第2話

 ふいに、あ、と何か思いついた様子の弘紀が、瞳をきらめかせながら修之輔を見上げてきた。

「修之輔様が奥宮におられるのでしたら、田崎が言う、ひと気がない、ということにはならないですよね」

「行くなと言われているのに行くつもりか、まったく弘紀は、また田崎殿に怒られるぞ」

 礼次郎が呆れたように云う。


「礼次郎のその言い方だと弘紀は最近、田崎殿に大分怒られているようだが」

 弘紀の守り役である強面の田崎の顔を思い出しながら修之輔が面白半分、礼次郎に聞いてみると、その横で弘紀が礼次郎を睨んだ。礼次郎は、そんな弘紀の様子をまったく気にせず、淡々と修之輔の質問に答えて寄越す。

「そうなのです。怒られるというより小言ですね。今だって、弘紀は走り回って物を落としたり失くしたりするからうっかり小銭も持たせられない、祭りのための小遣いが欲しければ小銭入れの巾着に付ける鈴をまず買って来いと田崎殿に言われているのです」

「そうだ、鈴を買わなければいけないんだった」

 その鈴のことすら忘れていたらしい。

「礼次郎がいて良かったな」

 そういいながら指の背で弘紀の頭に軽く触れると、撫でてもらったと思ったらしく、はい、と機嫌の良い返事が返ってきた。

「鈴なら参道の外、街の方へ行ったところに売っている店が出ていた」

 そう修之輔が教えると、弘紀はありがとうございます、と云って、一度、修之輔の手のひらに頬を擦り寄せ、早速向かう勢いだが、勢いそのままだとどこに行くのか分かったものではない。礼次郎に引き留められて結局、修之輔が二人を連れてその店まで行くことになった。


 日が沈んで暗くなり始めたこの時刻、屋台の店先には灯りがともり、色とりどりの提灯や灯籠が街角、沿道を照らし始める。夕刻に撒かれた打ち水にもその灯りは反射して、街が自ら朧な光を放つようなその光景に、行き交う人々の心は浮き立つ。

 

 それほど離れた場所でもないので、歩き始めてそう経たないうち、金物細工の屋台が見えてきた。修之輔が足を止めると、どうしたのかと弘紀がこちらを見上げてくる。

「あそこがその金物屋だ」

 そう修之輔が指さすと、弘紀はその指の先を追う。

「行きましょう」

 店を見止めて張り切る弘紀は、修之輔がついてくると信じて疑わない。

 修之輔は師範との約束もあり、神主のところに行かねばならないが、そもそも早めに道場を出てきたのだし大丈夫だろうと、弘紀の買い物に付き合うことにした。そしてそこでようやく礼次郎の姿が見えないのに気が付いた。


 後ろを振り向くと、礼次郎は修之輔たちとは二、三間手前、三味線や鉦などの楽器を商う屋台の前で足を止めていて、弘紀が礼次郎の名を呼んだが動こうとしない。

「弘紀、自分は後からそっちに行くから先に行っててくれ」

 弘紀と礼次郎のこの間柄というのも傍から見ているとおかしなもので、唐突な身勝手にも思える礼次郎のふるまいを弘紀は全く気にしていない。

「わかった」

 そう短く礼次郎に返した弘紀はあっさりと、じゃあ私たちだけで行きましょう、と修之輔の袖を引っぱった。

 

 鈴を縁台に並べた金物細工のその出店を前にして念のため、買う金はあるのかと弘紀に聞いてみると、ぱたぱたと着物の懐、袖の内、あちこちを探してようやく紙に丁寧に包まれた一分金数個を取り出した。

 これだけあれば屋台の鈴ぐらいなら十分で、何なら自分が買ってやっても良かったのだがと、どこか残念な気持ちになるのは、修之輔自身、祭りの雰囲気に浮かされているからかもしれない。

 目の前に街の光を映して光る数々大小の鈴。親指の先ほどの鈴であっても意匠も素材も様々に、錫か銅か銀か、あるいは金の箔が貼られたり細かな彫刻が施されたりしている物もある。根付の紐も選べるようで、本気で選び始めると時間がかかるようだ。店主が出してくる一つ一つをまるで名品の茶器でも選ぶように眺める弘紀の真剣な表情が微笑ましく、修之輔はその横顔を見ていて飽きなかった。

 

