那古野騒動
今川とは講和を結び1年の不戦協定を結んだ。結果として遅参してしまった権六殿が腹を切るだの言って大騒ぎになっている。
「権六が駆けつけてくれたおかげで講和がまとまったのだ」
殿がそう伝えると少し落ち着いたようだ。
「織田の先駆けが遅参などあってはならんのじゃ」
清須の兵2000を率いて駆けつけてくれたおかげで、今川が抗戦を諦めたということは間違いない。そもそも、死人の軍勢とも合戦はしていない。殿の祝詞で浄化されていったのだから。
実際に戦いに及んだのは鳴海衆で、雪斎を討ち取るという武功を上げることができていた。
「信盛、見事なる手柄じゃ。篤く報いようぞ」
「ははっ!」
にんまりと笑みを浮かべている。先の戦いでは一気呵成に川を渡り、勢いのままに敵を粉砕した。その采配は猛将と言って差し支えないものだ。
退き佐久間の異名を持つ智将のイメージがあったのだが、それだけではないというわけか。
「おお、そういえば。藤吉郎と小一郎の兄弟が見事なる武功を挙げたと聞くの」
「はっ、鳴海の戦いで敵将を討ち取っております」
「ほほう、元服して間もないと聞くが、見事なる者どもではないか」
俺の後ろに控えている藤吉郎は感激に身を震わせている。
「なれば苗字を許すとしよう。天田よ、良き家名をつけてやれ」
えーっと、秀吉はなんて苗字だったっけ……羽柴は丹羽と柴田からとったって聞くが、今それを名乗っても不自然だよな。
豊臣は公家としての苗字だったか。これもまずいと……。
「されば、拙者の生まれた家には大きな木がありまして、その枝が家の屋根を覆っておりました。それを見た旅の僧が、この家に生まれた子はいずれこの大樹のように大きな功を成すであろうと」
藤吉郎が何やら語りだした。
「ふむ、ではその大樹にちなんで、木下と名乗るがよかろう」
「ははっ、拙者これより木下藤吉郎にござる!」
隣で涙を流しつつ小一郎もうなずいている。俺の家臣団に木下一門が追加された。
木下一門。木下藤吉郎を当主とする一族。加藤、福島、浅野らの親類が家臣に加わっていく(予定)
「さて、もう一つは……」
埋葬されたジルの墓の前で立ち尽くしているジーンがいた。彼女自身も手傷を負っているがその手当さえせずにただ茫洋とした目線を虚空に向けている。
「ジーン」
「……ああ、殿か。すまない。もう少ししたら元に戻る」
「もどる?」
「ああ、神の代行者たる身はいつまでも己の感情に振り回されてはいけない。そう育てられた」
「……大事な人が死んだら、泣いていいんだ。悲しんでいいんだ」
「……え?」
「ジルは大事な人だったんだろ?」
「ああ、物心ついたときから一緒だった。ああ、わたし、一人になったんだな……ああ、ああああ、うわああああああああああああああああああ!」
ジーンは俺に縋りつくと大声をあげて泣きだした。普段は陽気な藤吉郎も目を伏せ、ジルの死を悼んでいるようだ。
手を合わせる者もいる。最初に死人兵と戦った時にいた連中だ。彼らはジーンとジルに命を救われたと思っている。
「ああ、殿。一つ頼みがあるんだが」
「聞こう。俺にできることならなんでも」
「そうか、ならばわたしを殿の妻にしてくれないか?」
「ああ、わかった……って!?」
「天涯孤独の身になったからな。それに命がけでわたしを守ってくれただろう?」
「いや、おい、まて。ジルは!?」
「ああ、あいつは実は兄でな」
「おいいいいいいいい!」
ぽんと肩を叩かれた。振り向くと殿がすごくいい笑顔を浮かべている。
「何やらよくわからんが、めでたいことなのであろう?」
「え、ええ。実は……」
「なんじゃ。そんなことか」
「なんじゃって……」
「娶れば良かろう。貴様の身代なら側室がいない方がおかしいわ」
「え、ええ……?」
「ああ、貴様の手柄を考えるに、織田一族からも嫁を出すからな? 一門衆になってもらわんといかん」
「は、はい!?」
「されば、戻るぞ」
そう言い残すと殿はひらりと馬にまたがり先陣切って歩き出した。
「ふふ、よろしくな。旦那様」
ジーンが嫣然と微笑み、腕を絡めてくる。鎧を脱いだその姿は……とてもけしからんものをぶら下げていた。
そして那古野に戻ると……そこには鬼が待ち構えていた。
「あなた様、そちらの女性はどなたでしょうか?」
「ああ、智。落ち着くんだ」
「落ち着いていますよ? で、その方はどなたですか?」
「うむ、ジーンと言ってな」
「へえ、ジーン様と言いますのね。で?」
「あ、ああ。実は……側室を」
パーンと平手打ちが飛んできた。
「この、浮気者おおおおおおお!」
智が城の奥に駆けこんで行く。
「やれやれ。貴人には複数の妻がいるのは当たり前だろうに」
「貴人!?」
「ああ、これほどまでに壮麗な城に住み、千を超える軍勢を率いる。欧州ならば伯爵くらいかな?」
「なるほど」
「姉上! 落ち着いて! たのむぎゃあああああああああああ!」
城の中から藤吉郎の悲鳴が聞こえてきた。ふと振り向くと、着物の袖をたすきで縛り上げ、なぎなたを振りかざした智がこちらに向けて突進してくる。
「浮気者は斬り落としてあげます。ほーらすぱっと行きましょうねえええええええ」
「お、おう。旦那様、任せた」
ポンと背中を押され、ジーンは素早く智の向かう先から離脱している。
「いやまて、何を斬り落とそうってんだ!?」
「うふふふふふー」
笑っているはずなんだが全然目が笑ってない。
「うわああああああああああああ!!!」
「うふふふー、あなたさまー、どこに行くんですかー?」
藤吉郎は泡を噴いて気絶している。小一郎は頭を抱えて震えていた。
「うおおおおおおお!」
もはや恐怖で意味のある言葉を発することもできず、俺は城内を逃げ回った。
この世紀の夫婦喧嘩は那古野騒動として語り継がれることとなったそうな。めでたくなしめでたくなし。
なお、一通り暴れた智は普段通りの性格に戻り、ジーンの身の上を聞いて涙を流していた。その姿を見たジーンはあっけにとられ、この奥方には逆らわないでおこうと決意を新たにしたとのことだった。
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