第19話 白炎の二人

「スヴァンヌじゃなくてスヴァンです」


 しまった。あの兄の本性をすっかり忘れていた。お屋敷の中でほくそ笑んでいるであろう兄を探し出して文句の一つも言ってやりたい気分だったが、それよりも、とアルマは気を取り直す。


「まぁ……、お名前を兄からスヴァンヌと聞いていたものですから……。大変失礼しました」


 大変な失礼をしてしまったと思ったが、当人は相変わらずのお人好しであった。また、彼を指名した教会の体面を傷付けてしまう失態に、クリスタの顔色も窺うが、こちらは実に愉快といった表情である。

 ホッと胸を撫で下ろしたのも束の間、今度はスヴァンの視線がアルマの腰の辺りに刺さる。相手は得体の知れない白炎びゃくえん持ち。それに加えて先ほどの件である。アルマの体は自然と強張こわばった。


「ところでアルマさん、その腰のベルトとナイフホルダーなんですけど……」


「ああ、ソードベルトですね。私も細剣を嗜みますので、今回の道中では何者の襲撃を受けたとしても、身命を賭してドロテ様をお守りする覚悟でございます」


 緊張のせいか、いらぬ警戒のせいか。なぜかアルマは普段のように話せず、仰々しい話し方になってしまった。


「それは素晴らしい心意気ですね。ところで腕前の方はいかがですか?」


「我がフォーゲル家は男女の別なく、幼少の頃より厳しい稽古を行なっておりますれば、賊が如き有象無象うぞうむぞうおくれを取ることはありますまい。流石に兄のオスヴァルトには及びませんが、それでも10回試合えば、4回は勝つことができます」


 何故なにゆえこのような古風な話し方になってしまうのか、自身でも理解できなかった。だが、どうやら相手も相当に緊張しているようだ。しどろもどろになりながら、どうにか会話をしているという風に見えなくもない。


「そそそれれは頼もしいですね。あはははは……。そうそう、集団戦は1対1とはまた違って周囲への目配りも重要になりますから、注意して下さいね」


「は! 心得ました。それでは出立しゅったつの準備がありますのでこれにて」


 アルマには確かに集団戦の心得は無い。あるとすれば1対多数のケモノ相手のみ。言われてみれば、賊に囲まれた場合にどう動けばよいのか。一先ずはケモノだと思えばいいのだろうか? もっとも、侍女であるアルマがそのような心配をするというのも、実に滑稽な話ではあるのだが。


 そうして顔合わせを一通り済ませれば、ドロテ、アルマ、クリスタの3名は騎兵に守られた4頭立4輪馬車コーチの中。スヴァンはと言えば、後方警戒要員として、後ろの幌馬車に乗り込んでいた。


「名高き聖女様にご同行頂き、大変光栄に思います。重ねてになりますが、儀式の終了までご指導のほど、よろしくお願いいたします」


 イヌイの城門を過ぎてすぐのこと、改めてドロテがクリスタに挨拶をした。対するクリスタはとても楽しそうだ。それは馬車に乗り込む前から変わらず。


「あらあら。こちらこそよろしくお願いしますね。こんな豪華な馬車に護衛まで付けてもらっちゃって、私からもお礼を言うわ。ありがとう。あ、そうそう。私、堅苦しいことが苦手なのよ。だから気楽に接してもらえると助かるわ」


 目の前の光景を眺めながら、どうして教会はクリスタ様を派遣して下さったのだろうとアルマは考えていた。彼女はシェスト教から聖女として認定され、司祭のくらいにも叙せられている。そしてイヌイの教会においては、その形式上の立場も通常の司祭より高い。王族を除けば国内最大貴族であるオダ家。その子女の教導役としては申し分もうしぶんない。

 だが、クリスタは孤児院の院長であり、たった一人で院を切り盛りしている職員でもある。おいそれとは遠出が出来ないはずだが、ランプレヒトが妹へのはなむけにと裏で手を回した可能性もあるだろう。或いは少々突飛な話かもしれないが、教会の有する秘匿滅獣機関イビガ・フリーデの活動と何か関係しているのかも知れない。クリスタは大きな白炎びゃくえん持ち。イヌイの教区長がイビガ・フリーデと繋がっているのなら、白炎びゃくえんのことも知っていて、その上で試験的におもてに出した可能性もある。

