第4話
遡れば、修之輔が頭稚児を務めたあの年の祭礼は、神社への寄進がことのほか多かった。
神主がこれを機に古びた祭祀道具を作り直そうと目論んで、神輿や拝殿の建具の他、稚児の衣装を一新したのだが、なお余る。
ならば奥宮のあの錆びた鉄の塊を一度溶かして綺麗な鈴に鋳直そうと、試しに九つあるうちから一つ外して城下の刀鍛冶に預けた。しかし刀鍛冶はその鈴の鋼を溶かすことができなかった。
これはもう職人の意地で刀鍛冶があれこれと試したところ、鈴に使われたこの鋼、この国で作られているどんな刀の鋼より格段に硬い。何か高度な技術で設計され、より高温の熱を生み出せるタタラで鍛えられた鋼ではないかというところまでは分かった。
錬鉄の技術が大陸から本邦にもたらされたとき、いくつかの流派があったことが伝えられている。そのうちの一つ、今は伝承が途絶えた流派の技術だろうということだった。
刀鍛冶の使うタタラでは延べ板状に伸ばすのが精いっぱい、それ以上の加工ができず、元の鈴の形に戻すこともできなくなって、どうするかと困り果てたところ、神主が神社に奉納される刀の多くには長覆輪の誂えがされていることを思いついた。
刀鍛冶は神主の思い付きの指示のまま、曲げることはなんとか、手元にあった赤椿の仮鞘に粗面のままの鋼を張り付けたが、そうして仕上がった鞘の鋼面は、その硬さゆえ彫刻どころか磨くこともできず著しく装飾性に欠いていた。
「これでは人目のつくところに飾れぬのう」
一瞥した神主はそう言って、長覆輪の鞘はそのまま、鈴を鋳直すこと自体を諦めた。 残り八つの鈴を鋳直すための金が浮いて、その浮いた金で、刀鍛冶は元々仮鞘に収まっていた刀と長覆輪の鞘を揃えて太刀としての体裁を誂えた。
「修之輔、お前確か最近昇段したのだったな。丁度いい、昇段祝いだ、これをやろう」
神社に飾れず人を呼べないのなら不要の長物、神主は、師範に言われて神社の手伝いをしていた修之輔を呼んで、その太刀を渡した。
仮鞘に収まっていた刀は鍛冶が仕事のない時に腕を維持するために打っただけ、特に銘もない刀だったが、家がひどく貧しい修之輔にとって新しい刀というだけでとても嬉しかった。
「それからずっと俺がこの長覆輪を使っている。この鋼は神社の鈴を鋳直して作られたものなので、祭礼の時は元の鈴と同じ場所、奥宮の祭壇に奉納している」
今は祭壇から下ろして修之輔の腰に差された長覆輪を、弘紀がしげしげと覗き込む。
「だから刀身よりも鞘の方が大事と言っても良い」
よく守ってくれた、と礼を言って弘紀の頭を撫でて、あまりに子ども扱いだったかと手を止めると弘紀がそのまま修之輔の手に頬を擦り寄せてきた。
「修之輔様に褒めて頂くのがいちばん嬉しいです。それに私の刀は修之輔様の刀と揃いになるのですね。それもとても嬉しい」
そういって笑う顔が本当に嬉しそうで、つられて修之輔も微笑んでしまう。
弘紀があまり喜びすぎると、先ほどの田崎の説教も意味がなくなってしまう気もするが、それで弘紀が太刀を持ち歩くことに少しでも抵抗がなくなるのならそれでも良いのではと修之輔は思った。
田崎からの聞き取りが終わり、大膳は男からの聴取を始めた。弘紀の下に戻ってきた田崎が、大膳から聞いたという男の素性を聞かせてくれた。
それによると、これまでに城下を荒らす鍵明けの身元については既にあたりがついていて、街方の事情通の間ではだいぶ前から周知のことだったらしい。
奥宮への侵入を諮った男と女は夫婦の泥棒で、これまでも各地に出没しては小さな盗みから依頼人がつく報酬目当ての盗みまでこなしてきた、いわば盗みの玄人という話だった。
男は手先が器用なので出向いた先で目晦ましのための小手先仕事には困らず、女の方も住み込みで働くことに慣れていて、世話になっている店のみならず、懇意になった客の家にも手管を尽くして入り込み、夫の泥棒稼業の手引きをする。
今回のように大きめの祭礼があるときは稼ぎ時で、仕事も大きなものが入りやすいと、夫婦そろって入念な下準備をして黒河城下に潜り込んだ、ということだった。
現場での取り調べはここまで、あとは街の番所で行うと言って、大膳達が男らを牽いて境内から去ったのと入れ違いに、神主と師範が奥宮にやってきた。稚児行列の仕舞を終えてすぐに氏子からこの奥宮のことを聞かされてやってきたらしい。
無事だったか、と修之輔の身を案じてくれる二人に、状況を説明した。
「あんな鏡の一枚や二枚、持って行かれてもどうと言うこともないがなあ」
神主は呆れたようにそう言って、師匠はその後を継ぐように嘆息した。
「どうということもないものが原因で怪我など、ましてや命に関わることがあったらどうしようもない。無事で良かった」
「しかし修之輔を奥宮において正解だったな。札を書いてくれるし、泥棒は捕まえてくれるしで、いや、活躍活躍」
何か穀物蔵の猫のような褒められ方をしている気がする。
弘紀にも大分助けてもらった、と横を振り返ると、騒ぎが一段落して落ち着いたらしい弘紀が田崎に従者の不満を訴えていた。
「そもそも私についてこれない従者と言うのも問題がある。ある程度は私も気をつけるが、私の行動の足かせになるような者を従者には付けてほしくない。下の者の状況を考えろと言うのもわかるが、国元の兄上などそれに気を取られ過ぎてどうしようもなくなっているではないか」
主に気を使わせる従者などいらない、気兼ねなく動けるようにしてほしいと、弘紀はかなり強く田崎に迫る。田崎も弘紀の言い分にある程度理があることは承知しているのだろう、しばらく考えてひとり言のように言葉を漏らした。
「加ケ里を呼ぶか」
「加ケ里が来るのか」
その言葉を聞いた途端、弘紀の顔が明るくなる。
「しかしあの者は」
「何か事情がある者なのか」
田崎の渋る顔に聞くよりはと、修之輔は弘紀に小声で聞いてみた。弘紀は先ほどから修之輔の袖を掴んだ手を離そうとしない。
「女ながら私より足が速く、なにより話が分かる者なのです」
と、なぜか得意顔で説明する弘紀を横目で見ながら、田崎は渋面をくずさない。
「儂の直轄の配下の者で、腕は中でも一、二を争うと言って過言ではない。しかし、何というか、役者狂いというのか、江戸に出た折に見た役者に惚れ込んで、国に戻るとすぐに似ている男を囲って」
「田崎、私が国を出た時には既に違う男だった。賞玩物の賞味期限は持って一年長くて三年と言っていた」
「あいつは弘紀様に何を話しておるのか」
腕は立つのだがどうも、と田崎は苦虫を噛み潰したような顔になる。
「男に金がかかるのだとかで、仕事を金で選ぶのだ。ちゃんと払えばそれに見合う仕事をするのだが」
どうも金に意地汚い、という田崎の苦言に被せるように、金銭の価値を知っているならそれはとても信用のおける者ですな、と神主が口を挟んだ。
「父上、初対面の方に無礼が過ぎます」
あわてて師範が神主の軽口を咎めたが、当の神主はいっこうに気にしていない。
「田崎殿とは初対面ではないぞ。ともに焼き芋を食ったことがある旧知の仲だ、なあ」
田崎が神主に何か言いかけるその前、何か思いついたらしい弘紀が田崎を呼んだ。
「田崎、加ケ里を呼ぶのだったら、松風も連れてきて欲しい。松風は加ケ里の言うことなら聞くから」
あの馬もか、そうつぶやいた田崎の顔はますます渋い。
「弘紀様。それはお願いですか、それとも命令ですか」
弘紀は首を傾げて一瞬考え、にっこり笑った。
「命令だ。私はまだここにいるが、田崎は先に本多の屋敷に戻ってすぐに手配にかかるように」
「分かりました、ではさっそく」
ものすごく嫌そうな顔で田崎が了承の意を弘紀に示して、そのまま修之輔の方を向く。
「修之輔殿、すまないが今日これから、弘紀様を預かってくれないだろうか。手伝いでもなんでもさせて、用が済んだら本多の屋敷まで送り届けてもらうと大変助かる」
丁重なのか、雑なのか、判断のつかない頼まれごとを田崎のげんなりした顔色に免じて引き受けたが、当の弘紀が修之輔に纏わりついて離れない。
先ほど充分に田崎に叱られたこともあり、少なくとも今日これから思い付きで姿をくらますことはなさそうだ。結局、修之輔は表だってはっきりと弘紀の世話を頼まれてしまった、ということだろう。
「お手伝いならなにをしましょう」
華やかな笑顔をこちらに向ける弘紀は、苦り切った顔の田崎を気にも留めず、お気に入りの者たちを呼び寄せることになって、機嫌も調子も良く修之輔に聞いてきた。
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