第3話

 修之輔は、ここは男の捕縛より弘紀の安全の方を優先し、無用な攻撃よりも今この場を無事に乗り切れば良しと決めた。男の人相風体をすぐに大膳に知らせれば、城下町の出入りを封鎖し、いずれ捕まえることができる。 

 修之輔に攻撃の意思がないことを見て取った男は、手ぶりで女に先に行け、と指示した。女が拝殿の階段を駆け下りようとしたそのとき。


「弘紀様、ようやく追いつきました、なんですかあの道は」

 

 草の葉まみれの従者がひょっこりと階段の下に姿を現した。新手が来たとみて狼狽するわけでなく、何としてもこの場を逃れようとする女も肝が据わっている。従者を突き飛ばして駆け出そうとするその様子を見て、弘紀が修之輔の背の後ろから鋭く命じた。

「その女を逃がすな。捕まえろ」 

 簡潔な、しかし有無を言わさぬ弘紀のその言葉に、従者はすかさず女の袖を掴んで腕を後ろにねじり上げ拘束した。

 このやろう、と男は修之輔に切りかかる。

「祭壇の後ろに行け」

 修之輔はすかさず弘紀の体を強く押して逃れさせ、男が振りかざし切りかかってきた匕首を長覆輪の鞘で下から迎え撃つと匕首の刃と長覆輪の鋼がぶつかり、キィンと金属音が響いた。 

 刀が納まっていない鞘ではあるが、相手も匕首、太刀ほどの重量はない。鋼の粗面に匕首の刃を引っ掛けて大きく上に弾き飛ばした。

 鞘を直接握っているので刀身に当たる部分は短く、戻りの動作は少なくて済む。そのまま空いた懐に踏み込んで、肘で男の喉元を強く打ち、その体が倒れる前にさらに鳩尾を蹴り飛ばした。拝殿の床に伏す男の背中を膝で、首根を長覆輪で強く抑えていると、弘紀がさっき片づけたばかりの麻縄を差し出してきたのでそれで男の手足をきつく縛って拘束し、従者が捉えた女も後ろ手に縛って拝殿の柱に括り付けた。


 弘紀に付けられた本多家の従者に、街の役人に知らせるより、まずは手近な本多の屋敷から人手を寄越してもらうよう、伝言を頼んだ。思わぬ捕物に状況がまだ飲み込めていない従者も、本多の屋敷に知らせをという指示は理解できたようで、しばらく待つと田崎の他、数人を連れて戻ってきた。

 田崎からはすでに街の方に知らせを遣ったと告げられて、縛られた二人を拝殿から連れ出し境内で引き取りを待つ間、田崎が弘紀を呼んだ。その口調はあからさまに厳しい。

 いつもの闊達な強気はどこへやら、弘紀は耳を伏せる子犬さながらの様相で田崎の前に立つ。

「弘紀様、まず、何が起きたのかご説明頂きたいのですが」

「本宮に修之輔様のお使いで行った」

「それから」

 祭の様子を見物したがる従者に仕方なく付き合って、参道と街まで伸びる出店の並びの半ばまで見て歩いたが、すでに十分見ている弘紀は早く奥宮に戻りたかった。

 渋る従者を急かして奥宮に戻る途中、少しでも早く着きたいからあの近道を通ることにした、そう言う弘紀を田崎が睨む。

「あの者は、藪に入って山を登り始める弘紀様について行けず、立ち往生したと言っていました。従者は主君に付いてその身を守るのが仕事です。弘紀様は下の者がその仕事を成すことができるよう、気を配る必要があります。それを怠ってはなりません」

 

 首を竦める弘紀を睨んで、それから、と田崎は先を促す。従者を置いてけぼりにした弘紀が山道を上り切って奥宮に着き、拝殿の外から一度、修之輔を呼んだが反応がない。

「修之輔様なら、私の声が少し小さくても必ず聞きつけてくれるのですが」

 そうなのだろうか。弘紀の声は良く通って聞きやすいのは確かだが。 

 どうしたのだろうと、弘紀は怪訝に思いながら階段に近付いて、修之輔の草履がないことに気付いた。どこかに出ているのか、それにしては中途半端に開いた拝殿の戸の向こう、人の気配がする。怪訝が不審になり、足を忍ばせて階段を上ると回廊に鍵が落ちているのに気付いた。いよいよ様子がおかしい。 

 こっそり中をのぞくと、見覚えのない男が片手に長覆輪の鞘を持ち、祭壇の上の鏡を下に落とそうとしているところで、何をしている、と思わず大声を上げて、その途端、鏡が祭壇の脇の鈴を倒しながら床に落ちた。この音を修之輔は参道の入り口で聞いたのだろう。

 弘紀と男は鏡と長覆輪を奪い合う乱闘になり、途中で女がやってきて、あの侍が戻る前に早くしろと急かした。背丈の分の悪さで抑え込まれ、あの重い鏡で殴られそうになった時、修之輔が戻ってきたのだという話だった。

 

 腕をけっこう強く掴まれて痛かった、と弘紀が自分の肩口を覗き込んで、破れてる、と呟いた。確かに高価そうな薄手の生地が背中の方、身頃と袖の縫い目から裂けてしまっている。

「弘紀様、まず何はともあれ護衛のものを撒かないでください。そのようなことをされるとご自身の身に危険が及ぶだけでなく、今回の修之輔殿のように、周りの者にも迷惑をかけることになるのです。また太刀も。完璧に扱えなくても良いのです。この大きさの刀を持ち歩くのを許されているのは武家のみ。町人が悪心を抱いても、そこそこ扱えればそれだけで身を守るためには十分な道具なのです」

 田崎の話の途中、弘紀がこちらを見上げてきたが、ちゃんと聞け、と注意すると黙って顔を戻した。

「それに弘紀様は扱い方を全く知らないわけではない。それこそ修之輔殿に指導して頂いているでしょう。弘紀様がご自身の刀を持たなければそのご指導も無駄にしていることになるのです。ご自分の身の上、置かれている立場をよくよくご理解いただきたい」 

 再びこちらを見上げてくる弘紀の顔は、今度はひどく神妙で、申し訳ありません、と素直に修之輔に頭を下げる。田崎の言うことはもっともで、これは修之輔が弘紀に言って聞かせなければならないことでもあった。

「ちょうど良いのでこの場で報告しますが、弘紀様、城下の刀鍛冶から知らせがあって刀が打ち上がったそうです。この祭礼が終わって神主の手が空き次第、一度あの神社に奉納し、それから弘紀様の手元に届けるとのこと。以降は必ずその太刀を持ち歩いていただきます」

 わかった、と力なく頷く弘紀に、そういえばと自分の長覆輪に収めた太刀を手に取って言葉を掛けようとしたところ、参道から数人の役人がやってくるのが見えた。先頭は大膳のようだ。


「修之輔が捕まえたのか。手柄だな」

 大膳が修之輔に言ったその言葉だけを聞くと気楽にも聞こえるが、本来なら大膳たちの手で捕まえたかっただろう。

 起きたことを境内から拝殿の中へと移動しながら説明しつつ、後の調べも面倒なので大膳の手柄になるよう都合をつけてくれと修之輔は頼んだ。

「どうするかは他の者の話を一通り聞いてからだな」

 大膳はそう言って次に弘紀を呼ぼうとしたが、その前に田崎がやって来た。

「田崎殿とはどうもこういう場で顔を合わせる」

「柴田殿が働き者ということだろう。弘紀様から話を聞いているから、儂が柴田殿の調べに応じよう。それでも良いか」 

 例え調べの参考人としてであっても、役人が弘紀へ直接諮問することを強く拒む気配が田崎にはあった。弘紀が家老本多家の係累というその背景に、大膳は田崎の申し出を承知せざるを得ず、分からないことがあればその時は本人に直接聞きたい、と伝えるのが精いっぱいのようだった。 

 そうしてまずは拝殿の裏、弘紀が登ってきたあの近道の入り口に大膳と田崎が向かうのを、修之輔は拝殿の階段から下りながら見送った。

 

 捕らえられた二人は境内に引き出されて他の役人達に監視されている。

 そこから少し離れて所在無げに立つ弘紀と目が合ったので、こっちに、と呼ぶと、弘紀は小走りに修之輔の前にやってきた。

「いろいろと、私のことでもご面倒をおかけしてしまい申し訳ありません」

「いや、それより弘紀はこの鞘を守ってくれたのだから礼を言っておきたい」

 弘紀が修之輔の長覆輪に目を落とす。

「あの男と取り合ったとき、落ちた刀身が竹光で驚きました」

「刀は仮鞘に移していた。田崎殿ではないが、刀は常に身につけていないとな」

 そうですねえ、と弘紀の語気が弱い。

「それから弘紀の新しい刀、城下の刀鍛冶に頼んだのなら、俺の刀と揃いのものになるが」

 弘紀が修之輔の顔を見上げる。

「前に聞かれたが答えていなかった。この長覆輪が何故祭壇に置かれていたか」

 はい、と、弘紀が首を少し傾げてこちらを見る。話の関連が見えないのだろう。

「この鞘に貼られている鋼は、元々祭壇の脇に飾られているあの鈴の一つだった」

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