第10話 告解
大聖堂は、白く輝くような石造りの建物だ。初めて目にした時は、こんな白一色の建物が雪以外にこの世に存在したことに驚き、畏怖した。
でも白は常に白じゃない。曇った日はねずみ色に近く、夜は闇に溶け込むように黒い。
満月の時は逆に輝きを増し、黎明や夕暮の時は太陽と同じ朱に染まる。
白は常に、天地を映す鏡。地を駆ける人のことなど、天上の神々はすべてお見通しだと言わんばかりに。
放課後、クリスティーナと別れた僕は家路をそれてこの大聖堂に来ていた。外界を隔てる重厚な扉を押し開け、中に入る。
大聖堂の中は正面中央に茨の冠をかぶり磔にされた神の像と祭壇があり、その前の空間には幅の狭い長机と長椅子が何十列にもわたって並べられている。
休日の朝や祝祭の日の番にはこの机が祈りを捧げる人たちで埋め尽くされるが、今は祈りを捧げに来た人たち数人しかいない。
皆一様に手を組んでひざまずき、災厄で死んでいった人たちが天国では安心して暮らせるように祈っていた。
そこに、僕と同じ年頃の若い少女がいた。シスターたちと同じ濃紺の服に身を包み、栗色の髪のひと房を、三つ編みにして垂らして常に微笑を浮かべている。
カーラ・フォン・カルダーだった。
十字架の前で手をくんでひざまづいている彼女は、身にまとった修道女の服ともあいまって、許しを乞う罪人のようにも見える。
ひざまづいて祈るその姿は敬虔な信徒のお手本といった感じで、朝クリスティーナにあんな目を向けた子と同一人物とはとても思えない。
真剣に祈りを捧げる彼女に声をかけるのがはばかられ、しばらく入り口の前に立っていると。
祈りの言葉が止み、闇夜の空のような濃紺がゆっくりと立ち上がる。
「何か、教会に御用ですか?」
周囲で祈っている人たちの邪魔にならない程度の声で、そう話しかけてくる。
穏やかに細められた瞳からは、今朝クリスティーナに向けていた敵意はみじんも見えなかった。
「いや、君を探してた。ロザリオをしてたし、朝から来るくらいだから放課後もいるかなって」
「見たところ、信者ではないようですけど…… 詳しい話なら私より司祭様に聞かれては? それとも、お祈りですか? 聖堂は祈りを捧げる人を拒むことはありませんから」
「いや、そうじゃないんだ」
「では告解ですか? 懺悔室はあちらになります。誰にも言えないことでも、解決策が見えなくても口に出して誰かに聞いてもらうだけですっきりすることもありますよ」
カーラが指し示した先の部屋には、顔をベールで隠した信者らしき人が入っていく。
「そうでもない。ただ」
その先の言葉が、出てこない。どうやってもカーラを問い詰めるような言い方になってしまう気がして。はじめはそのつもりだった。
「今朝のこと、ですよね」
カーラは細められた目はそのままに、声のトーンだけを自嘲気味に変えた。
「なんで、クリスティーナにあんな風に言ったの?」
これが、通学途中にも見た子なら放っておいただろう。クリアも、口が悪いだけだ。傷つけようとする意志のない悪口は、人の心をたいして傷つけない。
だけど、カーラは逆だった。わずかな言葉に秘められた禍々しいほどの悪意。
こんな存在が同じクラスにいるのを、放っておくわけにはいかない。
「場所を、変えましょうか」
「ここなら人はめったに来ませんし、来ても告解だと思って聞き流してくれます」
大聖堂の脇、教会の隅の小さな部屋が懺悔室だ。
人一人がやっと入れるほどの小さな部屋に机が置かれ、お互いが向かい合って座る。
ただし中央が板戸で区切られており、顔は見えない。
だが声だけは聞こえるように胸の高さまでは隙間がある。
普段は悩みを抱える信者とそれを聞く神父が座る場所に、学生が二人、座っていた。
「何から、お話ししましょうか……」
カーラが濃紺の修道女服からはみ出た指を、そっと組んだ。
「身内の恥をさらすようですが…… 私の家は、父の浮気が絶えないのです」
「もちろん殿方ですから、多少の火遊びはやむを得ないこともあるかと。それでも、顔も知らない兄妹が十を越え、一年のほとんどを違う女の家で過ごすとなると。さすがに母も許せなくなったようで」
「私は、両親の罵声が飛び交う家で過ごし、砂を噛むような思いで食事を食べて育ちました。怒鳴り声が大きくなる時は、ベッドの中で耳をふさいで丸くなっていました」
板戸に遮られてカーラの顔は見えないけれど。隙間から見える指が強く握り締められた。
「ということは……」
「お察しの通りです。妾や側室と聞くと、その頃のことを思い出して、嫌な気持ちがあふれ出るのが止められないのです。クリスティーナさんには、ひどいことを言ってしまいました」
「生まれてくる子には何の罪もない。わかっているはずなのに。習ったはずなのに。でも、心が許してくれないのです」
胸元から取り出したロザリオを、そっと胸に抱く。
「少しでも気がまぎれればと、教会に足しげく通うようになったのですが。こんな醜い行いでは、信者失格ですね」
「身勝手、ですよね…… 恋や愛は尊いものなのに、それが自分の納得いかないものだと、許せないなんて」
カーラはそう言って、背もたれに体を預けた。憔悴したかのように全身から力が抜けてしまっている。
「そんなこと、ないと思うよ」
僕は思わず、そう言っていた。
クリスティーナを侮辱したことは許せないけれど、こんな風に自分で自分を責める子を見捨ててはおけない。
「誰だって好きなものもあれば嫌いなものもある。言いっぱなしで自分のこと悪いなんて思ってないならともかく、こうやって自分の心を痛めつけるくらいに反省してるわけだし、いいんじゃない?」
「いいの、でしょうか……」
机の上で、カーラが手を握り締めた。
「人を許せない、こんな私を神様はお許しにならないでしょう」
「いいんだよ。神が許さないなら僕が許すよ」
彼女のこぶしに、ひとしずくの水滴が零れ落ちた。
「そんな神様をないがしろにするような言葉…… 神父様が聞かれたら、お説教ですよ?」
「いいんだよ。僕は信者じゃないし。お説教、どんとこいだよ」
少し冗談めかしてそういうと、カーラが笑った。顔が見えないけれど、そう確信できた。
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