M1_②

 その宝石店は、破壊の限りを尽くされていた。

 そう表現すると惨憺たる有様にも思えるが、実際現場を見てみると、意外とそうでもない。たしかにショーケースは確認できる限りすべて壊され、中身はなくなっているが、電灯はすべて無事なので店内は明るい。床に散らばるガラスの破片で怪我をしないように気をつければいいだけだ。

 朝井勇は、すっかり吹き抜けになってしまった窓から四条通を見下ろした。まだ規制線が張られており、ブラックシープが飛び乗って壊した車が現場保存という名目で四条通沿いに放置されている。それらを回収するためのレッカー車が四条通を走ってくるのが見えた。路上に散らばったガラス片の掃除もあらかた終わったようだ。じきに規制線も解かれ、いつもの四条通が戻ってくるだろう。この宝石店以外。

 京都府警(裏切課)特殊窃盗犯罪対策室へ連絡が入ったのは、十一時四一分だった。警察への通報時刻より六分も遅い。通報時点でブラックシープの犯行だとわからなかったからだとの言い訳。その六分がなければ捕まえることができたかもしれないのに。

 冷たい床に、宝石店に似つかわしくない大きなステッカーが貼られていた。『SKRT Blacksheep』と書かれていたそれは、ブラックシープの代名詞として彼――彼らが現場に残していくものだ。彼の裏の名がブラックシープだからこそ現場に痕跡として残していくのだ。劇場型犯罪者らしい演出だ。

 鑑識が複数名で現場検証をしている。〈ユニヴェール〉店主オーナーは事情聴取のため、警官に連れていかれた。

 朝井は特殊窃盗犯罪対策室の室長として、ただ現場にいるだけだ。

 特殊窃盗犯罪対策室。聞こえは仰々しいが、かつて大泥棒スカイホッパーが京都を騒がせたときに作られた課で、現在の室員はわずかにふたり。うち一人は内勤なので、動くのは朝井勇ただひとりである。

 主な活動――表において裏の名で活動する犯罪者の追跡。

 その名に窃盗と入っているのは、スカイホッパー全盛の頃の名残である。

 京都には、表の顔を持ちつつも裏の顔を持つ人間が数多くいる。

 表というのは、いわばごくごく普通の日常。誰もが送っている生活。裏の京都と言えば、その日常をはみ出した非日常を体現する輩の世界だ。裏の京都は、表では表立ってできないイリーガルな活動をする人間が多いのだ。

 そんな京都で、スカイホッパーは裏の京都最高の強盗だった。京都の人間のひとりが裏の名としてスカイホッパーを名乗り、大泥棒となった。通常、裏の京都は表に裏返らない。しかしスカイホッパーは、自ら表の京都で裏の名を名乗り、自らの犯罪を「狂宴」と呼び、「クレイジーゴナ、クレイジーゴナ」などと石川五右衛門もびっくりの洒落をしたためて活動していた。表の人間も知る数少ない裏の人間なのである。そんな彼への対策として作られたのが、特殊窃盗犯罪対策室だった。

 スカイホッパー以後、彼の模倣犯は大量に現れた。スカイホッパー以前、以後と言われるくらいに街は変わった。我も我もと表に出てくる裏の人間が増えたのだ。そんな彼らを捕まえるのが朝井ら対策室の仕事であった。

 対策室の正式名称は、京都府警(裏切課)特殊窃盗対策室。この(裏切課)は裏の京都に特化した秘密警察であるが、一般には秘匿されているために表に立てない。ゆえに対策室は、表で活動するために作られた対裏の部署である。もっとも、表の対策室と(裏切課)本体の関わりはもはやまったくない。対策室はスカイホッパーがいなくなったあと、完全に看板だけが残ったものである。

 そんな対策室が秩序を守るべき表の京都に颯爽と現れた、ブラックシープと名乗る犯罪者。彼はおおよそ五年前に活動を始め、数々の強盗事件を引き起こしてきた。どれだけ犯行を重ねても、警察の手を易々とかいくぐる。警察は彼らを捕まえる糸口すら見つけていない。そのせいで世間からは捕まることなく姿を消したスカイホッパーと比較され、「彼こそが真のスカイホッパーの再来だ」と世間から――裏からも表からも言われるようになったのだ。

『SKRT Bracksheep』のステッカーをしゃがんで眺めていると、ふと廊下が騒がしくなった。朝井が顔を上げると、警官の制止を振り切ってひとりの少女が宝石店の中へと入ってきた。

