第3話:否 -Truth-

「ただいま」

「お帰り、あや…って、ずいぶん不機嫌だけど、どうしたの?」

 何故かあたしに絡んでくる月都美つづみりょうくんが何の脈絡もなく誘ってきた一緒に下校のお誘いはもちろん無視して足早に返ってきた。

「別に。部活に迷惑な人が入ってきたからいらついてるだけ」

「迷惑してるなら顧問の先生や部長に相談したら?」

 大学の講義が終わって帰宅済みの姉、ゆうが提案してくるけど、彼の入部はあたしが押し通したようなものだから、今更無かったことにするような無責任はできない。

「少しの間だけ耐えれば勝手に出ていくはずだから、やり過ごすわ」

 これまでの傾向からして、一週間から二週間程度で部がグチャグチャになって退部してるそうだから、それまで我慢すればいい。

 それにしても、入部届けは差し戻すべきだった、と今になって後悔している。

「そうなの?迷惑な人って誰?」

「聞いても知らないと思うけど、月都美陵って人よ」

「月都美…陵…何か聞いたことがあるような気がするわね」

「学内じゃ完璧超人ってことで名が通ってるから、もしかすると人づてに大学まで名が伝わってるのかもしれないわ」

 実際に高校入学後、一ヶ月ちょっとの間で熱心にデッサンをやってるあたしよりも彼のデッサンは手際が良くて完成度も高かった。

「そうじゃなくて、もっとずっと前から知ってるような気がするのよ」

 あたしと姉は三年ほど前の春に一家でお出かけした時の交通事故で、それまでの記憶を失っている。

 さらにその当時住んでいた家は引き払っていて、元の実家から少し距離がある今の祖父母に引き取られたことで転校もしている。

 ちょうど姉は高校入学前、あたしは中学入学前だったから、住むところと学ぶところの両方がまるごと変わり、不幸中の幸いというか、気持ちと環境がガラリと切り替わった。

「そうじゃないの。知ってるのに思い出せない。何故かそんな感じがするの」

「だったらお姉ちゃんが高校の頃に中学の噂でも聞いたんじゃない?」

「そういう感じでもないの。それだったら覚えてるはずだし」

「まあ、考えても仕方ないんじゃない?」

 二人して記憶を無くした姉妹だけど、記憶を無くしたことであたしたち姉妹は全く逆の考えを持つようになった。とはいえ、記憶を無くす前にどんな考えだったかは覚えていない。

 あたしは過去の記憶に囚われない。

 姉は過去の記憶を大切にする。

 そんな姉は、忘れそうなことをすぐメモして思い出せるようにしている。

 だから思い出せないということは、記憶を無くした三年ちょっとより過去のことくらいということになる。

「…そうね、何かモヤモヤして気持ち悪いけど」


 部屋に戻ったあたしは、何か引っかかるような気がして中学の卒業アルバムをパラパラめくる。

 けれども、どのページをめくっても月都美陵の名前は出てこない。

 ということは少なくとも同じ中学ではない。

「何だろう…この引っかかる感じは?」

 なぜか知ってるのに思い出せない場合、あたしにとっては小学生かそれ以下。姉にとっては中学生かそれ以下の時に見知ったことなのは間違いない。

 あたしは過去の記憶に囚われない、と言っても覚えたことをさっさと忘れるのではなく、少し思い出そうとして思い出せないならスパッと割り切って諦めることにしているだけ。だから小学校のアルバムはあるけどめくらない。そもそも覚えてないことだから見ても仕方がない。

 決して覚える気が無いとか、記憶力が劣っているわけではない。

 思い出せないなら、思い出すのは諦めて頭を切り替えた。

「あーあ、何であんな人を一瞬でもいいって思っちゃったんだろ…」

 あたしが困った様子を察したのか、そしてそれが何を困っているのか一瞬で見極めてスムーズに助けてくれた。

 あれでいつも女子が取り囲んでいるのでなければ、間違いなく自分から近づいていたはず。見た目がとても素敵だし、さりげない優しさに心が惹かれたのは確かだけど、女の子が囲んできているのを良しとしているその有りようがあたしには無理。

