第2話 婚約

 十五歳の誕生日。今年の春、国立マギカ・パブリックスクールに入学する僕、ヴォルト・ヴィンセントは将来のお嫁さんを紹介された。

 正装をさせられた後屋敷の一室に行くように言われ、そこで彼女と出会った。 

絹糸が流れるように輝く、水色のロングヘア。林檎に白い布を被せたような色の頬。

肩を大きく露出させた水色のドレス。腰のベルトに差したのは水魔法の使い手の証しである

ミズナラの枝。

そして隈の出来た瞳、仮面をつけたかのような無表情。この婚約に乗り気じゃないのがありありと伝わってくる。

「今日この出会いを、うれしくおもいます。両家のきずなが深からんことを」

 彼女はこのような短い返事か、定型文のような会話しかなかった。

 でも軽く頭を下げた拍子に、鎖骨から胸の谷間のラインがはっきりと見えた。顔も手も肌は真っ白だったけど、日に当たらない胸の白さは搾りたてのミルクを思わせるほどで。

 ドレスのフリルに隠された胸は、谷間が深くて。

思わず顔が沸騰するかと思うほどに熱を帯びる。

隣に座っている父さんの反応が気になったが、幸い頭を下げた拍子にロングヘアが陰になったのか、斜め前にいる彼からは見えなかったらしい。

ずっと委縮しっぱなしで、気が回らなかっただけだろうけど。

父親の反応を不快に感じているととらえたのか、

「何分照れ屋でしてな。人見知りもする性質で」

 彼女と同じ色の髪をしたおじさんが、笑顔も見せずにそうフォローする。

「……人見知りで、ごめんなさい」

 クリスティーナの発言に空気が重くなったけど。

「はっはっは! 巧言令色鮮し仁、と申しますからな。なーに、これから仲良くなって行けばいい」

 僕の隣に座っていた父さんが陽気な声と共に僕の背中を叩くけど、その手のひらに汗がにじんでいた。それから僕にだけ聞こえるくらいの大きさで、重々しく告げる。

「うまく立ち回るのだぞ。この結婚が上手くいかねば…… わかっているな」

 テーブルの向かい側に座る彼女たちには決して聞こえないように僕を脅してくる。しかも表情がごく自然な好々爺といった風だから、手に負えない。

 僕は肩が強張ったけれど、彼女は父さんの笑顔につられたらしい。

 能面のような表情が一瞬だけほころぶ。春の小川を銀色の鱗を輝かせて泳ぐ小魚のように、活き活きとする。

 これが僕の婚約者、クリスティーナ・クウォーク。

 その後二人だけで話すように、と言われて父さんと彼女の父親は退席した。

 何を話そうか迷っていると、彼女の方から口を開く。

「……別に、さっきの君の父親みたいに負い目に感じる必要はない。五年前のことは、大人同士の取引。私の手柄じゃない」

「……今回の婚約も、親が決めただけのもの。私もあなたも、人身御供。その点は同じ」

「そんな言い方、しないでよ」

 不幸になることを受け入れているような物言いが、癪にさわる。

「……どうして?」

 クリスティーナはまるで意表を突かれたかのように、疑問を口にした。

「……私はずっと、そうだった」

結局初日の顔合わせは、全く盛り上がらずに終わってしまった。



 三年前、僕の屋敷の一室。

 インクで染めた分厚いカーテンは、星と月の明かりさえ部屋の中に通さない。

 明かりは、部屋の中央のテーブルに備えられた一本の蝋燭だけ。

一本の蝋燭の周りに四本の杖が輝きを護るかのように置かれ、僕の向かいには家庭教師の一人で基礎魔法学の担当、ヨーゼフ先生が座っていた。

 普段柔和な光を称えている、糸のように細い目。今は刃のように鋭く、僕を見ている。

 どんな些細なことでも見逃すまい、とするかのように。

「では、始めよう」

 そう言って蝋燭の明かりを吹き消した。

 ヨーゼフ先生の残像が少しの間だけ闇に浮かび、やがて消える。自分の手の輪郭さえもわからない真の闇が訪れる。

 僕は蝋燭を倒さないように注意しながら、手を伸ばした。

 最初に触れた杖は、わずかに芳香がただよう木目がまっすぐなものだった。

「……」

 違う。

 次に触れたのはさっきより重たく感じる杖。

 これも違う。

 三本目に触れたが、これも違った。

 最後。消えた蠟燭を挟んで向かい側にある、四本目の杖に触れようとする。

 だけどその手が途中で止まった。

 ひょっとしたら。今までの三本と同じ結果だったら。そう思うと、怖くて仕方がない。

 消えた蝋燭の臭いが、鼻につく。

 自分の吐息さえ、耳の奥で響くかのようだった。

 見えないはずなのに。暗闇の中の先生と目が合った気がした。

僕の想像の中の先生は、刃のように鋭かった目は、今はいつものように柔和な光を称えている。その目に後押しされて。僕は四本目の杖に手を伸ばした。

 今まで消えていた蝋燭に灯がともった。


「おめでとう。君の使用する魔法は、土属性だな」


 ヨーゼフ先生のその声は、闇を照らす蝋燭の光のように暖かかった。

 この儀式は、魔法使いになることを志す貴族の子弟に対し、行われる。

 暗闇の中で感覚を鋭敏にし、使用する四大属性にそれぞれ適応する杖に触れる。

 自分に合った属性の杖に触れることで蝋燭に灯がともるのだが、中には魔法の適正がない者もいる。

 四本目の杖は、振るとわずかにしなる感じがした。今までの杖より弾力性があるらしい。

「授業で教えたと思うが、土属性の魔法に使用する杖はトネリコの枝だ。弾力性があり、建築資材にも使用される。秋には渋みの強いどんぐりを実に付ける」

 僕は自分の手になじんだトネリコの杖を軽く振ったり、握ったり、影を作ったりする。

 嬉しくてうれしくて、仕方がない。

 これは入り口に過ぎないけれど、僕もようやく魔法使いの仲間入りだ。

「そんなに嬉しいなら、一つ魔法を使ってみるか? 基礎は教えたから、下位魔法ならもう使えるはずだ」

 蝋燭の芯が焼ける音が、いやにくっきりと部屋に響く。

 溶けた蠟が表面を伝っていくのが、光を反射して眩しいとさえ感じた。

 先生の言葉に従い、テーブルの上で杖をかざす。茜色に照らされた机に、黒い影が差した。

「スモール・アース」

 下位魔法の詠唱と共に、杖の先から土が生み出されてぱらぱらと乾いた音を立てた。

 初めての使用だし大して魔力も込めていなかったから、テーブルを少し汚しただけ。

 でも。それでも、僕は暗闇の中で飛び上がって、叫んでいた。

「―――」

 魔力で灯された明かりが揺れて、合わせるように影が動く。

 全身が喜びに満たされて、言葉にできない感情が押し寄せて、自分をうまく制御できない。

 でもこの日、改めて誓った。いつか必ず、アデラ様のように最上位魔法を習得する。そして、僕の家の領地である北部で……

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