第18話 兄と妹
「私、シェスト教の聖職者になって、毎日神様にお祈りするわ。国も、人も、争いのない世界を」
1575年の早々、15歳のドロテは真剣な
昨年あった神聖リヒトからの大規模侵攻。王国はその脅威を払い
屋敷を包む漠然とした重く暗い雰囲気を幼少より敏感に感じ取り、努めて明るく振舞ってきた彼女にとっては、それは当然の帰結だったかもしれない。
鈴の鳴るような声の先は兄のランプレヒトである。王国宰相であった父グスタフが反乱を企てているとの濡れ衣を着せられ、突如として王軍に殺害された2年前より、オダ家の統領を務めている。家督を継ぐや、王弟を始めとした有力者と秘密裡に接近し、お家の取り潰しを免れたその手腕は領の内外から評価が高い。
だが、家督を継いだ時点から苦難の連続で、顔色は日増しに悪くなっていった。
「……駄目だ」
ふぅ、とため息の後に続いた優秀な兄の返事は
「どうして?」
7歳まで一緒に暮らしていた母のディートリンデ。今はもう記憶でしか存在しない母と瓜二つの顔にランプレヒトの心と視線は揺れ動くが、彼が考えるのは父から引き継いだ領地の維持と、領民の安寧。それは自身の犠牲も
「お前はいずれ他の貴族に嫁いでもらう。
「お兄様、私の目を見て言って下さいな」
「私から言うことは何もない」
ドロテが母譲りの端正な顔でランプレヒトに詰め寄るも、彼はその琥珀色の瞳を
「少し待て、アルマ」
「はい」
何事かと思いその場に留まるも、呼び止めた当の本人はと言えば、目の前の紙に小気味いい音を立てて何やら書き込んでいる最中である。
「これでよし。……アルマ、先ほどの私とドロテの話をどう思った?」
「仕える
「
「左様です」
「そうか。父上も良い侍女を雇ったものだ」
「ただし、一つだけお答え申し上げることがあるとすれば、兄というものは
「私が領主でなければ、それはその通り。オスヴァルトのように妹に甘くしていただろうね。ところでハインツのところは子供が何人いたか覚えてるか?」
「ハインツ様でございますか。男子がお二人にございます」
「そうだったか。うん、そうだな。うん。では、アルマよ。貴族が教会に入る際のことを調べてドロテに伝えてやってくれ」
「それは、ドロテ様の教会入りを許可する、ということでよろしいでしょうか?」
「ああ、そのように伝えてもらって構わないよ」
「承知しました。この短い時間に心変わりを?」
「……そうだな。兄は妹に甘いものなのだろう?」
「そういうものですか?」
「そういうことだ」
このとき、ランプレヒトが心変わりをした理由については、最後まで明らかにならなかった。なぜなら彼はこの会話の1年後に亡くなってしまったのだから。だが、家の存続のために捧げた残り少ない自分の命から、ドロテには家のために命を削って欲しくないと思ったことは想像に難くない。妹に甘い兄であろうとしたのだ。
*
さて、ランプレヒトの許可が出てからというもの、アルマは、貴族がシェスト教の聖職者になるにはどうすればいいか、どのような手順を踏めばいいのか調べて回った。と言いたいところだったが、イヌイのシェスト教会に相談しただけで全て事足りた。教会は、その行なう全てと言っても過言ではない数の記録を保管していたためだ。
オダ家から教会に入った者も、当然の如く記録されている。残念ながら資料そのものはアルマに開示されなかったが、近いところではエレオノーラ・レーデ・オダなる人物が記録されているとのことだ。その者は港湾都市カネウラの教会にて召命の儀式を受けたとあるが、有力貴族の縁者ということもあり、イヌイの教会から司祭が1名同行。そして、エレオノーラはカネウラを治めるモウリ家の屋敷に1泊し、儀式当日の午前中にはイヌイの司祭を先頭に屋敷から教会までお披露目をしたという。
随分と
そうしてイヌイの教会、ランプレヒト、主役のドロテとの調整が一段落したところで、アルマは久々にオスヴァルトと顔を合わせることが出来た。別件だが、彼もランプレヒトの
「兄様は関係各所との調整役として
「ああ。いくら私が優秀とはいえ、ランプレヒト様も人使いが荒いものだよ。ところでドロテ様がシェスト教会に入るんだってね?」
「ええ」
「どちらの教会に?」
「ドロテ様はカネウラをご希望で、ランプレヒト様も支持されていますね」
「カネウラなら神聖リヒトから遠くていいだろうね。実は先日、その件で孤児院に行ってきたんだ」
「まあ。兄様が別で動くとなるとランプレヒト様の秘密のお使いですね。差し当たって、クリスタ様にドロテ様をよろしく頼む、とお伝えするお役目でしょうか」
「その通りだよ。我が妹ながら実に察しが良い事だ。それでね、クリスタ様から面白い話を聞いたんだ」
「護衛の話ではないですか?」
「なんだ、知ってたのか。そう、護衛の話だ。教会からもクリスタ様の護衛の名目で1名派遣されることになっているが、それが私の知り合いなんだよ」
「兄様の知り合い。と、言うと貴族の方でしょうか?」
「いいや。平民の傭兵だよ。私がたまにお使いで傭兵組合に行くことはアルマも知ってるだろう? そこで何故だかグスタフ閣下に気に入られていた男がいてね。ツチダで衛兵が足りないときに手を貸してもらっていたんだ」
「それは不思議なご縁ですね。その方のお名前は?」
「ああ、スヴァンヌというんだ」
「スヴァンヌ? 女性の方でしょうか?」
「いいや。さっきも話した通り、そいつは男だよ。きっとアルマも気に入るだろうから、話してみるといい。クリスタ様と一緒にいるはずさ」
「ええ、分かりました。失礼のないようにいたします」
そして4月半ば。ドロテがカネウラに
そう、発見した。間違いない。以前の倍ほどに強くなってはいるが、いつか
ツチダで先に相対したジルケは言っていた。なかなか呑気で凡庸そうな男だったよ、と。確かにアルマにもそう見える。オスヴァルトの言ったことが嘘でなければこの男は傭兵である。それにも関わらず、お人好しが顔から滲み出ているではないか。だが、
「いつも兄がお世話になっております。あの、兄が迷惑をかけていないでしょうか。スヴァンヌさん」
瞬間、男は困惑の表情を浮かべるも、作り笑いを浮かべて挨拶を返した。
「こちらこそあなたのお兄さんにはお世話になっています。迷惑を掛けられたことなんてないですよ。それから、スヴァンヌじゃなくてスヴァンです」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます