M1_③
〈スカイホッパー〉の営業時間は不定だし、何なら営業日も不定である。不定休ならぬ不定営業だ。場所が場所なので来る人間は限られており、不定営業でもまったく問題はなかった。そもそもこのバーは、六条響希が表と裏の交流の場として作った場所である。営利目的の店ではない。
営業しているかしていないか。その判断は、扉の鍵がかかっているか否か、それだけである。開いているときは開いているし、閉まっているときは閉まっている。ただ、扉の横に備えつけられた外のベンチにふたりの男女が座ってイチャついているときは確実に開いていた。
後島那智はその日の昼、ニュース速報でブラックシープの話題を目にした。ブラックシープが四条河原町の宝石店〈ユニヴェール〉にバイクで強盗に入り、そして根こそぎ盗み出したということを耳にして、心底驚いた。
まさか、本当にブラックシープが存在して、そして私の依頼を受けてくれたなんて。
無論、やっていることは犯罪である。宝石店に強盗など未遂ですら捕まるのに、ましてやバイクで突撃し、片っ端から宝石を奪い去るなど。
さすがは、窃盗専門の犯罪請負人。
そもそも、犯罪請負人とは何か?
後島は噂を聞いたとき、半信半疑だった。きっかけは四条烏丸にある、仕事終わりによく行くバー。あの日、母の形見であったエメラルドを盗まれ、意気消沈していた自分の隣に座った男がいた。男は同じ会社の別部署の人間だった。そのおかげで話が弾んだ。その話の中で、「犯罪請負人って知ってるか?」という話題が上がった。そんな彼に、犯罪請負人ブラックシープのことを教えてもらったのだ。
世間では覆面強盗ブラックシープと呼ばれているが、彼の本当の職業は覆面強盗などではなく犯罪請負人である。
奪われたものなら、奪い返せばいい。そして何も奪い返すのは自分でなく、人に任せればいい。
バーで出会った男から教えてもらったのは、京極大学構内にある非合法バー〈スカイホッパー〉だった。
自分なりにブラックシープについて調べてみたが、たびたびニュースになるような強盗事件を起こすもいまだ捕まっておらず、正体すらわからないライダーだということしかわからなかった。
駄目で元々。後島は意を決して足を運んでみたら、店にいた長身の女性――二十代にしか見えなかったが、本人曰くすでにアラフォーらしい――が静かに話を聞いてくれたのだ。最初はその女性がブラックシープだと思ったが、どうやらその女性はただそこにいた店のマスターというだけで、ブラックシープについての情報は壁に貼られた一枚の紙を示すだけだった。十一桁の数字。携帯電話の番号だが、そのうち三ヶ所が穴抜きでわからなくなっていた。その十一桁がブラックシープへとつながる携帯番号らしい。三ヶ所の穴抜きは、自分で番号を探り当てろということのようだ。そう簡単に連絡は取れない。三ヶ所の穴にそれぞれ十通りの数字。最大千パターンの番号。それらをすべて試す根気が必要だということだ。
後島は藁にも縋る思いで番号を探った。根気の必要な作業だった。誰かにつながるたびにブラックシープか確認しなければならないため、途方もない時間がかかった。その根気が報われ、なんとブラックシープへとつながった。電話に出たのは女性だった。彼女は「午前二時、三条大橋へ行きなさい」と指示を出してきた。
その日の夜中、三条大橋へ足を運ぶと、ガスマスク姿の漆黒の強盗――ブラックシープがいた。
あとはニュースで知った通りだ。彼らが強盗を働いた。自分のために。
ブラックシープが宝石店〈ユニヴェール〉へ強盗に入ったその日の夜、後島は京極大学構内に足を踏み入れた。人生で二度目の京極大学だ。京都に住んでいるとはいえ、この国でトップクラスの大学に入る機会などほとんどないに等しい。だから、そもそも大学構内に入るだけでも緊張した。
ジャングルのような場所を抜け、〈スカイホッパー〉にたどり着いた。外のベンチでふたりの男女がHUCKを眺めて楽しそうに談笑していた。札は『OPEN』だった。
「いらっしゃい」
店内に入ると、アラフォーに見えない女性マスターが後島を出迎えてくれた。後島はそわそわしながら、女性の前のカウンターに座った。
マスターはコントロールと名乗った。曰く、裏の名らしい。普段は大学の講師をしているようで、夜になるとここでコントロールと名乗ってお酒と情報を提供している。
店内にはカラフルで派手な大型バイクが一台、オブジェのように置いてあった。ニュースで見たブラックシープの闇に溶けてしまいそうな黒いバイクとは正反対のド派手な見た目だった。
隅のテーブル席にはひとりの太った男が座り、ターンテーブルで音楽を流していた。前回もここに来たときにDJをやっていたような気がする。他に客はいなかった。
後島が何か言う前に、何か注文する前に、コントロールは自分の前にカクテルグラスを置いた。そしてその中に、シェイカーからカランと何かを落とした。
それは、強い緑色の宝石――エメラルド『フェリーチェ』。
まがうことなき、盗まれた母親の形見だった。
後島は絶句した。目の前に、もう戻ってくることはないかもしれないと諦めかけた母親の遺品があるのだ。
「ありがとうございます」後島は呟いた。呟くと同時に、涙がこぼれ始めた。「本当にありがとうございます」
「礼ならブラックシープに言いな。どこにいるのか、あいにく検討もつかないけど」
「あなたが、ブラックシープではないのですか?」
「私? 私はコントロールだよ。ブラックシープなんてそんな仰々しい名前じゃない。それに、あなたニュース見た? ブラックシープは男と女のコンビだよ。この街で一番イカすカップルだ。私みたいなただタッパがでかいだけの女がブラックシープなわけがない」
「ご友人なんですか?」
「さあね。私だって知らないよ、ブラックシープの正体がどこの誰だかね。そこの電話番号も、いつも気がついたら貼られてるのさ。ちなみにあなたが依頼した直後からそこの貼り紙は更新されてるから、もうブラックシープと連絡は取れないよ。まあ、でも、意外とあなたの隣にいるんじゃない?」
「お礼は言えないってことですね」
「お礼なんていらないのさ。彼らが欲しいのは、あなたからもらう報酬だけ」
報酬。
後島にはさほど金がなかった。ただのしがないOLをやっていた身で、貯金などなく、資産と言えるものは本当に母が残してくれた宝石だけだった。いったいどれだけの報酬を要求されるのか。そんな心配をする彼女に、三条大橋で出会ったブラックシープはこう言った。
『あなたの求める宝石――フェリーチェと呼ばれるエメラルド以外の、盗んだ宝石の権利の一切を求めず俺に差し出す。それが条件であり報酬です』
つまり依頼人である後島からの報酬は何も求めないということだ。たしかに昼のニュースで、宝石店の損害は億にのぼると言っていた。彼はエメラルドを盗むついでに億の価値のある宝石たちを盗み出したのである。
フェリーチェさえ戻ってくればあとは何もいらなかった。だから後島は喜んでその条件を飲んだ。報酬も渡せず、礼も言えない。何とも歯がゆい気持ちになった。
「礼なんてそこらへんの道端で呟いとけばいいのさ。運が良ければ、あなたとすれ違った人間がブラックシープかもしれない」
「本当にそんなことありますか?」
「あるさ」コントロールは後島へ向けてウインクした。「京都の人間は、誰もが裏の顔を持つ。その裏の顔がブラックシープか否かってだけさ」
納得したような、納得していないような。後島はあらためてコントロールに礼を言い、一杯二百円という破格の値段のカクテルを一杯だけ飲んで〈スカイホッパー〉をあとにした。店を出て、最初に目に入ったのは、あいかわらずベンチでいちゃついているカップルだった。
運が良ければあなたとすれ違った人間がブラックシープかもしれない。
コントロールの言葉を芻する。そのせいか、ベンチに座るカップルをじっと見つめてしまった。
「どうしたのお姉さん。俺らに何か用?」
「カップルってことは、あなたたち、ひょっとして――」
と、後島はそこで言葉を切った。馬鹿げている。ブラックシープはヒーローだ。ここにいるような、バカップルがブラックシープだとは到底思えない。
言葉を発さないでいると、カップルの男が「お姉さん、大丈夫? 飲みすぎた?」と尋ねてきた。
「いいえ、大丈夫」
そして彼女はコントロールの言葉を思い出し、思わず「ありがとう」と呟いていた。
何がありがとうなのだ、見知らぬカップルに対して。後島は首を振ったが、男はにこにこして「はいどういたしまして」とにこりと笑って言った。その言葉を聞き、後島はふっと力が抜けた。なんだか身体が軽くなった。自分でもわからないうちにカップルに手を振り、その軽い足取りで、京極大学をあとにした。
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