第7話 再会

 ハナは広島駅に着いた。こんなに遠くまで一人で電車に乗ったのは初めてである。自分生まれて5年間過ごしたのは瀬戸内海の魚住島であることは知っていた。広島駅からどう行けばよいか分からない。とりあえず、広島港までバスで行くことにした。港でどの船に乗ればよいか尋ねてみたが、近くの島には行けるのだが肝心の魚住島に行く船が出ていない。仕方なく似島までの切符を買い、船に乗り込んだ。


「きれいな海。こんな海に囲まれたところで私は育ったんだ。」


 5歳までの記憶にも海の景色があった。小さな子ども達や班長ママや班長パパと過ごした海岸。貝拾いや水遊びをした記憶がかすかにあった。

 似島に着いたが魚住島に渡る手だてがない。土産物屋のおばさんに尋ねたが、一般の人は島に渡れないとのことだった。途方に暮れて船着き場を歩いていると一人の漁師が声をかけてきた。40歳ぐらいの色黒のたくましい男性だ。


「お嬢ちゃん。本島から来たんか。ここらでは見ん顔じゃのう。」


「あのー」


「なんじゃ。」


「魚住島に行きたいのですけど、どうしたらいいですか。」


 漁師は驚いた顔をして言った。


「なんと珍しいことじゃ。昨日もきれいな女の人にどうしても魚住島に行きたいと頼まれ、本当はあかんのじゃけど、送っていったところじゃ。あの島に行きたいっちゅう人はほとんどおらんけんのう。」


「え、じゃあおじさんなら送ってもらえるのですか。」


「うーん、料金は結構かかるでよ。それでもよかったら、ついでだから運んでやってもえーよ。」


 漁師はルリを今日迎えに行くことになっていた。


「おじさん、いくらなら乗せてくれるの。」


「お嬢ちゃんは見たところ中学生じゃろ。子ども料金にまけとくけん、まあ乗りんさい。」

 

 漁師の船に乗せられハナは魚住島に向かった。波は荒く、ハナは酔いそうになったが、目をつぶって耐えた。魚住島が近づいてくると、船着き場に一人の女性が立っているのが見えた。女性は肩を落とし、うちひしがれている。


「お嬢ちゃん、着いたべ。明日の同じ頃に迎えに来るけん、代金はそのときでよかよ。」


 ハナが降りると、ルリが乗ってきた。ルリは無言で下を向いたままハナに気を遣う様子もなく船上の人となった。


「じゃあのー」


 船は波の荒い海へ出発した。

 ハナは見覚えのある施設の方へ歩き出した。10年ぶりであるが、道も建物も昔のままであった。当時大きく見えた施設も今見ると小さなホテルか民宿のようであった。

 施設の入り口へも迷うことなく進むことができた。


「ごめんください。」


 施設から出てきたのは、年配の看護師のミチであった。


「あらあ、こんな所に来ちゃあだめよ。昨日の女性といい2日続けて島外の人が来るなんて珍しいこと。」


 と呟いて見たその顔に見覚えがあった。ミチがここでの勤務が非常に長い。彼女が勤め始めた頃、最初に面倒を見たのがハナ達である。」


「ひょっとしてハナちゃん。」


「はい。」


「やっぱりハナちゃんか。大きくなったねえ。懐かしいわあ。そのくりっとした目、すぐ分かったわ。ここを訪ねてきてくれたの。まあ入りんさい。」


 ハナはラッキーだった。普通は来ることのできない魚住島にたどり着き、知人がいて施設に入れたのである。

 ハナはどうしても自分を産んだ両親のことを知りたいという旨をミチに話した。ミチは、それは教えられないというか記録がないということを丁寧に話した。

 ハナは落胆すると同時にシステム上やはり難しいのだろうということを悟った。


「でも知る方法がないわけじゃあないわ。ハナちゃんは第1世代だから、当時のことを知る人物が一人だけいるわ。」


 ハナは目を輝かせてミチを見た。


「私はある病院で勤めていてね、その後その病院の医師と一緒にここに来たの。ここに来る直前に生まれたばかりのハナを里親に出したいという女性が面談に来た場面を覚えているわ。私は受付でしか目撃していないけど、あの人なら・・・」


