第9話 泥棒猫
「おはよう!」
「……おはよ」
王都を走る運河が、金の粒を散りばめたかのように輝いていた。朝日の下で僕とクリスティーナは運河にかけられた橋を渡り、登校する。
近隣の山から流れる川の流れを土魔法と水魔法で変えた運河は、王都の中心部を二股に分かれて走行している。
青いせせらぎは積み上げた石によって護岸された川岸に心地よい音を立てていた。
晴れた初夏の日の風は暑さを感じさせるものの、庶民の家が二軒は入りそうな幅の運河は涼しげな風を運ぶ。
運河の外から歩いてきた僕に対し、マギカ・パブリックスクールの制服を着た生徒たちが時々失笑を浮かべる。
マギカ・パブリックスクールに通う生徒は貴族で、領地以外にも王都に別宅がある。そして位の高い貴族ほど王宮がある中心部近くに居を構えている。
二股に分かれて王都の中心部を東西から守るように走行する運河は、わかりやすいランク付けの線となっているのだ。
「おはようございます」
カーラが貴族の居住区からも、学校からも違う方向から歩いてきた。
その疑問が顔に出ていたのか、カーラは微笑して答える。
「朝のお祈りを、聖堂で済ませてきましたから」
そう言って軽く目元を緩ませる。それだけで汚れた何かが洗い流されるような気持になって、胸の奥がほっとする。
クリスティーナは普段表情に乏しい分口元を緩めた時の破壊力が半端ないけど、常に微笑を浮かべているカーラのそれはどこか人を安心させる力がある。
多くの人が祈りを捧げる教会で、時間を過ごしてきたたまものだろうか。
彼女が歩いてきた方向には王都では王宮と並んで最も高い建造物がそびえていた。
王都に真っ白なペンを突き立てたかのようにそびえたつ鐘楼を持つ大聖堂は、信仰熱心な人たちの心の支えとなっている。
災厄で亡くなった人たちの慰霊を取りしきるのが、教会の重要な役目だ。
正直神様なんてあまり信じてはいなかったが、大切な人が亡くなったときは神様にすがりたくなるらしい。
僕の生まれた北部でも小規模だけど災厄があって、大勢の人が亡くなったことがあった。
亡くなって泣き叫ぶ人、自分が生き延びたことに後ろめたさを感じる人、遺体が収められた棺の前で涙をこらえる人。
色々と見てきたけど、同じ境遇の人同士で語り合うと少し心が楽になるらしい。そういった人と人とのつながりも教会が橋渡しをしている。
「ご一緒しても?」
そう言いながらも。カーラは僕らの隣に並ぼうとはしない。
クリスティーナは僕とカーラに突き刺さるような視線を向けていた。僕はおろおろして、カーラは悠然とその視線を受け止めていたけれど。
「……ヴォルトがいいなら、別に構わない」
そうクリスティーナが言ってから、ようやく隣に並んだ。
二人とも、どこか似ている。クリスティーナは人をできるだけ近づけないところがあるけど、カーラはそれでも近づいていく。
三人で、運河沿いの道を歩く。近くの公園には噴水が虹を作っていた。
白を基調とした石畳の道には、徐々に白のワイシャツ化ブラウス、黒のズボンやスカートに身を包んだマギカ・パブリックスクールの生徒の姿が増えてきた。
「お二人は、許嫁と伺いましたが」
「……そう。言った通り」
「仲睦まじそう、そう思い声をかけさせていただきましたがうらやましいです!」
許嫁、という言葉にやけに食いつきがいい。
基本的にダウナーというか、感情の起伏が乏しいタイプでクリスティーナと似ていると思っていた。
だが許嫁とか結婚話とか、そういう話題に関しては目を輝かせるのだ。
どこか、昏い雰囲気をまといながら。
「……親が何の断りもなく勝手に決めただけ。でも意外と気が合って、ほっとしてる」
ぎこちなくも和やかな時間を楽しんでいたのに。僕らの後ろから、揶揄するような不快な声が響いてくる。
「また、クゥオーク家の妾の子が歩いていますわよ」
「恥ずかしくないのかしら」
「平民との混じり物が」
大声でののしるのでも、石を投げつけるのでもない。
ただ声の調子や雰囲気だけで、自分たちとクリスティーナの間に見えない、絶対的な壁を作るのだ。クリアの軽い悪口程度とはわけが違う。
その壁は隔てられた方の心を、プライドをむしばみ傷つけ辱めていく。
対抗する手段はたった一つ、耐えることしかない。
クリスティーナはいつか見た、死んだ魚のような目になっていた。
表情から感情が一切失せ、水色の瞳は景色を映さず、僕でさえ拒絶するかのようなぴりぴりとした雰囲気をまとう。
カーラは、どう思っているのだろうか。優しそうな子だからクリスティーナを慰めるのだろうか、こころない言葉を発した彼女たちに神の名で説教するのだろうか。
だけどカーラのとった行動は、僕の想像したどれとも違っていて。
クリスティーナを、親の仇のような目でにらみつけて、こぶしを握り締めながら毒を吐く。
「泥棒猫。妾の子が偉そうに」
吐き捨てるようにそう言って、足早に学園への道を急いでいった。
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