初七日

小狸

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 うだるような暑さの日である。


 道で蝉が死んでいるのを見つけた。


 人通りの少ない一本道の真ん中である。


 引っ繰り返って、完全に足が動いていなかった。


 近付いて足の節々を観察してみたけれど、ぴくりとも動く気配すらなかった。


 死んでいる。


 これは、死んでいる。


 そんな蝉の死骸を見て――僕は何を思ったのだろう。


 父の葬儀から一週間が過ぎた。


 どうやら僕はまだ、鬱屈うっくつとした感情から抜け出すことができていないらしい。


 嫌な父であったと、後にも先にもそう思う。亭主関白で、いつも母を苦しめ、人の話を聞かず、子どもを構成要素の一つとしてしか見ていなかった。休日に家から出ることもなく、ただずっと自室に籠って洋画ばかり見て、一度だって子どもを――僕たちを顧みたことなどなかった。


 そんな父親が、死んだ。


 死因は心筋梗塞であった。不摂生な生活を続けていたのだから当然だろうと思う。


 葬式はつつがなく行われた。神道系の宗派に属していたらしい父は、何ともそれらしい葬式を事前に準備していたらしく、母主導の下で、厳粛な雰囲気の中――父は出棺され、骨を焼かれた。


 いや、嘘だ。


 厳粛、ではない。


 誰一人として、泣く者はいなかった。親戚の間でも、厄介者、鼻つまみ者であった父の死を追悼する者は、恐らくその空間には存在していなかったのだろう。


 葬式を終え、一人暮らしをする家へと帰り――今に至る。


 酷暑の中で外を散歩するなど、常識外れとも思われるかも知れないけれど、それでも何となく、そうやって発散したくなってしまったのだ。


 僕は、悲しんでいるのだろうか。


 あんな父親のために、感情が揺れ動いているだなんて。


 自分が、とてもいやであった。


 あれから一週間も経つのに――そんな閉塞感がずっと僕にまとわりついて離れてくれなかった。


 アブラゼミの成体の寿命は、およそ七日間だという。


 丁度葬式が行われていた頃、この蝉は生まれたのだ。


 そして――たった七日でこの世を去った。


 靴の先でほんの少し、蝉に触れてみた。


 かり――と、揚げたての衣のような音がした。


 動く気配はなかった。


 やはり死んでいるのだろう。


 この暑さである、内臓などは既に干乾ひからびてしまっているのだろう。


 こんな伽藍洞がらんどうなのに――少し前までは命があったのだ。


 父の遺骨を見た時も、同じことを思った。


 命は、結果だ。


 あらゆる機能が複合的に交差し、脳、臓器、骨、筋肉などが統合されて駆動している。魂などという概念はなく、ずっと動き続ければ当然摩耗するし、不調を起こすことだってある。そしていずれか、機能不全に陥り、停止する。


 その結果に、死という名前が与えられている。


 それだけである。


 して、死んだのは憎き父親である。


 もう二度と会うことはない。


 会わなくて、良い。


 喜ぶべきことだろうに――何故なぜか。


 その感情を発露することは出来なかった。


 涙こそ出なかったけれど。


 僕は。


「……なんてね」


 蝉の死骸をそっと足で突いて、道の端へと退けた。


 ここに居たら、きっと誰か通った人に踏み潰されてしまう。端に置いたとて、いずれ野良猫に食べられたり、風化してしまうのだろうけれど――それでも、踏まれるよりは幾分かましだろう。


 そう思った。


 そっと目をつむって、開いて。


 来た道を帰ることにした。


 さようなら、おとうさん。




(了)

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初七日 小狸 @segen_gen

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