 医師の名は須藤と言う。彼は昨年までこの島で働いていた。


「ここには記録がないけれど、彼なら分かるかも知れないわ。」


 ミチはハナを預けた女性のことをよく覚えていた。髪の長い右の頬に黒子のある背の小さな女性であった。


「本当、うれしい。」


「ハナちゃんの頼みだもの、聞いてあげるわ。でももしお母さんが分かっても会って名のったりするのはダメよ。JBとは会ってはいけないというルールがあるからね。」


「うん。」


 ハナは自分を産んだ母のことが分かるかも知れないという希望に胸をふくらませた。


「今日は私の部屋に泊まりなさい。明日、広島市にいるその人の居場所を教えるわ。」


 ハナはその晩ミチと昔の思い出話しに花を咲かせ、なかなか眠ることができなかった。ミチは育ての親の一人である。ミチはハナとずっと会いたいと思っていた。二人は布団を並べて夜遅くまで話した。

 次の日迎えの船がやって来た。ミチは、ここに行きなさいと夫の住所と電話番号の書いた紙をハナに渡した。

 大きく何度も手を振るミチと分かれて船に乗った。

 広島市のミチにもらった紙に書かれている場所は須藤内科と書かれた病院であった。呼び鈴を鳴らして、名前を告げると診察室に案内された。ミチが事前に連絡を入れていたのだろう。

 須藤医師は白髪で眼鏡をかけたやさしそうな医師であった。


「ハナちゃんか。大きくなったね。」


 ミチと同じように懐かしさたっぷりの眼差しでハナを見つめた。


「ハナちゃん、話しは聞いたよ。でもハナちゃんには悪いが、君の親のことは言えないことになっているんだ。それは知ってるよね。今では誰が産みの親であるかが分からないようなシステムになっているんだ。」


「でも、ミチさんが先生だけは分かるかも知れないって言っていました。」


 ハナは必死で食い下がった。


「うーん、実は君のお母さんだけは分かるんだ。」


「えっ。」


「うちの病院に来たからね。」


「それなら教えてください。絶対会いにいきませんから。」


「うーん、それが・・・もう会えないんだ。」


「えっ、もう・・・」


「そうなんだ。昨年亡くなっているんだ。」


 ハナは目を丸くして須藤医師の話を聞いた。


 内容はこうである。15年前に婚約者のいるハナの母は夜道を歩いていて不審者に強姦され、妊娠してしまった。このことを誰にも言えずに、須藤医師の所に相談に来た。その結果、こっそり出産し、当時始まったばかりのJBの制度を使って子どもを預けたということである。その後婚約者と結婚し、女の子を出産し、幸せに暮らしていたのだが、昨年子宮ガンを患い亡くなってしまった。なぜこのことを詳しく知っているかというと、彼女は須藤医師の妹であった。だから、ハナのことは施設でも大切に面倒を見て、移された後もずっとハナのことが気にかかっていた。

 話しを聞いてハナは大泣きをした。母は亡くなり、この世にいない。父は誰か分からない。あーなんて不幸なんだと思ったが、須藤医師は叔父に当たる人物であると悟った。


「ハナちゃん、次は高校だね。何か悩むことがあったら、いつでも相談においで。」


 須藤医師は優しくハナに告げて頭を撫でた。

 ハナの親探しの旅は2日で終わった。人でなしは死んでしまい、もう一人の人でなしとは会いたくもないし、知りたくもない。須藤医師の存在だけが心の救いであった。血の繋がった人物を見つけたことで、やっと普通の人になれたような気がした。叔父と妹。妹にもいつか会えるだろう。

 夕方広島駅を後にした。


「無断外泊を何て言おう。叱られるだろうなあ。置き手紙をしてきたから、大丈夫かな。心配してるかな。行き先は書いてなかったなあ・・・」


 ハナは言い訳をいろいろ考えたが、正直に全部言おうと決めた。イヤフォンからはEW&FのSeptemberが流れていた。


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