M1_⑤
「早川りあ奈。早川インダストリアル現CEOである早川理庵の九女。十三歳のときに次世代携帯端末機――HUCKの開発に携わる。その当時から異次元の天才少女と呼ばれており、早川の令嬢としては珍しく未成年のうちから表舞台へ積極的に顔を出してきた。現在は他の早川一族と違い、王志舎高校から王志舎大学へ進学せずにただひとり京極大学へ進学。京極大学工学部所属」
朝井勇は、目の前で毅然と立つ少女に向かって、ひとりごちるように一息で喋った。
「すごいですわね、そこまで調べるなんて」
「あんたが開発した携帯端末機で調べただけだよ」
「わたくしが開発したんじゃありませんわ。わたくしはただ、学校が嫌でサボって会社の現場にいて、いくつかアドバイスをしただけですわ」
京都の山間にあるサーキット場――『早川パープルサーキット』。早川インダストリアル出資で建設された競技レース用サーキット。紫色のホンダ・NSXから降りてきたレーシングウェア姿の早川りあ奈と、トレンチコート姿の朝井。
ふたりきりであった。レース場にはスタッフもいない。完全貸し切り状態。朝井がサーキットを訪れたとき、たった一台でNSXは爆走していた。とにかく早かった。プロのレーサー顔負けに見えるドライビングテクニック。惜しむらくは、そんな彼女と比較できるような人間が今この場にいなかったことだ。
それにしても。朝井は入り口にあった自動販売機で買った缶コーヒーをすすり、りあ奈をまじまじと眺める。
今日のりあ奈はレース用のウェアだった。すらりとした肢体にばっちりとはまっている服装だったが、やはりどこか幼い少女っぽさも残している。こんな少女が天才と呼ばれ、HUCKの開発に携わったとは、朝井にはとうてい考えられなかった。
HUCK――Hyper Urbs Communication Kit。一見すればただの透明な薄い板である。サイズは注文時に頼めば自由自在。従来の携帯端末のような事細かい種類分けがされているわけでもない。極小サイズにもできれば、十インチ以上でも百インチ以上でも作れる。街中の街頭モニターサイズも可能だ。それがタッチパネルとして使えるし、通常の通話だけでなくホログラム電話も可能だった。システムの完全クラウド化も実装されている。生体認証で登録さえすれば、自分の端末情報をどんな端末でも利用できるのだ。人から借りた端末でも、自分が生体認証でログインすれば、バックアップなしで設定もシステムも引き継げる――バックアップという概念が消失したと言える。
「で、俺に何をしてほしいんだ。早川なんて大財閥の令嬢が、出世が遅れたしがない警察官に助けを求めることなんてないだろうに」
朝井の言葉はまったくの謙遜ではなかった。早川インダストリアルと言えば、連結年商三十五兆の、この国どころか世界でも最強の大企業のひとつである。目の前にいるのは、その中でも主要産業である携帯端末事業に携わるような純血のお姫様なのだ。片や朝井は――自ら志願したとはいえ――府警の中でも窓際に近い、普段から何をしているかわからない部署にいる警察官だ。本来なら釣り合うどころか、交わることすらないふたりだ。
りあ奈はすたすたと歩き始めたので、朝井はその横につけた。
「釣り合うとか、交わるとか、そんなのは関係ありませんわ。現にわたくしがあなたをこうして、必要としているのですから」
「あんたは、自分で何でもできるんじゃないのか」
「自分で何でもできていたら、わたくしは今なおこんな場所にはいませんわ」
それは自画自賛なのか、それとも遠回りの謙遜なのか。朝井にははかりかねた。
「そもそも、わたくしがあなたを捕まえるのに苦労しましてよ?」
「仕事で飛び回っているんでね」
「ブラックシープを追って、かしら?」
りあ奈は無表情で首を傾げた。
ピットに用意されていたソファに腰かけるりあ奈。朝井はその向かい側に置かれていたパイプ椅子に腰を下ろした。
「わたくしとあなたの目的は同じ。いえ、同じどころか、ひとつですわ」りあ奈が口調を強く言った。「わたくし、ブラックシープを捕まえたいんですのよ」