 逆に彼があたしに構ってくるのがさらに苛立ちを加速させている。

 さっさと自主退部に追い込まれて、関わりが薄くなることを祈るばかりだわ。

 それとは別に、助けてくれたお礼もさっさと済ませたい。それで金輪際すっぱり縁を切れる。


「月都美陵…やっぱり引っかかるわね…」

 夕は自分の部屋でこれまで書いてきたメモを隅々までめくっていた。

 もちろん卒業アルバムを見ても手がかりらしきものすら出てくることはない。

 3年以上前の記憶がない夕には、記憶をたどる手がかりは書き残しているメモと写真くらい。それを見ても思い出せるわけではない。

 実際、卒業アルバムを見ても思い出せるのは高校まで。小~中学の卒業アルバムを見ても誰一人として分からない。感じるのは「どうしてこの中学にいたのか。級友のはずなのに知ってる人が誰もいない」という違和感だけ。

「何かしら。このざわつくような胸騒ぎは」

 思い出さなきゃならないのに思い出せない焦燥感を抱えつつ、次第に眠気が勝ってきた夕は寝床に就いた。


「おはよう、彩」

 台所で料理しているところに、姉がやってきた。

「お姉ちゃんおはよう」

 祖父母に引き取られたとはいえ、あたしたちが居候いそうろうなのは間違いない。

 だからできる限り家事は姉妹二人で分担しているけど、訳あって姉に料理はさせない。

「ところで彩、本気であれやるの?」

「うん。本来は祖父母にお世話される立場じゃないもの」

 少しでも祖父母の負担を軽くするため、アルバイトを始めようとタウン求人誌のフリーペーパーを貰ってきた。

「中学は禁止だったけど、高校ならバイト解禁だもの。学費全部、とはいかないけど、せめて自分の小遣いくらいは自分で何とかするわ」

「部活はどうするの?」

「五時で完全下校だから、それ以後ならできるわ」

「勉強もあるんだし、あまり根を詰めすぎないようにね」

「もちろんよ。平日は一時間か二時間でも入れば両立はできると思う」


「彩、お行儀が悪いわよ」

「あまり長く引っ張りたくないから、時間を無駄にできないわ」

 あたしは朝食が並んでるお皿の横に求人誌を広げてパラパラとめくっている。

 祖父母はいつも起きるのが遅いから、姉と二人だけ。

 作った料理はラップをかけてダイニングテーブルに置いている。

 バイトを始めたら、夕食も作っておかなきゃ。


「彩、本気でバイトやるの?」

「もちろんよ。今のあたしは居候だもの。いくら血縁だからって実の親以外に甘えるのは性に合わないわ」

 瑠穂るほからも、姉と似たような反応をされている。

「それでどこか目星つぃたの?」

「今のところ三ケ所かな」

「どこ?」

「これとこれとこれ」

 あたしはファミレス、カフェ、弁当屋を指さした。

「食べ物系ばかりじゃなぃ」

「料理できるからね。そういう意味で一番とっつきやすそうだから」

「優先順位はぁるのかな?」

「指した順番よ」

「ふーん…そのファミレスが一番なんだ」

 どことなく含みを持った言い方が気になったけど、かといって何かをされる心配をしても仕方ない。

 何かやるにしても、多分バイト先に留穂がお客として来るくらいだろう。

 募集に履歴書を送るってなってるけど、履歴書ってなんだろう?

