かわいいね。連絡先教えてくんない?」
「ご注文がお決まりになりましたら、そのボタンを押してください」
「注文いいかな?」
メニューを見る前からすでにオーダー内容が決まったらしい。
「どうぞ」
あたしはオーダーの端末を開いて注文内容を待つ。
「君」
「お手元にあるこちらのグランドメニューからお選びください。決まりましたらそちらのボタンを押していただければうかがいます。ごゆっくりどうぞ」
笑顔のまま、けんもほろろに言い残して、お辞儀の後にフロアへ戻る。
変にはぐらかしたり濁して応じると調子に乗るから、取り付く島もなく対応するのが一番。
「
「無駄口はいいから仕事しなさい」
こっちはこっちで鬱陶しいことこの上ない。
「へいへい」
なんでだろう…
もうかなり素のあたしを見せているけど、彼は引くことがなければ、塩対応な態度に怯む様子もない。
それに月都美くんも飾ろうとする様子がない。
最初こそ丁寧な物腰…というか
それにしても、<完璧超人>と呼ばれるワケがわかる気がする。
何をやらせてもすぐに飲み込んで自分のモノにしている。
あたしはまだキャッシャー(レジ台)を任せてくれないけど、月都美くんは今日から先輩が後ろに付きながらだけどキャッシャーも兼任することになった。
天才肌ってのはいるものなんだね。
10時開店で11時から30分交代で早昼に入る。
社員やパートの方々は14時から交代で遅昼らしい。
まだ昼前だから、客足はまばら。
中にはカフェ利用するお客さんもいるけど、それはあくまでもオマケ程度の需要であり、メインはやはりランチとディナー。
左手のひら側に着けている腕時計を見ると、もうすぐ11時になる。
「お先に9番行きます」
月都美くんが声をかけてきた。
「いってらっしゃい」
9番とはこのお店で使っている隠語であり、休憩とかけて9番にしている。
早昼休憩に入った月都美くんと入れ替わるように女性客がドアの前に立っていた。
「いらっしゃいませ。二名様ですか?」
「は、はい。そうです」
何か物足りなさそうな、拍子抜けしたような様子の二人だったから、多分月都美くん目当てで来たのだろう。
「こちらへどうぞ」
二人の女性客を席に案内して、二人は座った。
「あの、フロアスタッフはあなたとあそこの二人で全員ですか?」
「いえ違います。もう一人だけ入っていますが、現在裏で作業をしています。30分ほどでフロアに戻る予定です」
やはり月都美くん目当てだったらしい。
煮え切らない感じで濁すのは不快にさせるからハッキリ伝えるとしても、休憩に入っている、とバカ正直に言う必要もない。
出勤してるけど今は姿を現さないことが伝われば十分。
「それではお手元のメニューをご覧いただき、お決まりになりましたらそちらのボタンでお呼び出しくださいませ。ごゆっくりどうぞ」
接客マニュアルどおりにいつもの案内を終えたあたしは、早くも足に違和感を覚え始めていた。
「9番戻りました」
月都美くんがフロアに戻ってきたから、今度はあたしの番。
「おかえりなさい。9番入ります」
「いってらっしゃい」
あたしは11時半から12時の30分で早昼に入る。
バックヤードの休憩室には湯気の立つドリアが置かれていた。
あまり多いと少し気だるさが出てくるので、これくらいがちょうどいい。
実際入ってみてわかったけど、飲食業だからって必ずしも調理しているわけではないのは意外だった。
少なくともここは工場で生産されたものを冷凍輸送されて、必要に応じて開封、加熱、盛り付けをマニュアルどおりにしているだけらしい。
このドリアも盛り付ける器の形になっている冷凍品を開封して器に入れて自動制御のオーブンで焼き上げる工程を経て提供される。
そういう意味では、今時の建築士と同じようなあり方みたい。
昔の建築士はノミやノコギリ、カンナなどを使って手作業で勘と経験を頼りに住宅を組み上げていくけれども、今はハンマーと電動ドリルがあれば済んでしまう。
工場で作られた骨組みと壁を、ネジ止め部分の記号どおりに組み立てるプラモデルみたいな構造と聞いている。
それを知ると何か味気ない気がするけど、必要なのは組み立てる職人芸ではなく、組み上がった建物そのものなのだから、それで建物のコストが下がれば言うことはないと思う。
短いお昼休みを終えてフロアに戻る。
すでに満席状態で、あたしが戻ってすぐに料理のテーブル運び指示が下った。
ここからは慌ただしい時間が始まる。
午後二時。お昼時のピークがやっと過ぎた。
嵐のような忙しさが収まってきて、ホッと一息つく。
この後は午後5時くらいまでカフェ利用が多くて、キッチンもあまりバタつかないと店長から話を聞いている。
「痛たた…」
足の
卸したての靴で来てしまったから、すっかり靴ずれしてしまった。
休憩室に入っているのはあたし一人だけ。
幸い月都美くんはまだ休憩に入っていない。
こんなところ見られたらきっとからかいや皮肉の一つも言われて、苛立ちを募らせてしまう。
常備している絆創膏で靴ずれした部分に貼って、剥がれないことを確認した。
「蝶名林さん」
呼んだのは店長。
「はい」
「休憩中はドリンクバーを使っていいですよ」
「わかりました。使わせてもらいます」
「痛た…」
絆創膏で覆っているとはいえ、歩くと靴ずれが響く。
いつもよりゆっくり歩いて痛みを和らげる努力をする。
とはいえディナータイムを過ぎるくらいまでシフトが入ってるから、ディナータイムが少々心配ではある。
アルバイトは夜のピークが来る前に10分だけ交代で休憩に入る。
その休憩でもう一度靴ずれの確認をしておかなきゃ。
歩く速度を遅くして、何とかティータイムもやり過ごした。
「蝶名林さん、バックヤードをお願いします」
「わかりました。行ってきます」
このバックヤードも隠語で、夜のピーク前休憩に入ることを指す。
休憩室に入ってすぐ、靴ずれの状態を確認したら、絆創膏が剥がれかかっていた。
これじゃダメだ。二枚使ってクロスさせておこう。
手持ちの絆創膏を使い切って、靴ずれ部分を厳重に保護した。
「どうか帰るまでに剥がれませんように…」
願いを込めて靴を履き直す。
そしてディナータイムのピークが来た。
「蝶名林さん、3番テーブルへ!」
「了解です!」
「蝶名林さん、8番に運んで!」
「今行きます!」
目まぐるしく出される指示を聞きつつ、できるだけ靴ずれをかばうように歩き方を工夫してやり過ごそうとしたけど、これがなかなか難しい。
「何やってるんだあいつ?」
月都美は動きにキレがない蝶名林を見て不思議に思っていた。
「月都美くん、10番テーブル!」
「了解!」
進路の安全を確認して、チラチラと蝶名林に目線を送る。
「足をかばっているのか。とはいえ今の状態で抜けられるのはキツイな」
何をしているのか気づいたものの、混雑具合からして手が足りてないから、助け舟を出すこともままならない。
足をかばっている理由はわからないが、キレのなさはそれで説明がつく。
「ピークが過ぎるまであと30分くらいか。けど悔しいが今は何もできない…」
時間を追うごとに動きのキレが鈍っているのを見逃さなかった。
「お先に失礼します」
タイムカードを押した後で、お疲れ様の気持ちを込めて軽く賄い料理を振る舞われた。
軽くと言っても普通に量はあったからかなりお腹は膨れている。もう晩御飯はいらないくらい。
ファミレスのドアから出ると、あたりはすっかり闇に覆われていた。
「それじゃ、行こうか」