「ブラックシープを捕まえたいだって?」
「ええ、そうよ」
「なんでまた」
「わかっているでしょう? 彼は、彼らはわたくしたちを敵に回したんですわよ?」
「やはり〈ユニヴェール〉か」
早川インダストリアルが展開する宝石ブランド〈ユニヴェール〉が保有する、この国に存在する宝石の中でも指折りに高価だと言われる奇跡の名を冠するダイヤモンド〈ミラコロ〉を含む数多くの品が盗まれたというのは、たしかに早川を敵に回す行為だ。しかし、朝井は何かが引っかかっていた。
「早川の意思か? それとも、あんた自身の意思か?」
「それは、どちらでも同じことではなくって?」
「同じこと、か」
朝井は大きく息を吐き、そして煙草に火をつけた。りあ奈は煙草嫌いか? いや、、そんなことはどうでもいいだろう。それに、ここは屋外だ。
「ブラックシープを捕まえるにあたって、わたくしはあなたの協力がほしいんですの。もちろん、あなただってわたくしの協力がほしいでしょう?」
「俺は仕事だからブラックシープを追っているだけだ。私情なんか挟んじゃいない」
「あなた、もう五年もブラックシープを追いかけているのに、いまだに尻尾すらつかめていないでしょう?」
「それはそうだが、その過程で裏の人間を山ほど捕まえている。そんじょそこらのキャリアにあぐらをかいた連中とは比べ物にならないくらいの実績を上げている。ブラックシープが警察より
「だから、そんな無能な警察組織に代わって、このわたくしがブラックシープを捕まえてあげると言っているんですわ。朝井捜査官、あなたが知っているブラックシープの情報を、わたくしにくださらない?」
それが彼女の目的なのだ。朝井はまだまだ長い煙草を灰皿に押しつけた。
「何か作戦はあるのか? 作戦があるのなら、教えろ」
「わたくしの前で全然かしこまらないのですわね。そういうの、好きですわ」
「作戦でもあるのか? と聞いている」
「情報を教えるのが先ですわ。お金がほしいなら、そう言ってくださればいくらでも出せますわよ」
「あいにく、金には困ってないんでね」
「じゃあわたくしがブラックシープの情報を言いますから、それ以外の情報を教えてちょうだい」
自由かよ、この女は。早川の女は皆こうなのか。朝井はため息とともに煙を吐き出し、「話すだけ話してみろ」とりあ奈に言った。
「ブラックシープは、京都でのみ活動する強盗、あるいは強盗団ですわね。劇場型で、京都の裏の人間のはずなのに頻繁に表舞台に現れる。その特徴から、一昔前にこの街を騒がせたスカイホッパーとの共通が囁かれている。主にバイクで犯行に及ぶ。黒の衣服で全身を覆っているから、身体的特徴も判然としない。顔もガスマスクを着用していて人相すら不明。その相棒の女は、ライダースーツ姿で、金髪で、アイマスクをつけている。この相棒は、赤い目をしていただの、青い目をしていだの、目撃者の証言が一致しない。カラーコンタクトを入れているか、あるいは証言の都度全くの別人なのかは判然としない。このふたりは常に一緒に行動している。神出鬼没。どういった周期で世間を騒がせるかも謎。しかし現れたときには、どんな場所でもそこにあるものを徹底的に盗んでいく」
りあ奈の語った話は、一般的に知られていることばかりだった。ニュースを見たり、そこらへんに売っている低俗な週刊誌を読んだり、あるいは実際にブラックシープの現場に居合わせれば手に入れられる情報だ。早川の力をもってしても、その程度なのか、と朝井は落胆するとともに、早川などという巨大企業もその程度なのだと少し安心する気持ちもあった。
「と、これは誰でも知っていることですわね」
りあ奈はそんな朝井の表情を見抜いてか、ふんと鼻を鳴らした。
「わたくし、ブラックシープの正体に気づきましたの」
「何だって?」
朝井は眉をひそめた。そんなことを言われるなど思ってもみなかった。
ブラックシープの正体? 目の前の令嬢はそれがわかったと本気で言っているのか?
