第3話 庶子
クリスティーナとの面会が終わり、今度は彼女の家にお邪魔することになった。
昨日の様子から正直気が進まないけれど仕方がない。
彼女のクゥオーク家は王都の中心部からやや外れた位置にある。中心部に近いほどに家柄が高くなることから考えると、貴族の家柄としては中の中か中の上くらいか。
執事さんに案内されてたどり着いたのは、白を基調とした壁が印象的な立派なお屋敷だった。
王都の端に近い位置にある僕の屋敷に比べてはるかに大きい門扉に圧倒されながら、中に入る。大勢の召使、屋敷のいたるところに置かれた調度品。
廊下に敷かれた緋毛の絨毯の感触を楽しみながら、屋敷を奥へ奥へと進んでいく。いったい部屋がいくつあるんだ? 思わず口に出しそうになる。
屋敷の端の方にたどり着いたころ、召使の一人がドアをトントンとノックする。
「ヴォルト・フォン・ヴィンセント様をお連れしました」
「……入って」
聞こえるか聞こえないかという大きさの声でそっけない返答。
少し不安に感じながらも、僕は彼女の部屋に入った。
「……退がって」
召使は重々しくうなずき、丁寧にドアを閉めた。これでこの部屋には僕とドレスを着た彼女の二人きりになる。
あの日見たミルクのような肌と、少しかがめば見えてしまう白い谷間を思い出し思わず胸が高鳴る。もう一度見たいと思いながら、話題を探した。
「義父さんは?」
「……忙しい。二人で会えって」
あまりにもそっけない返事。仕草も、髪と同じ青い目で僕を一瞥しただけ。昨日にも勝る塩対応だ。
でも。クリスティーナの部屋に入って圧倒されたのは、調度品でなく書籍の多さだ。
平民の家の平屋ほどの高さがある天井に届くほどの本棚に、隙間なく詰め込まれた革表紙の本。背表紙のタイトルを見ると、すべて魔法の本だ。
彼女は魔法の才にあふれていると聞かされていたけど、本当らしい。
「……父上が、用意してくれた」
彼女はそう言いながら、部屋の中央のローテーブルに準備されたポットから琥珀色の液体を注ぐ。
白磁のカップに満たされたそれを、僕は受け取った。
「美味しい」
思わず声が漏れる。渋みを感じさせない上品な苦み、鼻からすっと抜けていく心地よい香り。
僕の家で出す質の悪い茶葉とは大違いだ。
「でもなんで、召使に淹れさせないの?」
「……私の生まれなら、こうするのが当然」
闇を感じさせる声音に、思わず背筋が伸びる。
「……私は正式な伯爵家令嬢なんかじゃない。妾の娘でしかない」
クリスティーナはそう言いながらも、上品な仕草でお茶をゆっくりと喉に流し込んでいく。それから音もたてずにカップをソーサーに置いた。
「……この屋敷に来てすぐの頃は、使用人たちも気を使ってくれたけど。私の態度が、貴族らしくないのか、この頃は放置されることが増えてきた」
「……あなたも余りものを押し付けられて、迷惑だと思うけど。家の都合だし、仕方ない」
まただ。
彼女がまた、仮面をつけたかのような無表情になる。
そんなことない、と否定するのは簡単だ。可愛いとか、褒める言葉の一つも言ってあげれば喜ぶのかもしれない。
それが彼女の求めている言葉なのかはわからない。まだ僕は、クリスティーナのことについてあまりにも知らなさすぎる。
でも、何も言わなければ何も始まらないから。僕なりに、正直な気持ちを伝えていく。
「君がどんな思いでこの婚約を受けたかは、わからないけど。少なくとも僕は迷惑には思ってないよ」
「……どういうこと?」
言葉の色が明らかに変わり、僕に関心を向けてくるのがわかる。
表情の変化は乏しいけれど、本好きなだけあって好奇心旺盛らしい。
でも、この子はきっと嘘やお世辞が好きなタイプじゃない。
だったら、僕の出来ることは。ありのままの気持ちを話すことだけだ。
「正直に言うとね。はじめは、不安だったよ」
ティーカップをソーサーに置いて、話を始める。
「『あの』クゥオーク家の娘で、魔法がすごくうまいって。そんな子が何で僕みたいな田舎領主の息子の嫁に来てくれるのか、疑問で仕方がなかった」
「五年前のことで縁があったから、としか父さんは教えてくれなかったし。でもそんなうまい話があるのかって」
「……うまい話?」
「君の出自くらいは、父さんが教えてくれたよ。でも田舎貴族からすれば、伯爵家の娘ってだけで気おくれしちゃうから。まあ、どんな性格の子だろうって不安だけはぬぐえなかったけど」
「一人で考えてると、どんどん余計なことばかり考えちゃって、君と初めて会う前の晩は眠れなかったくらいだよ」
それを聞いて、クリスティーナが口元に手を当てて笑った。
彼女が僕の話で笑ってくれたことがすごくほっとして、同時に嬉しくて、彼女の笑顔に見惚れた。
「……私そっくり。私も、前の晩はあなたと同じだった」
それから、彼女も自分の話をしてくれた。
平民の母親と暮らしていた時のこと。急に貴族の屋敷に引き取られ、反感を覚えたこと。
でも逆らっても、貴族の権力と母親を人質にされている時点でどうしようもなかった。
そしてある日、僕との縁談話が持ち上がって。
今までに一番強い反発と不安を覚えた。
貴族というのは顔も知らない相手と結婚すると聞かされてはいたけれど、人生を根こそぎ父親の命令で動かされている気がして。
前の日は相手、つまり僕のことを考えて夜も眠れなかった。
僕も父さんも家柄のためか負い目を感じていることがわかり、いらいらしてきつく当たってしまったこと。
「……あの時は、ごめんなさい」
それからも、吐き出すようにクリスティーナは生活の不満を吐き出していく。
屋敷での息苦しい生活、妾の子としての差別など。
決して口を挟まずに、軽く相槌だけを打って聞いていく。彼女の会話を乱さないよう最大限の注意を払う。
「……不思議」
「何が?」
クリスティーナはひとしきりしゃべった後、そうつぶやいた。
心なしかさっきまでより表情が柔らかくなっている気がする。
「……会って二回目なのに、ここまで話したのは初めて。なんだか、話しやすい雰囲気があって。愚痴ばかり聞かされて気を悪くしたなら、ごめんなさい」
彼女が座ったまま頭を下げたので、また肩から胸にかけてのラインがチラ見えする。けどさすがに今回は色気のある気持ちにはなれなかった。
「そんなことはいいよ。それより本を読ませてもらってもいい?」
クリスティーナが立ち上がり、雪のように白い指先で本棚から本を二冊抜き出す。
渡してもらうときに指同士がわずかに触れて。
胸が見えた時よりも、もっと胸が高鳴った。
紅茶の香りがかすかに漂う中、僕とクリスティーナがページをめくる音だけが響く。
屋敷のはずれにあるこの部屋には屋敷の中も、外からの喧騒も遠く読書に集中できた。
かなり早くに魔法を習得したというだけあって、蔵書はどれもレベルが高い。マギカ・パブリックスクールの一年が読むような内容じゃないだろう。
でもクリスティーナは、将来のお嫁さんは。ページをめくる手は一定のリズムで、全く疲れた様子がない。ロングヘアと同じ色の瞳が好奇心に輝いている。
たまに目にかかる髪をかき上げる仕草に、心奪われる。
ひょっとしたら、最上位魔法を先に習得されるかもしれない。
そう思うと負けん気が高ぶってきて、僕も負けじとページをめくっていく。
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