9.過去と現在
その夜、私は初めてカタリナと一緒にお風呂に入った。
なんだか、そういう気分だった。一緒にずっといたくて、もっともっと話したいことがあって、知りたいこともあって……。
胸の中が、すごく熱い。カタリナと一緒にいられることが、触れ合うことが――ずっとずっと『戦場で戦っていた一人っきりの兵士』だった私を、救い出してくれたのが彼女だった。
私を癒してくれる気がした。
私の心が、魂が――カタリナを求めている。そう思った。
「ふぅ……なんだかこうして人間みたいにお風呂に入るなんて不思議な感じ。でもちょっと狭いわね」
「それはカタリナさんの胸の体積がやたらと大きいことが原因だと思いますけど!?」
「そうかしら?……ゆかりみたいな形が私は好きよ?」
「ちょ、さ、さわっちゃだめだって!……ってそこお腹!!」
胸じゃないから!!
「うふふ、知ってる。じゃあもうちょっと上に行こうかしら~」
「だ、だめだってばよ!!」
なんか某忍者漫画の主人公みたいになっちゃったじゃない!
それから私たちは色々お風呂で話をして――カタリナが普段どうやって暮らしてるとか、服はどうやって出してるのかとか、いろんなことを話した。
着替えてベッドに二人で横たわったとき、隣でカタリナが言った。
「……私、今なら分かる。昔、本当に昔……『あの人』に言われたことの意味が……あぁ、こういうことだったんだ……」
「……カタリナ……?」
何かをじっと考えているカタリナが、私のほうを向いて、話してくれた。
彼女の、昔のことを。
「私の昔話してあげるね……本当に昔の話よ。たぶん5、600年まえくらい。ヨーロッパだったかしらね……。そのときに、どうしても惹かれた人がいたの。その人、おばあちゃんだったんだけど、ものすごく高潔な、男爵家の令嬢でね。婿養子の旦那はとうに他界していて、一人で数人のメイドと一緒に暮らしてたわ。その精神は本当に澄んでいて、とても魅力的だった。どんな味がするのか、そう思うと必死になっちゃった」
――5,600年前のヨーロッパ。
――カタリナが、惹かれた人――
なんだか、モヤモヤした。
よくわからないけど、すごく昔の話だし、もうその人も生きていないのに……それでも、カタリナの心に残ってるっていうことに、心臓がぎゅっと握りつぶされそうな、嫌な感触がした。
それを分かっているはずだけど、敢えてなのか、カタリナはそのまま話をつづけた。
「おばあちゃんだったけど、私はその人に惹かれた。人間にここまで強く興味を持つなんて、そのときが初めてだった。だからどうしても彼女と一緒にいたい、って思った」
その言葉に、胸が切り裂かれそうな思いがした。どうして、今カタリナはそんな話をするんだろう。私は、カタリナが……
その時、ぎゅっと抱きしめられた。
それはとてもやさしい抱擁で――とげとげしていた心が溶けていくのを感じた。
「……ごめんね、嫌な思いを今させてるかもしれない。でも、どうしてもゆかりに知っておいてほしいことなの。それまで人間に関心ももたず、ただの一人の悪魔としてただ生きていた私が、そうじゃない私を見つけられた、きっかけだから。だから、お願い。最後まで聞いて……」
……なんだか、これが『嫉妬』っていうんだろうか。
顔も見えない相手に、心臓が燃えるような、モヤモヤしたような強い感情を今抱いてる。
カタリナが、それほど惹かれた――す、好きだった人だったと思うと、居ても立っても居られない気がした。
でもそういわれると、私はその心の炎が少しずつ小さくなり、冷静さを取り戻せた。
「……ありがとう、ごめんね。続けるわね……私は、初めて人間に興味を持ったの。ただの興味とは違う。心が締め付けられるような、燃え上がるような感情。たとえ相手がおばあちゃんだろうと、同性だろうと、そんなの私には関係ないと思えたわ。彼女のことを知って、私のことももっと知ってほしかった。お互いに、心を許しあえる関係になりたかった。……もっと言うと、『心』も『身体』も結ばれたかった。年齢なんて私には関係ないもの。私にはその人のもつ感情や信念こそがすべてだったから。」
心も、身体、も……
私だって……私だって……!
カタリナが、たった一人の私を見つけてくれたんだ。私だって……私のほうが、カタリナを……
涙が止まらなくて、そんな顔を彼女に見られなくて、抱きしめられたまま顔を背けようとする。
すると背けた私の顔の……耳元で、それでも彼女は静かに続けた。
「お願い、聞いて。……でもね、結局ダメだったの。彼女とは、そういう関係にはなれなかった。彼女に言われたわ。『私にそういう思いを抱いてくれるのは嬉しい。でも、それは将来、あなたが本当に一緒にいたいと思う人が――私以上にそう思える人が、私以外に必ず現れる。私みたいな、老い先短い老婆ではなく、希望に満ちた人が、きっと。だから、その時のために貴方自身を大切にしておきなさい。今、あなたが気付き始めた感情は、決して私のような人間に向けるべきじゃない。気持ちだけは嬉しいけど、でも私には、先に逝ってしまった、あの人がいるから』って、亡くなった旦那さんを指して言われたわ。」
……カタリナ……
「私、初めて泣いたと思うわ。『悪魔でもこんな感情になるんだ』って客観的に思ったけど、そんなの関係ないくらい、大声で泣いた。そのおばあちゃんに抱きついて、わんわん泣いた。それから一度だけぎゅっと抱きしめてもらって、それっきり。『さぁ、あなたにも希望があるのよ。行ってらっしゃい』
って、背中を押されて……」
するとカタリナが、背けた私の顔を無理やり彼女のほうに向けた。嫉妬やら安堵やら、ごちゃごちゃの感情が混ざり合い涙が止められない私の顔を、やさしく撫でてくれた。
「それから……ずっと私は探した。人を探しては、その感情を、思いの色を見て、探し続けた。でも――近いと思える人はいても、私の感情すべて、存在すべてを引き換えにしてもいいと思えるような、そんな人はいなかったのよ……つい、この間まで」
「……っ!」
「ゆかり。……最初は、他の大勢の人間と同じだと思ってた。無色透明というか、味がないというか、そんな人間の一人なんだろうな、って思ってた。もう、ずっとずっと探してて、私自身も、諦めかけてたのかもしれない。でも……あなたからは、暗い負の感情だけじゃなくて、正反対の明るい……希望の色も混じっていた。なにかすごく深く傷ついていて……それでも負けずに前を向いている、そんな色をしている人は、初めて見たの。」
「カタリナ……」
「あなたがその両極の色をどう変えていくのか、それにすごく惹かれたの。不の感情を克服するのか、あるいはその真っ黒な感情に支配されるのか――それを間近で見たいと思った。あなたが学校というところでどう過ごしているのか、今までどうしていたのか。それをあなたの感情の色を通して見たとき、一番近くで、あなたを支えてあげたいって思った。一緒に、その両極の色を負って、生きてみたい、って思った。それが――やっと……やっと見つけた、私だけのあなたなのよ……!!」
カタリナの涙声が……胸を締め付けた。私は……こんなにも……
真っ黒な瞳から流れる彼女の涙が、とてもきれい。
私は……その彼女と、一緒に生きていきたい。彼女となら、どこまででも行ける。そう思った。
「カタリナ……大好き。ありがとう。大好き……!」
「ゆかり……これが、『好き』って感情なのね……ゆかり…わたしだけの、ゆかり……」
口づけは、いつも以上に切なくて……そして、心が満たされた。
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