「あなたたち、そこへかしこまりなさい!」

 びしっと朝井を指さす少女。朝井は周囲を見回してから、少女の目的が自分だと悟り、「俺か?」と彼女へ向かって首を傾げた。

 少女は紫色のワンピースを着ており、顔は薄い白のヴェールで覆われている。少女の後ろから、黒のスーツに蝶ネクタイをつけた長身の男がゆっくりと入ってきた。

 少女の仰々しいいで立ちと、彼女の側近を見て、朝井はすぐに彼女が何者なのかピンときた。

「――早川か」

「いかにも。わたくしは早川家、早川一族の正血統第九女、早川インダストリアル本部詰の早川りあ奈でございますわ」

 早川りあ奈は手に持っていた扇子で口を隠しながら言った。ヴェールで覆い隠されているのに。まるで動く唇を見せたくないとでも言いたげに。

 りあ奈はつかつかと歩き、地面に貼られたステッカーに目を止めた。

「S、K、R、T? 何の略?」

「S、K、R、Tでひとつの単語らしい。あんたみたいなお嬢様が知らないスラングのひとつだ」

「ふうん。母音がないのに何て読むのかしら」

 りあ奈は興味なさそうに言い、そしてステッカーをわざとヒールで踏みつけた。

「早川のお嬢さんが、こんな何もない場所に何の用だ」

「何もない場所ではありませんわ。何もなくなった場所ですわ」

 たしかにそうだ。ここはつい数時間前まで、ちゃんと宝石店だった場所なのだ。

「それよりもあなた、わたくしは泣く大人も黙る早川の血筋の人間ですのよ? まったく怖気づきませんわね?」

「変わらんよ。早川も、そうじゃない人間も。警察にとって存在する人間は、犯罪者か、そうでない人間かだけだ」

「ご立派なことをおっしゃいますわね、特殊窃盗犯罪対策室室長の朝井勇さん」

「俺のことを知っているのか?」

「知らないとでも思って? かつてスカイホッパーを追い、今はブラックシープを追う。いわば京都府警の特命係」

「よくご存知で」

 朝井は現場にいた警官に席を外すように指示した。鑑識をはじめとした警察たちは、すぐにその指示に従って道具を片し、そそくさと店の外へと出ていった。現場保存など知ったことか、とでも言いたげに朝井は煙草を取り出し、火をつけ、大きく喫う。そしてりあ奈に背を向けて、窓から四条通りを見下ろした。

 りあ奈が朝井の隣に立った。そして同じように四条通を見下ろした。

「あなたがいるってことは、ブラックシープの事件で間違いないんですわね?」

「ニュースを見ていないのか?」

「テレビのニュースなんて、嘘っぱちか、上っ面の真実しか語ってませんわ。真実を知るうえでもっとも大事なことは、事実をこの目で見ること。そうでなくって?」

「その通りだ」

「そうですわね。だからわたくしはここに来た。そしてブラックシープを追っているあなたを見つけた。だから、この事件はブラックシープが起こしたというロジックが成立する」

「おおむね正解だが、その言い方、探偵にでもなるのか?」

「探偵? そんな低俗な職業には就きませんわ」

 朝井は笑ったが、りあ奈は一切笑わなかった。というより、表情を一切変えなかった。まるで人形が喋っているみたいだ。

「ここ〈ユニヴェール〉は、早川が展開する超がつくほどの高級宝石ブランドのひとつだ。そこを狙われたから、早川を代表してこの俺にブラックシープを捕まえてくれ、とでも頼みに来たのか?」

「半分正解で、半分不正解ですわ」りあ奈は朝井に向き合った。「ここを直接襲ったということは、早川を敵に回したということ。だから私は仕事としてここに来た。でも、あなたに捕まえてくれなんて頼みに来たわけではありませんわ」

「頼みに来たんじゃないのなら、何をしに?」

 りあ奈はどこからともなく取り出した一枚の紙を朝井に手渡した。それは名刺で、『藤堂未奈』という名前と、携帯電話番号のみが書かれていた。

「ブラックシープについてお話ししたいことがございますわ。ですから、また日と場所をあらためて、ブラックシープ専門家のあなたとお話ししたいことがございますの。その電話番号は、栗栖の、ええ、そこで控えているわたくしの秘書、栗栖のHUCKにつながりますわ。あなたから連絡がありましたらそれに合わせますし、もし連絡がなければこちらから府警に直接電話して出頭させますわ」

 それだけまくし立てると、りあ奈は踵を返し、さっさと宝石店を出ていってしまった。栗栖は朝井に向かって一礼し、りあ奈を追った。

 手の中に残されたのは紙切れ一枚。朝井はふんと鼻を鳴らした。


 廊下に控えていた警察たちは、りあ奈を見ても何も言わない。早川の人間に挨拶をしないなんて教育がなってない。少しは仕事をしたら? りあ奈はそう口にしそうになった。

「――さて、わたくしも動かないといけませんわね」

 階段を降りながら、秘書の栗栖へ向かって話しかけ、一枚の写真を取り出した。

 写真にはひとりの女性が写っている。

 写真の女性の名は、後島ごとう那智なちという。

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