〈河原町エクレール〉で行われるドラッグレースは主に二種類ある。ひとつは参加金一万からという少額で参戦できる一対一ドラッグレース〈サンヨン〉。そしてもうひとつが、京都の街を舞台にしたルーレットレース〈エクレール〉だ。

 電子回路みたいな街を、京都御所をぐるりと回る形で走る。三条河原町をスタートし、河原町通、今出川通、烏丸通、丸太町通を通って最後は四条河原町でゴールする。最大参加台数は四台。〈サンヨン〉との最大の違いは、河原町御池よりも先は封鎖されておらず、一般車両も走っている中をレースするという点にある。参加料は十万から。ベットは参加者が釣り上げレイズていき、最終的なベット金額分の現金を提示できるものだけが参加できる。一般道を走るそのスリルは計り知れず、まさに文字通りの麻薬レースなのだ。

「さあさあ、参加したいやつはいるか?」

 イージーが煽る。異様な盛り上がりを見せていた河原町通は再び静寂に包まれる。参加を名乗り出るものを待っているのだ。

「十万!」とどこかの誰かが叫んだ。それに釣られ、「俺も十万だ」「私は十一万」「十二万」と名乗りを上げるレーサーが多数出現。しかし参加人数は四人まで。人数が四人になるまで、参加料オークションは続く。

「二百万」

 祥里が叫んだ。フルフェイスヘルメットの口の部分を開け、精いっぱいに。三度の河原町通の静寂。今度は誰も声を上げない。いきなり値段が釣り上げられたからだ。

 参加料は参加者全員から徴収され、そして取り分は第一位が百パーセントとなっている。勝者が総取りは〈サンヨン〉と同じだが、〈エクレール〉はさらに最下位が第一位に自分の車のキーを渡すというルールもあるのだ。そのため、いきなり金額が釣り上げられると、金も車も取られると尻込みする人間が増え、参加表明の数は極端に少なくなる。

 誰か名乗り上げないのか。周囲がそんな雰囲気に包まれ始めたとき、大きなエンジン音がレーサーたちの背後から聞こえてきた。レーサーたちが避けたそこに、赤みがかった紫色のホンダ・NSXが現れた。祥里のシャドウファントムの前で止まり、運転席から長髪の女が降りてきた。パンツスーツを身にまとい、大きなサングラスをかけている。そんな彼女は祥里と目が合い、大きく手を挙げた。

「二百五十万。かける四で計一千万のほうが、綺麗な数字じゃない?」

 ざわめくレーサーたちを尻目に、謎の女は車の中から取り出した札束を、祥里へ向けて放り投げた。

「参加者だ! なスーパーカーから颯爽と降り立つ謎の女! 誰だお前は! いいぞ、〈河原町の幻影〉をぶっ潰せ!」

 イージーがレーサーたちを煽る。静寂が一転。絶叫の嵐。地が揺れる。

「お嬢さん、名前は?」イージーが尋ねた。

「名前?」謎の女は今度は反対側へと首を傾けた。「裏の名でいいのかしら?」

「ここで本名を名乗るやつなんざいねえさ。誰もが裏の顔で参加するのが〈河原町エクレール〉だ」

「――陶器製の女セラミックガール。私の名前はセラミックガールよ。以後お見知りおきを」

 NSXの女が名を名乗った直後、車両の上に立つイージーへ向かって群衆から永久がとびかかった。永久は、イージーから拡声器を奪い取り、そして懐から札束を取り出した。

「女に目立たせてばっかじゃあ、いけないよなあ!」永久が拡声器で声の限り叫んだ。「俺も〈エクレール〉に参戦してやる。俺が一番目立たなきゃいけねえんだ。今夜の主人公は世界一かっこいいファットマンことクラッシュ様だぜ」

 永久はセラミックガールへ向けて投げキッスを飛ばし、そして祥里へ向かって中指を立てた。

「おいおい、伝説の男の参戦だ!」

 イージーが拡声器を奪い返し、再び叫ぶ。煽る。

「我らがクラッシュと、クラッシュクラッシャーの〈河原町の幻影〉に、さらに絶世の美女だあ? これはおそらくエクレール史上最高のレースになるぞ! だから――」

 イージーはそこで言葉を切り、拡声器を振りかざした。察したレーサーたちは車の前を空ける。次の瞬間、彼は拡声器をアスファルトへ向けてたたきつけた。キーンと嫌な音が響く。拡声器のわずかな破片が周囲に飛び散った。

「オーガナイザーなんかやってられるか、僕も走らせてもらう。僕も伝説になる」

 イージーの高らかな宣言。拡声器なしだったが、その声は河原町通に響いていった。

 大歓声。大拍手。それに迎え入れられるように、イージーと永久が同時に車両の上から飛び降りた。

 レーサーから取り囲まれ、まだ始まってもないのにもみくちゃにされるふたり。祥里とセラミックガールの周囲数メートルに人がいなくなった。

「あなたは、行かなくていいの?」

 セラミックガールがレーサーたちを顎で示した。

「俺は、ここではヒールなのさ」

「ふうん。かわいそうな人」

 セラミックガールはそう言い、まじまじと祥里を、そして祥里のホンダ・シャドウファントムを眺めた。

「バイクでわたしのパープルヘイズちゃんに勝てると思っているのかしら」

「少なくとも、自分の車に名前をつけてちゃんづけで呼ぶような女の子には負ける気はしないね」

「愛車よ。車は女性と一緒。愛してなんぼのもの。愛でれば愛でるほどかわいくなるし、強くなる」

「まるでペット――いや、恋人だな。あなたとは相いれない」祥里は肩をすくめた。「車は車だし、バイクはバイクだ。それ以上でもそれ以下でもない」

「それではせっかくのバイクがかわいそうだわ」

「そんなことを考えてたら、戦えないよ。車両に感情を抱いちゃったらね。物は物。壊れたら新しいものを求めればいい。バイクや車ってのは目的じゃない。あくまでも手段なんだ。俺自身が、止まらないための。俺が止まらなければ、俺の前にあるのは何でもいい」

「なるほど。あなたは敵だわ。まったく相いれない」

「俺を味方だと思ってくれるのは、この世界でただひとりだけさ」

 ふたりが互いににやりと笑ったところで、周囲にちらばる札束をレーサーたちが集め始めた。集められた札束たちは、先ほどまでイージーと永久が立っていた車両のルーフの上にきれいに積み上げられた。

「参戦者はイージー。〈河原町エクレール〉創始者であるクラッシュ。クラッシュの宿敵〈河原町の幻影〉。そして謎の美女、セラミックガールで決定だ!」

「ここに一千万ある」永久が叫んだ。「ルールは〈エクレール〉。非常にわかりやすい。おい、幻影! この一千万は誰のものだ?」

 レーサーたちが一斉に振り返る。シャドウファントムに座った祥里は、親指で自分を指さした。

「もちろん、俺のもんだ」

 巻き起こるファントムコール。

〈エクレール〉が始まる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る