「…結局休みでもあたしと同じ時間に上がるんだ?」
賄い料理をいただいた時も向かいに据わっていた月都美くん。
これじゃまるで恋人同士みたいじゃないの、と思ってしまう。
「店長の気遣いってことらしい。俺は拒否する理由なんてない」
「拒否しなさいよ。実は迷惑に思ってるんでしょ」
少し歩き出した時、一歩だけ先にいる月都美くんが足を止める。
「何よ?」
「ちょっと失礼」
「えっ!?」
突然月都美くんが後ろに回り、膝カックンをさせられたと思った瞬間、倒れかかった背中を支えられる。
膝裏と背中に温もりがある棒のような感触にあたしは戸惑う。
まるで膝を曲げて湯船に浸かる時のような格好にさせられて、月都美くんの顔が目の前に広がる。
横抱き…通称お姫様抱っこされていると気づくまで2~3秒かかった。
「ちょっと!何するのよ!」
「足、痛いんだろ?任せろ」
「下ろして!あんたにこれ以上借りなんて作りたくない!」
「足のことは否定しなかったか。そういえばたいやき屋の貸しがあったな。その貸し、今返してもらおうか。このまま黙って運ばれてろ。君が痛そうに歩いているのは俺が見ていたくないんだ」
「ぐっ…!」
悔しい!言い返せない!貸しを盾に、自分の都合を押し付けてきた!あたしのことを思ってという理由だったらいくらでも言い返せるのに、自分の都合とすり替えることでそれを封じてくるなんて!
言い返せない悔しさと同時に、キューンと胸が絞り上げられるような感覚に陥ってしまった。
「わかったわよ!でもこれでまた借りイチに戻りか…」
「そんなの気にするな」
「借りっぱなしなんてあたしがイヤなの!」
「マジメか。それより俺の首に腕を回してくれないか?それだけで腕の負担がかなり違うから」
「だったらおんぶでいいわよ」
あたしは顔が少し赤くなってしまっているのを自覚していたから、顔を隠せればと思ってのことだった。
幸い周りは暗いから、顔の色を見抜かれる心配は薄い。
「早く」
余裕の顔をこちらに向けて促してくる。
顔、これでも近いんだってば!これ以上近づけと!?
「これでいいの…?」
あたしは仕方なく体を半分起こして抱きつくような姿勢になる。
「おー、そうそう。ずいぶん腕の負担が減ったよ」
こんなの、違う!絶対に違う!
密着している部分から胸の高鳴りが気づかれてしまわないか心配になってしまう。
あたしにできることは、頭を起こして少しでも下向きにすることで赤くなった顔を隠すことくらいだった。
「ただいま」
ずっと顔が近いまま、吐息すら聞こえる至近距離で運ばれて、家に送ってもらった。
「
いつものとおり、姉が迎えてくれる。
その部屋着は薄いピンクのワンピースでとても可愛い。
手提げバッグを部屋に置くため、二階へ上がって部屋に入る。
ポイッとベッドにバッグを放り投げて、ベッド前に膝を突く。
「絶対に違う!そんなわけない!」
上体をベッドに預け、枕に顔を埋めて思いの丈を目一杯吐き出す。
幸い今日はロングスカートを着ていったから、スカートが垂れて中が見える心配はなかったけど、不覚がすぎる!
「あいつにまたときめいてしまうなんて…絶対にありえない!そう、これは気の迷いよ!」
顔を埋めたままボフンボフンと掛け布団を叩くと、埃がキラキラ舞い上がる。
部屋に漂う埃は舞い落ちるでもなく、わずかな気流に乗ってフヨフヨとゆっくり部屋を縦横無尽に行き交っていた。
「こんなの、一晩寝れば忘れる!」
自室へ向かうために部屋を通りかかった
「ふーん。彩、やっと好きな人ができたんだ…いずれ家に連れてきてくれるかしら」
ぼそっとこぼして、静かに自室へ姿を消した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます