第4章 稚児行列の鉦の音
第1話
祭礼最終日は、城下から集められた数え十二歳の少年少女が稚児に扮し、その中から一人選ばれた頭稚児とともに街を巡る。行列は楽器の奏者が先導して飾られた神馬がその後に、徒歩の稚児たちの後、輿に乗せられた頭稚児が続く。
行列が神社を出る前に、稚児たちは本宮での儀式に臨んでその身に神を降ろす。半神半人となった稚児達が御神威を街の隅々にまで届けるというのがこの稚児行列の意味合いである。
今年の頭稚児は城下の大店の娘で、そこの主から神社に大口の寄進があったとは街の噂だが、商売人の思惑は外においても我が子の晴れ姿を嬉しく思う親心、頭稚児に選ばれなかった子供たちも、神社から貸与される無地の衣装では見栄えがしないと思うのか、綾衣の上着や飾りを各々身につけ、華やかなことこの上ない。
ただ、武家の子がこの稚児行列に加わることは稀で、修之輔のときは師範が神主に推薦したという事情があった。今年の行列にも武家の子息の参加はない。
この暑い中、重い装束を着て街を歩くのだから子供には大変な役目だが、時折々に家族の者が水を飲ませ、汗を拭いてやったり世話を焼く。いつもは尻を蹴飛ばされ首根っこを掴まれて家の手伝いを強いられる街の子たちだが、今日はその半身が神だからと一日限りの丁寧な扱いに小鼻を膨らませて得意がるのも祭りの風物だ。
街内ごとに、あそこの倅が、あの家の娘がと話題になるのも祭りの最終日を盛り立てる材料で、通りのあちこちに桟敷を誂えて朝から一日、友人知人を互いに訪れて集まり騒ぐ。この稚児行列が街いちばんの人気であるのも無理はない。
ただその分、奥宮はさらに静かで街の喧騒は山の下、緑の木立を吹き過ぎる風に掻き消える。
今朝はまだ日差しが朝の爽やかさを残しているうちに弘紀が従者を伴って奥宮にやってきた。
弘紀に従う従者は菓子と冷茶を持ってきていて、それを置くとまた本多の屋敷に戻っていった。昼過ぎに一度様子を見に来る、と言い残した辺り、やはり修之輔に弘紀を預けて世話をさせようということだろう。放っておくと獣道から山を登りだすような元気の余りある弘紀の従者を務めるのは大変に違いないと、さっそく菓子を食べている弘紀の横顔を見ながら修之輔は思った。
弘紀の従者が茶器に注ぎ、修之輔にも渡していった冷茶は、その香りや色といい、これまでに飲んだことのない上質なものだった。
夏の木立の色をそのまま溶かしたような翠色に茶葉の香り、渋みはなく甘みだけが舌に残る。修之輔が感嘆すら覚えたその冷茶だが、弘紀は最初に注がれた一杯を飲み干して、従者が置いて行った大ぶりの土瓶からすでに二杯目を自分の茶碗に注いでいる。
「弘紀はいつもこの茶を飲んでいるのか」
「はい。黒河の水で淹れると甘みが引き立ちますね。国元で飲んでいたときより味が濃く感じます」
その言葉からすると、本多家がつかっているものではなく、弘紀自身が持ち込んでいるもののようだ。
「修之輔様がお気に召されたようでしたら、今度お届けしましょうか」
気軽に聞いてくるが、これはそうそう気軽に頼めるようなものではないと、それは修之輔にもさすがに分った。
「心遣いはありがたいが、この場で楽しませてもらうだけで十分だ」
「そうですね、こうやって修之輔様といっしょに頂けるからこその美味しさもあるでしょうし」
いったい何を言いだすのか、と弘紀を見ると、弘紀の視線は菓子盆に並ぶ菓子の上を彷徨っている。まだ食べるようだ。修之輔の視線に気づいた弘紀が顔を上げて、お菓子もどうぞ、と微笑みながら修之輔に勧めてきた。
薫り高い冷茶にいくつもの菓子。隣に座る弘紀は、今日は微かな浅葱の帷子に色を抑えた萩の刺繍、花の色の京紫は平絽の袴に移されている。
修之輔は昨日一昨日と変わらず真白な神職の衣装姿で、二人ともに拝殿の内から境内の夏木立を眺める今この時間、この空間が、外の世界とは切り離されているような感覚を覚えて、修之輔は軽く目を閉じた。
いったい今、どのような時の中に自分たちはいるのだろうか。
蝉の鳴き声が一瞬遠くなり、代わって山の下から響く太鼓の音に続いて笛の音、鉦の音が聞こえてきた。稚児行列が神社を出発したのだろう。
夢から覚めた心持ちで目を開ければ、弘紀が飲み終えた茶器を片付け始めている。
茶と菓子の礼を言って、札を書く準備を始めるうちに、稚児行列の楽奏は次第に遠くなっていった。
そろそろ今日も札を書き始めようと、弘紀に手水から墨を摺るための水を汲んでくるよう頼んでその間、修之輔はまだ書き付けていない白い札の枚数を数えた。残り少ない気もするが、これまでのようにまた後で、新しいものが届けられるのだろう。
開け放った拝殿の外を眺めると、弘紀が手水の手前、咲き遅れの青い萼片が残る紫陽花の前に立ち止まっているのが見えた。弘紀の袖の袂、袴の裾にかかる紫陽花は、まるでそのまま着物に施された花刺繍の様に見える。
しばらくそのままで弘紀は動かず、どうかしたのかと、一昨日の様子を思い出して修之輔が立ち上がろうとしたとき、その紫陽花から大きな黒い蝶が飛び立った。
弘紀は、もうそれを捕まえる気はないらしく、鱗粉を虹色に光らせて頭上を飛ぶ蝶を目だけで追って、山の中へ飛び去るその姿を見送ってから足取り軽く拝殿の中に戻ってきた。
「あの蝶の雄と雌の違いが分かるようになりました。尾のところの長さと模様が違います」
得意げに語る弘紀の報告を聞き、修之輔は蝶に雌雄があることに今さらながら気付く思いがした。
昨日一昨日と同じように、弘紀に手伝わせながら粛々と札を書いていく。
昨日書いた札の墨はもう乾いていて、昼に来た本宮からの氏子にまとめて渡すことができたが、その氏子が神主からの伝言として伝えてきたのは、稚児行列の見物にまた人が集まってきたから今日書いた分も乾き次第、すぐに本宮に持ってきてほしいとの催促だった。
足早に奥宮を去る氏子の後ろ姿に、墨がなかなか乾かないのだが、と言いそびれた愚痴をこぼすと、弘紀が祭壇の裏から何かの箱の蓋を持ってきた。
「これで札を煽いで乾かしてみてはどうでしょう」
やめろ、と修之輔が止める前に、弘紀は既に蓋を大きく振りかぶっていて、えい、という掛け声とともに札が四方八方に吹き飛んだ。
慌てて札を拾い集めた後、次に弘紀が祭壇の裏から持ってきたのは麻縄の束で、これに下げてまとめて乾かせればいいのに、と言い出したが、そうなるといよいよこの奥宮が刷り物屋の作業場になる。
「なにか思いついたら後で試してみよう。とりあえず今はここに書き上がっている札を並べて乾かしてくれないか」
曲げたり伸ばしたり、縄の使い道に思案顔をしていた弘紀は、そうですね、と諦めて、縄を片付けた。山の下では華やかな祭礼が執り行われているのに、この山の中、何をばたばたしているのかと呆れるのを通り越して次第に可笑しくなってきた。
本多家の者がその後、言葉通り昼過ぎにやってきて、やけに忙しく働いている二人の様子に驚いて、何か手伝いましょうか、と声を掛けてきた。
その言葉こそ渡りに船と、修之輔は、弘紀と共に本宮まで札を届けてもらうことにした。
「良いですよ、弘紀様の本宮へのお遣いに付いて行くだけでございましょう」
従者は思った以上に乗り気で引き受けてくれた。祭りだというのに今年はずっと屋敷の詰め番で、山を下りることすらできず腐っていたのだという。
曲がりなりにも本多家から弘紀のために使わされた従者に札を持たせて、本宮まで届けてほしいと頼むわけにはいかないが、弘紀に従う仕事なら大丈夫だろう。
弘紀一人に札を持たせて本宮に行かせるわけにも、奥宮の留守番において置くわけにもいかなかったので丁度良かった。これで修之輔が奥宮を空けずに済むし、その間、また何枚か札を書くことができる。
「祭りの様子を少しでも見られるのはとても楽しみです。こちらをお屋敷に返してすぐに戻ってきますので、その間お待ちください」
従者は茶器を持って、喜色満面、早足で表参道を下って行った。
その従者の様子とは裏腹に、弘紀はあからさまに不満そうな様子だった。
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