第3話
鈴をお包みしましょう、と店主が差し出す綿入りの桐の箱を弘紀は断った。
「このまま付けていくから」
そう云って弘紀は袴の紐に根付紐を通した。そうすれば失くしはしないだろうが歩揺に合わせて鈴が鳴る。店主は、これは店の良い宣伝だと思ったらしい。
「その鈴のこと、誰かに尋ねられましたら、是非この店のことを教えて差し上げて下さいませ」
寄越された口上に、分かった、と返した弘紀の言葉はいかにも外面だが店主は気にも留めていない。
気にしていない人物は他にもあって、ようやく楽器を見飽きたらしい礼次郎がひょいとその顔をのぞかせた。
「弘紀、鈴は買ったのか」
「買った。礼次郎は何を見ていたんだ、何も買っていないじゃないか」
「笛を見ていた。何も今買うようなものではない」
弘紀と礼次郎の今宵の用事はこれで済んだようで、ではこれから俺は神社に用事があるから、と修之輔がその場を離れて歩き始めたところ、ちりんちりん、と鈴を鳴らしながら弘紀が付いてくる。
「もう店は見なくていいのか」
「田崎に言われていた鈴は買いましたし、また明日来るので今日はもう良いです」
その返事にこれも後を付いてきた礼次郎が言葉を挟んだ。
「弘紀、私は明日、神楽の笛を吹けと言われているから一緒に祭りを見には来れない」
え、と一瞬戸惑う気配をみせた弘紀が修之輔の隣から一歩下がって、礼次郎と相談を始める。
「では、本多の内から誰か人を借りないと」
「弘紀一人で出歩けないのは面倒だな」
「ほんとうに。せめて少しは足が速い者をつけてくれればいいのに」
「弘紀の足の速さについて行ける者はそうはいないだろう。駆けっこの相手じゃないのだから手加減しろよ、相手は大人なのだし」
その年頃の友人同士らしく、弘紀と礼次郎の気負いない会話はぽんぽんと続き、神社の本宮に向かう修之輔の後ろ、何のつもりか二人はそのまま付いてくる。
単に目の前の動くものについて行くというだけにも見えて、要は特にやることもなく、時間を持て余しているのだろう。
そうして気づけば何かを探していたような修之輔の心の内の焦りは消えている。自身、何を探していたのか分からぬまま、街の喧騒と祭りの囃子、楽し気な弘紀の声に時折混じる鈴の音を背中に聞きながら歩く参道は、どこか浅い眠りに見る夢の気配がした。
弘紀と礼次郎の二人を後に連れて戻る参道の先、氏子たちが忙しく立ち働く佐宮司神社の本宮に着くと、拝殿の脇に師範の姿があった。修之輔が師範に声を掛けようとして思いとどまったのは、既に話をしている相手がいたからだ。どうも何か言い合うらしい相手は師範の父親である佐宮司神社の神主だった。
近づく修之輔に二人とも気づく気配はなく、互いの言葉に掛け合うように切れ目なく続けられる会話は、だいぶ前から続いている様だ。
「なぜもっと早くから準備を始めなかったのですか」
師範が強い口調で神主に問い掛ける。
「そなたの兄が出かけて行った切り戻ってこないのがいけない。単純に人手が足りないのだ」
気にせずどこか気の抜けた声色は師範の父で佐宮司神社の神主のものだ。
「出かけたなどと、散歩のような気安さで言わないでください。兄上が今この神社を離れておられるのは、父上からお役目を継ぐにあたってあまりにも適当に教えられたことが多すぎると」
「なに、この神社の御祭神が
「本社から派遣されてこの辺りの神社を束ねるのが我々の神社ではないですか。兄が後を継がないでどうするのですか」
「そんなもの持ち回りだろう、当番制だ」
「総締めが当番制などと、聞いたこともない。そもそも父上が数年前、この神社の縁起や故事来歴が書かれた書物をうっかり燃やしてしまったせいで、多くの古例が失われたのです」
「縁起も何もこの御社にお祀りしているのは
「神主ともあろうに、面倒臭いとは何事ですか。しかも古文書で焼き芋とは。父上はそもそも」
燃やしたのは古文書だけじゃないぞ儂の日記も燃やした、などと続ける、どことなくいい加減な神主と、父上の日記など誰が読みたがるのですかそれこそ燃やして正解ですと真面目に言い返す師範との言い合いは途切れなく続く。
修之輔が声を掛ける間を拾いあぐねて逡巡していると、様子に気づいた氏子の一人に声を掛けられた。
「秋生様、今年も奥宮をお願いいたします。すでに我らの手で境内の掃除は済んでおりますゆえ、明朝、一度この本宮にお越しください。奥宮拝殿の鍵をお渡しいたします。先ほど神主様から聞きましたが、例年のようにまた、お札をお願いすることになりますが、よろしいでしょうか」
昨年までと自分の仕事に変わることがないと知れればそれで充分、声を掛けてくれた氏子に礼を言い、まだ飽きもせず言い合いを続ける師範と神主に、気づかれてはいないだろうとは思ったが一礼し、その場を辞した。
自分の用事が済んだ修之輔は、ぐるりと神社の境内を見渡して弘紀と礼次郎の姿を探した。こちらも何やら二人して境内の能舞台の前で話し込んでいる。
近付くと、明日の礼次郎の笛の演奏をどこで聞くのが良さそうかという弘紀の相談で、この辺りの席なら本多の名前を出せば取っておいてくれるだろうかなどと言っている。
「用事は終わったから俺はこれで帰るぞ」
修之輔が二人に声を掛けると、ちりん、と鈴の音、慌てた様子の弘紀が、少し待ってください、と修之輔の前に駆け寄ってきた。
「先ほどの話ですが、明日、奥宮に修之輔様を訊ねて行ってもいいですか」
「田崎殿に行くなと言われているのではなかったのか」
「誰かいれば大丈夫なのです、きっと」
それは屁理屈なのではないだろうか。
「良いが山の中だぞ、何もない。弘紀は祭りの出店や出し物などを見たいのではないのか」
「山の中と言っても、城の裏の山ですよね。昼の間はそちらに、祭りの様子は、礼次郎の笛を聞きに来るついでに、夕方になってから来ようかと思います」
あっちもこっちも、弘紀はやりたいことをすべてやらないと気が済まないらしい。修之輔は少し考えてから弘紀に提案した。
「ならばいっそのこと明日の朝、少し早い時間になるが、奥宮への荷物持ちを手伝ってくれるか。俺一人だと少々持って行く物が多すぎる」
修之輔のその提案に、軽く首をかしげて弘紀が尋ねる。
「修之輔様おひとりでお勤めなのですか」
「ああ。他に誰もいないから掃除にも少し手を貸して貰うと助かるのだが。どうだ、手伝ってくれるか」
弘紀は嬉しそうに力いっぱい頷いた。
「お手伝い、やります」
田崎殿に話をするのだぞ、と念を入れたが、果たしてどれだけ聞き入れたものか。
ではまた明日、と修之輔と別れてからも、弘紀と礼次郎は祭りの雰囲気に浮き立つ街でもう少し遊んでいく様子で、弘紀が駆ける足音に合わせて、ちりんちりん、と千鳥の鈴が澄んだ音色を響かせた。
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