「ブラックシープがなぜ劇場型犯罪者なのか。あんなに目立つのって、普通なら犯罪者は嫌がると思いますの。裏の京都の人間ならなおさらですわ。でも、それに反してブラックシープはやたらと目立つ。むしろ目立つように動く。何なら監視カメラにアピールするかのように導線を引いている節もありますわ。そしてあらゆるものを根こそぎ奪っていく。でも、そこには目立たなければならない理由がある」
朝井は、りあ奈が何を言おうとしているのかピンときた。しかし口を挟まずに、彼女に先を続けるよう促した。
「目立つ動きをあえてすることで、彼らは、彼らの本来の目的から我々世間の目をそらそうとしているんですわ。根こそぎ奪っていくのも同様の理由。木を隠すのなら森の中と言いますわよね。盗めるものを盗めるだけ盗むことで、本当に盗みたいものを人々の目から霞ませる」
「なるほどな」朝井は感心したように頷いた。「じゃあ、今回の〈ユニヴェール〉襲撃の本当の目的は何だ? 奇跡の〈ミラコロ〉か?」
「違いますわ。〈ミラコロ〉こそがダミー。ブラックシープが本当に盗もうとしていたのは、あの日、彼らが強盗に入る前日に展示が始まった、〈フェリーチェ〉と呼ばれる鑑定書付きのエメラルドですわ」
「どうしてそんなことがわかる?」
「ダイヤ以外で鑑定書のついたエメラルドなんて存在すると思って? 実はあるんですわ、鑑定書がついた宝石群が。そのうちのひとつがエメラルド〈フェリーチェ〉。少しでも知識があればこのエメラルドの異常性に気づくはず。そしてこのエメラルドには本来の持ち主がいる。裏の京都の人間か、表の京都の人間か。巡り巡ってなぜかわたくしたちの宝石ブランドが獲得したのが、つい数日前の話。それを盗みに来たんですわ。そう、誰かに頼まれて」
「誰かに頼まれて、って――」
「ブラックシープは、誰かに頼まれて強盗を行っている。いわば雇われた強盗なのですわ」
「まさに、自分のところが盗みに入ったからこそわかったような話だな」
朝井は顔をしかめた。ブラックシープの正体は、まさにその通りだったからだ。犯罪請負人という側面。そしてその情報は世間に――表の京都に公表されていない。当事者でもないのに、この少女は短時間でその真実にたどり着いた。
本当にブラックシープを捕まえてしまうかもしれない。
「――この街の人間は、誰もが裏の顔を持っている」
朝井は、もはや語る必要もないくらい当たり前のことを口にした。
「あなたも何か裏の顔を?」
「俺はこの顔と名前だけさ、今はな。裏の顔は、とうの昔に捨てちまった」
「あらそう。つまらない男ですわね」
「今は俺の話じゃなくて、ブラックシープの話だ。ブラックシープと言うのも誰かの裏の名だ。俺も職業柄、裏の人間をそれなりに知っているが、裏の人間すら誰もブラックシープの正体を知らない。それどころか顔も知らない。まあそうだろう。裏の人間は表での自分の素性は明かさないからな。その中でもブラックシープはスペシャルだ。表はもちろん、裏の京都でもその正体を知る人間がいない。誰よりも秘密至上主義の男だってことを、裏の人間たちは口をそろえて言う」
「じゃあ、現行犯じゃなきゃ捕まえようがないじゃないの」
「そうだ。そして相棒の女はミッドナイトという裏の名を持っている。これもまた、表のどこにも出ていない情報だろう」
「じゃあ、ブラックシープというのは個人の名前であって、犯罪者集団の名前ではないということかしら?」
「そういうことになる、な」
「まさかそれだけ? わたくしが満足するような情報はない?」
朝井は何度目かわからないため息をついた。このため息は自分へ向けてのものである。自分が秘蔵中の秘蔵の情報を口にしようとしていたからだ。
「彼は、深夜の河原町で不定期に開催されている〈河原町エクレール〉という違法ドラッグレース大会に参加している可能性がある、という情報がある。あくまでも可能性でたしかな情報ではないし、本当に参加しているかどうか怪しい話ではあるが」
「違法ドラッグレース大会? この京都でそんなのがありますの?」
「裏の京都じゃ有名だ。表の人間からすれば、たちの悪い走り屋が暴走しているようにしか見えないだろうが」
人形のように無表情に淡々と語っていたりあ奈の表情が、わずかに動いた。朝井はそれを見逃さなかった。
「で、それはいつありますの?」
りあ奈のその表情の動きは、まるで楽しそうな遊びを見つけた子どものように見えた。
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