第6話 これで勝ったと思うな
それから、夕暮れの街を歩いていく。王都の中心部から離れたこの区画は雑貨や果物、野菜などの露店が多く買い物客でにぎわっていた。
クリスティーナの屋敷に近づくにつれて露店は少なくなり、代わりに塀に覆われた屋敷が目立つようになっていく。
「……ここまででいい」
王都を走る運河に差し掛かった時、クリスティーナがそう言った。確かにここで僕の屋敷と彼女の屋敷とは別方向になる。僕の屋敷は北、彼女の屋敷は南側だ。
「いや、せっかくだし送っていくよ。許嫁なんだし」
「……無理しなくていい」
「わかった。そんなに言うなら」
僕はそう言って、南側への道を歩み始めた。いぶかしげに僕を見つめる彼女に対し、僕は答える。
「君を送っていく方が、僕にとっては無理じゃないから」
「……好きにすれば」
運河にかけられた橋を渡り、王都の中心部に近づいていく。王城が夕日を浴びて茜色に染まり、教会の尖塔が王都に影を落としていた。
ここらまで来るとほぼ伯爵・侯爵家クラスの屋敷のみが立ち並ぶ。僕の身長よりはるかに高い塀の間を、家の紋章を付けた馬車がゆったりと進んでいく。
「あれは……」
僕は思わず声を上げる。
今まで見た中で最も格調高い車箱を引く精悍な白馬、中に乗る深紅の髪の少女、さらに車箱に彫られた紋章。
「……アールディス侯爵家」
国王の弟君の家で、名実ともに王都最高クラスの家柄だ。双子が今度マギカ・パブリックスクールに入学してくると聞いている。
「……美人だね」
思わずつぶやいた僕の言葉に、クリスティーナが珍しくジト目を向けた。
「ご、ごめん!」
「……気にしてない」
そう言い捨てると水色の髪の少女は屋敷への道を急いでいく。
もう少しでクゥオーク家の屋敷にたどり着こうかというとき、それは起こった。
召使を連れて歩く、一人の貴族とすれ違った。屋敷にいるときのクリスティーナと同じような清楚かつ色気のあるドレスを着ている。だけどその表情はまるで違って。獲物を狙う狐のように歪んで細い目をした、意地悪そうな女子。
軽く会釈して通り過ぎようとするけれど、
「待ったらあ? 妾腹の子」
狐目の女子はそう言って僕たちを呼び止めた。
無視すればいい。聞こえなかった振りをすればいい。なのにクリスティーナは立ち止まり、ゆっくりと狐目女子とその召使の方向を向いた。 召使は二十そこそこのイケメンで、黒い燕尾服を身にまとい隙のない立ち姿をしている。
クリスティーナは今まで聞いたことのないような寒々とした声を出し、ゆっくりとつぶやく。
「……何の用?」
「『遊び相手』として声をかけたわあ。優れた血筋のわたくしがあなたごときに声をかけるのは屈辱ですけどお」
末広がりに語尾が大きくなる独特のしゃべり方、見下したような目線。
「平民の血が半分混じった分際で、どこまでマギカ・パブリックスクールの授業についていけるか、疑問ですわあ」
「……そんなに悔しければ、魔法で私を追い越せばいい。いつでも受けて立つ」
どこまでもバカにしきった物言いなのに、クリスティーナはどこ吹く風で淡々と、いつも通りに答えた。
「汚い物言いですわあ。娼婦を母親に持つと、優雅さに欠けますわあ」
クリスティーナはその言葉に色をなし、狐目女子の胸倉をつかみ上げる。
「……母様を、悪く言うな」
さすがにまずい。これ以上は魔法を使ったケンカになるかもしれない、そう感じてクリスティーナをかばおうと前に出るが、押し止められた。
「……ヴォルトは黙っていて。これは私の問題」
「主のコミュニケーションに口出しするのは、無粋というものでしょう」
イケメン燕尾服にも前に立ちふさがられ、僕は振り上げかけた手を止める。
「それで、そちらの方は何者ですのお。やっと召使をつれて歩ける身分になった、ということかしらあ」
今までずっとガン無視されていたけれど、やっと僕の存在を認識したらしい。クリスティーナから手を放し、傲岸な目線で僕を見据えた。
「ヴォルト・フォン・ヴィンセント。子爵家の跡取りで、彼女の婚約者だよ」
「こ、婚約者……」
その単語を聞いた途端、目の前の意地悪そうな少女は泡を食った。目を大きくしばたかせて、僕とクリスティーナの間で視線をさまよわせる。
なんだ? そんなに驚くようなことか? 貴族同士だし、早めに婚姻関係を結ぶのは珍しくないだろう。
「わたくし、クリア・フォン・クスケと申しますのお」
こめかみを引くつかせながら、ドレスの裾を軽くつまんで足を引く、淑女のあいさつをする。
「それでヴォルトといったかしらあ。あなた、この女のどこがいいのかしらあ? 屋敷が近いから何度か話したけどお」
「うつむいてろくに喋らず、いつも仮面をかぶったような顔をして」
「こちらからの声かけにろくな返事もできず、話すことは魔法の話し程度」
「あなた、気まずくありませんでしたあ?」
「どうせ当人たちに何の相談もなく、親同士が勝手に決めたものだわあ。そんなので、幸せになれるわけないわあ」
一般論をただ並べているだけで、クリスティーナを相手にしていた時のような言葉の切れがない。
でもクリスティーナを、婚約者をバカにされたことには腹が立った。だから僕が代わりに言い返す。
「勝手なことばかり、言わないでよ」
自分でも、自分が怒っているのがわかった。クリアが少しのけぞって、手を体の前に掲げ自らをかばうようにする。
「声かけに返事しなかったのは、貴族の世界が嫌いだからかもしれない。君が嫌いだからかもしれない」
「魔法の話はすごく面白くて、ためになることばかりだった。気まずい場面はあったかもしれない。でもそれ以上に、彼女といるのは楽しかった」
「絹糸みたいな髪の艶も、林檎に白い布をかぶせた見たいな頬の色も、水色の瞳も、みんな綺麗で、」
「そ、そうですの。お邪魔しましたわあ」
クリアは顔を真っ赤にしながら僕の言葉を遮った。召使を伴って僕らに背を向ける。
「これで勝ったと思わないことですわあ!」
そのまま、尻尾を巻いて去っていく。スカートのすそをひったくるようにつかみ、駆け足で通りの奥へと消えていった。
その様子に、呆気にとられるけれど。しばらくすると、クリアの顔色と自分の言ったセリフが思い出される。
頬が熱くなってきた。
同時に、クリスティーナの顔が恥ずかしくて見られない。
「……ありがとう」
でも僕にかけられたのは、暖かい声だった。
人もまばらな通りに響く、かすれるようなクリスティーナの声。すがるように僕の服の裾をつかむその指先の白さ、細さに。彼女のうるんだ瞳に。自分のしたことが間違いじゃないと思えた。
「……かばってくれて、嬉しかった。いつもあんな感じで突っかかってくる。普段はたわいない悪口程度なんだけど、今日はひどかった。 ……理由は、なんとなくわかったけど」
なぜか僕の事をジト目で見る。
「……ああいうの、好み?」
僕は全力で否定した。顔は悪くないけど言葉が汚すぎる。クリスティーナは僕の返事に、肩をすくめて軽く笑みを浮かべた。
「……わかりやすい小物というか、あの毒舌が災いしてあんまりモテないから。ああしてマウント取りたがる。今回も、私に先に許嫁ができたのを悔しがったんだと思う」
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