 弘紀の日頃の行動はかなり大雑把なのだが、こうして口数少なく真面目にしていれば元より整った端正な顔立ちで、店の店主も冷やかしだけの客ではないと見て、丁寧に売り物の説明をし始める。

「うちが扱う鈴の音は、迦陵頻伽の歌声までとはいかずとも、川瀬に遊ぶ風流な千鳥の鳴き声に似ております。さあさ、お若いお武家様、どうぞお手に取りちょいと鳴らして見て下さい、チリチリと良い音がするでしょう」

「千鳥の声」

 店主の口上を聞いた弘紀がそう呟いてこちらを見上げてくるのは、修之輔が使う剣の技を知っているからだろう。

「それにするのか」

 弘紀の手元の鈴を見遣って聞いてみるとまだ決めかねるようで、その視線はちらちら光る鈴の上を彷徨っている。

 その小柄な弘紀の背や腰に、行きかう人の腕や肘、持ち物が時折当たるのが気になった。修之輔が弘紀の背側に回って人の流れから庇ってやりながらその頭越し、一緒に鈴を覗き込んでいると、髪に何か、冷たく固いものが触れてきた。


 しゃらんと軽い金属の音。


「鈴ばかりでなくこちらの品もどうぞ見ていらしてください、そこをお通りの奥様、お嬢様。この度、わたくしが江戸から持参いたしました数々の品、そのうちこれが最も上等の品、赤珊瑚の飾りも華やかな金細工の一本脚でございます」

 修之輔たちが足を止めている鈴を扱う金物細工の出店の隣、飾り物を売る店の親爺が売り物のかんざしを修之輔の髪に当てていた。

 飾り物の屋台の前を行き過ぎようとして立ち止まる者が続くのは、金の簪の上に赤く艶めく珊瑚の細工のせいか、あるいは簪はただの引き立て役、零れる金の輝きに縫い留められた髪の陰、つい、顕になった修之輔の秀麗な容貌に目を奪われてか。

 そうして修之輔の容貌に目を止めた者が気づくのは、その影にさりげなく守られて、纏う上質の着物はただの装束、華やかな顔立ちと気品が生まれついての良家の出であると隠しようのない弘紀の姿。

 人々の足を止めるのは、まるで物語の一場面から抜けて出たようなこの二人連れの姿だが、店の親爺は集まる衆目を己の店の人気と取って良い気分、修之輔の髪にその簪を挿したまま商いの口上を止めようとしない。


 いよいよ滑らかなその口上に次第に人が集まり始め、さすがに閉口した修之輔は店の親爺に文句の一つでも言おうとして、こちらを見て固まっている弘紀の様子に気づいた。

 どうした、と聞くと、言葉に詰まった様子でしばらくそのまま、やがてたった一言、返ってきた。

「とても綺麗だと思って」

「確かに、このような屋台で売る物にしては細工も細やかだ」

 修之輔の目線の先、客向きに誂えられた小さな鏡が修之輔の髪に無造作に挿されたその簪を映し出す。

 ただ、武家の妻女が身につけるには少々稚拙で派手に過ぎる。かといってこの値は町人にはなかなか手が出しづらく、大店の旦那が見栄で内の者に買ってやるか、好いた女の贈り物に、伊達な気風の若者が投無し叩いて手に入れるか、いずれ祭りの粋を競う噂話の格好の種にはなりそうだった。

 

 それにしてもいい加減良いだろうと簪を外すために修之輔が腕を上げると、その袖の袂が、つい、と引っ張られた。目を向けると弘紀が修之輔の袖をつかんでいる。

「あの、もう少し」

 その後に何かいいかけて、けれど直ぐに、いえ何でも、と、弘紀は修之輔の袖から指を離した。修之輔が髪から簪を外して店の主人に渡す間も、弘紀はその簪と修之輔をじっと見比べるように見つめていて、簪が売り場の桟に戻されるまでを見届けてようやく、軽く息を吐いて視線を鈴に戻した。そして目の前に並んだ鈴から一つ、迷いなく取り上げる。

「鈴はこれにします」

 弘紀の手にしたその鈴は、小さな嘴と尾が付いている千鳥を模した銀の鈴だった。可愛らしいかたちはともかく、華やかさには欠けて見えて、それでいいのか、と聞いてみた。

「音がいちばん、修之輔様の沙鳴きに似ていたので」

 弘紀は屈託ない華やかな笑顔でそう云った。

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