M2 Thunder Underground
①
エクレールとは、フランス語で雷を意味する。限界まで改造された車が限界のスピードで競い合う様はまるで雷だ、という高城永久の考えから、その名前がつけられた。
〈河原町エクレール〉。
河原町通にドラッグレーサーたちが集結して繰り広げられる裏の京都の車の祭典。
創始者は高城永久。彼がこの企画を始めてからすでに十数年という長い歳月が流れている。彼は大学在学中にこのイベントのオーガナイザーであったが、京極大学を放学されてから一線を退いた。今は好きなときにレースに参戦して小遣い稼ぎを行う程度だ。
しかしそうはいっても、創始者である永久の力はいまだもって絶大である。彼が「開催しよう」と言ったら、裏の京都中のスリルに飢えたレーサーたちが獣のように集まってくるのだ。
三条河原町から、四条河原町まで、多種多様、より取り見取りの改造車が並ぶ姿は圧巻としか言いようがない。
〈河原町エクレール〉が開催されると、河原町御池から四条河原町まで、レーサーたちの手によって完全に封鎖される。もちろん違法である。しかし永久をはじめとする首脳陣はぬかりなく、この件に関して警察は買収済みである。というのも、レーサーの中に警察のお偉いさんが混ざっているからだ。もちろん裏の顔なので、それがどこの誰なのかはわからない。開催されるときは、一時間だけ目を瞑ってもらえるようになっている。
真夜中の、たった一時間限りの狂宴。
永久が会場入りしたとき、すでにレーサーたちは集結していた。何なら、すでに〈河原町エクレール〉は始まっていた。
行われていたのは〈サンヨン〉だ。〈ゼロヨン〉という直線四百メートルを競うドラッグレースをもじって永久が考えたレースである。三条河原町から四条河原町までの短い直線距離でのスピードを競うドラッグレースだ。正確に長さを測ったわけではなく、「だいたい四百メートルくらいだろ」との永久の一声がレース発祥だと言われている。しかし当の永久本人がそのことについて覚えていないので、さだかな情報ではない。
永久が〈河原町エクレール〉用の愛車であるダッジ・チャレンジャーで河原町御池から進入してくると、各地から拍手喝采が沸き起こった。爆音で鳴り響くEDMをかき消すほどの騒ぎになった。
「ドラゴネッドが帰ってきたぞ!」
誰かが叫んだ。
ずらりと並んだ車を横目に、チャレンジャーはゆっくりと進む。レーサーたちに取り囲まれ、窓を開けた永久が「轢き殺すぞおめえら!」と叫ぶと一層歓声が上がる。
〈サンヨン〉のスタートラインに車を停め、永久が降りると、〈河原町エクレール〉の現オーガナイザーであるイージー・ブリージーが近寄ってきた。黒髪の短髪で、長身のすらりとした男だ。イージーは永久と握手を交わし、ハグをする。
「俺たちのドラゴネッドが久しぶりの〈河原町エクレール〉参戦だ」
「久しぶりって、半年も経ってないだろ。前回ボロ勝ちしてから」
レーサーたちがふたりを取り囲む。永久に歓声が上がった――と思ったら、今度は四条河原町方面から悲鳴のようなものが上がった。何事だ、とイージーが人込みをかき分けて進むと、一台のバイクがエンジンを蒸かして周囲を見回していた。
真っ黒なホンダ・シャドウファントム。ライダーの真っ黒なフルフェイスヘルメットのシールドは、スモークがかかっていて中が見えない。
「イージー・ブリ―ジー! クラッシュ!」シャドウ・ファントムに真っ先に駆け寄った銀髪の女が叫んだ。「来たぞ! 〈河原町の幻影〉の参戦だ!」
高らかに宣言される。巻き起こるブーイング。その前に現れた永久とイージーは顔を見合わせて笑った。永久は本気の笑いだったが、イージーはひきつった笑いだった。
永久が〈河原町の幻影〉に近づき、「派手な登場ありがとよ、幻影」と鼻を鳴らした。
「僕が目立ったほうが、面白いでしょう。クラッシュも。ってか幻影って呼ばないでくださいよ」
「じゃあ、裏の名で呼ばれたいか?」
「それはやめてください。ここでの僕の名は〈河原町の幻影〉ですからね」
〈河原町の幻影〉――祥里はサムズアップで永久に答えた。周囲ではファントムコールが始まった。
「〈河原町の幻影〉って?」
目の前にいた露出の多い若い女がそう口にしているのを、祥里は耳にした。
「十年前、いや、八年くらい前かな。〈河原町エクレール〉に突然現れて、そして我らがドラゴネッドの全力を完膚なきまでに負かした、数少ない男のひとりだよ」
隣にいた銀髪の女が答えた。祥里はこの女を知っている。祥里と同じくバイクで〈河原町エクレール〉に参戦するライダーだ。
しかし彼女が語ったそれは、どこまでも尾ひれがついた話だった。
〈河原町の幻影〉は、その昔、河原町で活動していたバイク・車泥棒のことを指す。それが祥里のかつての裏の顔だった。
その当時は祥里が悪人で、永久が正義の人間だった。その祥里がドラゴネットを負かすために〈河原町エクレール〉は存在する」だの、あることないことが語られているようになっている。もっとも、このドラッグレースの場では、幻影があいかわらずヒールであることに変わりはないのだが、
「バイクの反則野郎!」
「お前なんかブラックシープの足元にも及ばねえよ!」
周囲から野次が飛ぶ。祥里はそれに中指を立てて答えていく。
さらなるブーイング、あるいは歓声の嵐。昔を知る人間からすれば、車泥棒は車泥棒。それを知らない人間からすれば、最強のドライブキングであるクラッシュを倒した
「さあさあ、レディース&ジェントルメンよ。役者が揃った」
イージーが彼の愛車であるアルファロメオ・モントリオールの上に飛び乗り、拡声器で叫んだ。その場にいた全員が静まり返る。爆音の音楽も息をひそめた。
「今宵の〈河原町エクレール〉にて、〈エクレール〉を執り行う」
静まり返った河原町通から、今度は地が割れんばかりの大盛り上がりへと急変した。
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