 いずれにしても、確認のしようが無い事だ、とアルマが答えの出ない思索を終わらせたところで、当のクリスタに声を掛けられた。


「ねえ、アルマさんはどう思う?」


「どう思う? とは何を、ですか?」


 主の隣にいながら、大事な賓客の会話を聞き逃していたようだ。アルマは言葉を詰まらせるように聞き返してしまった。


「あらあらあらあら。ぼーっとしてしまうくらいスヴァンのことを考えていたのね。あの子も隅に置けないわ」


「どどど、どういう事でしょうか!?」


 重ねた失態に手厳しい対応を予想していたが、クリスタの反応は全くアルマの予想とは反対のものである。むしろ、楽しんでいるようだった。狼狽してたまらず主の表情を伺うも、彼女もまた、瞳を爛々と輝かせてアルマを観察している。

 だが、お陰で返答するに足る材料は揃った。


「つまり、私がスヴァン殿をどう思っているか、ということですね。そう、ですね。……如何にも人のさそうな見た目ですが、対人戦闘の経験もおありのようです。いざ事があれば頼りになりそうな御仁ごじんではあります」


「アルマさんはよく見てるわね。何かあったら、遠慮なくあの子のことを頼って頂戴ね」


 しかし、アルマには先ほどからの”あの子”という言い方が引っかかる。


「その、失礼を承知でお聞きしますが、クリスタ様とスヴァン殿はどのようなご関係なのでしょうか? あの子、と呼ばれるあたり、血縁関係があるものとお見受けいたしますが」


「私が姉で、スヴァンは弟よ」


「なるほど、それで」


 姉弟きょうだいということは、白炎びゃくえんは特殊な血筋に引き継がれるかもしれないとも思ったが、それではシュテファンにも存在した道理が無い。この仮説は捨てようと決断したとき――


「嘘よ」


「え?」

「え?」


 聖職者から出たとは思えない言葉に、アルマは思わずドロテと顔を見合わせてしまった。


「アルマさんは私が孤児院の院長をやってることは知ってるわよね? 会ったことがあるから」


「はい、存じ上げております。すると、スヴァン殿はクリスタ様の教え子ということですね」


「ええ、その通りよ。理解が早くて助かるわ。あの子、私が路地で拾ったものだから、他の子よりも愛着が湧いてしまったの。だから、アルマさんにはこの短い移動の間だけでもスヴァンと仲良くしてくれると嬉しいな。ドロテ様は駄目よ? あなたに悪い虫が付いたら私の居心地が悪くなるから」


 スヴァンのことを想いつつも悪い虫と表現するあたり、二人の関係は良好なのだろう。そして、この流れであれば聞いてみてもいいのではないか? アルマは悪い虫発言に作り笑顔で応え、彼の秘密を探りにかかる。


「ところでクリスタ様。スヴァン殿はどのような人柄なのでしょう? 何か人と変わったところはありませんか?」


「あら、やっぱり気になるのね。若いって素敵だわ」


「いえ、決してそう言うわけでは……」


 かといってアルマには答えられる理由がない。ここは相手の想像に乗るより他なかった。


「あの子は孤児院にいる頃から特徴がない平凡な子供だったけど、おチビちゃんたちの面倒見は良かったわね。それから美味しいスープが作れるわ。成人した後は食堂でも働いてたから。あとね、ちょっと聞いてよ」


「は、はぁ……」


 ご近所さん同士の井戸端会議の如くに話すクリスタに気圧けおされるアルマであったが、対照的にドロテは先ほどから実に楽しそうで、時折、ふふふと鈴の鳴るような笑い声が聞こえてくる。


「私のことをお姉ちゃんと呼んでって何度も言ってるのに、全然言う事聞かないのよ。変なところで頑固よね。人と変わったところだっけ? 特にないけど、……あ! 一つあったわ。あの子、14歳のときに一度だけ気を失って倒れたことがあったのよ。1時間と経たずに目を覚ましたけど、それからしばらくしたら急に傭兵になりたい、って言ってきて驚いたことがあった」


「他に何か変わった点は?」


「……何も無いわよ?」


 質問を不審に思ったのか、或いは何か話せないことがあるのか。アルマはクリスタが何かを隠していると感じたのだが、これ以上の追及は難しいとも感じた。あとは日を分けて少しずつでも聞き出せればいい。


「ふふふふ、アルマさんったら随分とスヴァンさんにご執心なのね」


 ドロテにいらぬ誤解を与えてしまったことに、アルマは顔から汗が噴き出る思いであったが、これにも反論の言い訳は出来ず、カネウラ到着までの5日間、事あるごとに今日の会話を引き合いに出されることになった。

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