 検索してみると、自分の立場や経験を書き記すものと分かった。

 なんか面倒だけど、必要ならやるだけ。

 放課となって部活も終わった後、あたしはコンビニに売ってる履歴書用紙を買ってきて、必要事項の記入を始めた。

 コンコン

「はい」

「彩、今いい?」

「何?」

 入ってきたのは姉だった。

「今夜は祖父母共に自治会へ行くから夕飯いらないって」

「そう。わかったわ」

「何?履歴書を書いてるの?」

 姉は何をしているのか覗いてきた。

「うん」

「いまどきの履歴書はPCで作っても良いみたいよ?」

「そうなの?それなら楽よね…って、プリンタが無いわ」

「それなら貸してあげる」

「いいの?助かるわ」

 姉は部屋を出ていこうとドアの前に立つ。

「本当は彩がバイトするのは反対だけど、止めても聞かないでしょ?」

「もちろん。有言実行よ」

「ただし両立できてないと判断したら辞めてもらうよ?」

「わかってる。善処するわ」

 持ってきてくれたプリンタを使って、履歴書は割とスムーズに作成できた。


 部活は相変わらず彼目当ての入部希望届が回ってくるけど、部室の空きがないという正当な理由で全部不受理となっている。

 そして…

「月都美さん、デッサンモデルになってください!」

「ずるい!わたしのモデルになってください!」

 いかにも部の方針に従った理由付けだけど、実際には彼目当てというのは誰が見ても明らかだった。

「それじゃ留穂、あたしたちは部室の外で活動しましょう」

「うん、でも彼はぃぃの?」

「あと数日でいなくなるでしょ。もう少し我慢すれば元の静けさが戻ってくるわよ」

 聞いていた話と違って、彼を巡って派閥とやらが形成される様子がない。

 部活の最中にあたしへ絡んでくることこそ数日で無くなったけど、期待していたほどの混乱は見られない。

「蝶名林さん、一緒に帰らない?」

 けど帰りがけに女子よけの伊達メガネをかけて一緒に下校するお誘いだけは続いている。

「ごめん無理」

 我ながら冷たく乾いた口調で断る。

 そして彼が絡んでくることで、予想していたことが一つ。

「蝶名林さんよね?」

「そうですけど、何か用事ですか?」

 女子が恨みがましい声で呼び止めてくる。

「ちょっときて」

「行きません。用事なら移動しながら聞きます」

 あたしは進む方向の足を止めずにいると、行き先を塞がれた。

「邪魔。どいて」

「来いって言ってるのよ!」

 襟を掴んで、どこかへ連れて行こうとされた瞬間

「何をやっているんだ?」

 目の前に現れたのは月都美くんだった。

「こ…これは…ちょっとお話をしようかと…」

 言い淀む、襟をつかんできた女子。

「俺絡みで彼女に用事があるなら、俺に言えばいい」

 柔らかい口調ながらも、キッとした目線を向けたことで、絡んできた女子はしおらしく化けてしまう。

「さ、散った散った」

 月都美くんに促されて女子数人は背を向ける。

 これでハッキリした。この呼び出しは彼関係で勘違いされている。

 あの女子たちに向けても、ここで立ち位置を認識させておかないと。

「お礼なんて言わないわよ。あなたが絡んでくるからこんなことになったのは間違いないわ。あたしに迷惑がかかると分かってるなら、最初から構わないで」

 周りへ聞こえるように言い放つ。

 どうせあの女子たちに正面から言っても聞かないだろうから、本人を目の前にして迷惑だと明確に伝えているところを聞かせることにした。

 視界の端でさっきの女子たちが聞き耳を立てていることは確認した。

 これでよし。

 それでも勘違いしてくるなら、そもそも聞いてなかったか、状況を飲み込めない人のどちらかだろう。

 満足したあたしは背を向けて歩き出す。

「やっぱり面白いな。俺の予想をことごとくひっくり返してくれる」

 月都美はボソッとこぼした。

 あたしがすぐに背を向けたため、留穂が月都美くんの後ろから近づいていることに気づくことは無かった。


 ♪♪♪


 部活を始めようとして集まっている時に誰かの電話が着信した。

「はいもしもし」

 どうやら月都美くんだったらしい。女子に囲まれつつも重要な電話だったのか、遮って通話を始めた。

「ありがとうございます。それではよろしくお願いします」

 あたしはいつものとおりスケッチブックを片手に部室を出て、デッサンの対象を何にするか探し始める。


 ♪♪♪


 今度はあたしの電話が着信する。

「はい、蝶名林です」

「こちら先日面接にお越しいただいたレストランです。蝶名林さんを採用の判断に至りました。明日からでも来ていただきたく、都合はいかがでしょうか?」

「はい。ぜひ、お願いします」

 やった!これで祖父母の負担を減らせる!

 そして翌日の部活が終わってから向かったバイト先へ。


「なんであんたがここにいるのよ?」

 なぜか月都美くんがそこにいた。

「今日からここで働くことになったんだけど」

「はぁ…よりにもよってバイト先まで同じなんて、ツイてないわね。しかも同じ日にスタートだなんて」

「なら辞めるのか?」

「安く見ないで。そんなの仕事を放り出す理由にはなり得ないわ。はなはだ不本意だけど必要とされる限り、学業との両立ができている限り続けるわよ」

「それを聞いて安心した」

「まさかと思うけど、あたしがここで働くことを事前に知ってたんじゃないでしょうね?」

「それこそまさか、だ」

 軽く目を閉じて、すいっと肩をすくめた。

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