なつまつり 後
歩き疲れたので近くの長椅子に座って休憩することにした。日はとっぷり暮れてあたりはすっかり暗くなり提灯や出店の明かりのおかげで幻想的ないい雰囲気。
ふぅ、大きく一呼吸つく。祭りの熱気に当てられたのか、今日はいつも以上にテンションが高くなっている気がした。
普段ならここまで気分は高揚していないだろうと思う。
でも、たまにはこういうのもいいかもしれないなと思いつつ夜空を見上げた。星はあまり見えない、蒼い月だけがぽっかりと浮かんでいて、まるで私たちのいる場所だけ切り取られてしまったような錯覚に囚われた。
しばらくぼうっとしていると、いつの間にか隣にいたはずの妹の姿が消えていることに気付いた。
(しまった!はぐれちゃった!?)
私は慌てて辺りを探し回ったが見当たらなかったので一旦その場から離れることにした。
子どもをさらって身代金を要求したり遠い外国に売り飛ばす連中がいるという話を聞いたことがある。焦燥感がじわりと滲み出る。
焦りつつも落ち着いて周囲を観察しながら慎重に歩いて行くと、神社の脇の広場にコンサート会場のような舞台があるのが見えた。トランペット、ホルン、フルート、クラリネット、サックス、ピアノ、パーカッション……、様々な楽器を携えた獣達が祭りのメインイベントであるナイトコンサートのリハーサルをやっているらしい。
ん?そのステージの右はじ。デンと置かれた重厚なピアノの前に見覚えのある小さな背中がちょこんと立っていて……
「良かった……」
私は安堵からか大きなため息をついてしまった。
そのまま吸い寄せられるようにそこへ向かって歩く。
少し落ち着くまで時間がかかった。深呼吸をしてなんとか落ち着いてから舞台に歩み寄る。
「あっお姉ちゃん!」
振り向いた妹の顔を見た瞬間、ほっとして思わず泣きそうになった。自然と安堵のため息が零れる。本当に無事でよかった……
「勝手にいなくなったらダメでしょーが!このぉコンコンチキ!!」
私はそう言って大声で怒鳴るのだが、キヌコが ごめん……
と言ってシュンとしている顔を見るとつい許してしまいそうになる……もっと心を鬼にして叱らねば……。
ふいに気を取り直したキヌコがおずおずと
「あのね、お姉ちゃん。ピアノやらない?」
と言いだしたので え?私? つい聞き返してしまった。
「うん!第2222回納涼ケモノ演奏会のピアニストさんが急病で演奏出来なくなったらしいけん。お姉ちゃん、ピアノ上手だし変わってあげて欲しいなって思って……みんな喜んでくれるよ!」
あ、そういう感じですか。な~んだ。一瞬、私のオンステージかと勘違いしたぜ。
「私は構わないけど……アンタはそれでいいの?お揚げ、売り切れちゃうよ~?来年まで食べられないよ~?」
私が妹の脇を軽くつつくと妹は目を細め
「お客さんの喜ぶ顔を想像したらわくわくしてきた!!」
と言ってコ~ン!と一声鳴いた。
(そうかぁ~……)
大勢の前でピアノを弾くのは久しぶりなのでなんだか緊張する。
照明に照らされて黒く光るピアノはなんだか私を試すように不敵に微笑んでいるように見えた。不思議と不安はなかった。
それは私がキヌコより小さな毛玉だった頃の記憶。修理の依頼で文月堂に持ち込まれたグランドピアノ。最初はそれが大口を開けて自分を丸呑みにしようとする黒い怪物に見えた。
店の隅で震えている私を抱き上げた父がそれを『ピアノ』という楽器だと教えてれくれた。その時私はデンと店に鎮座するそれを特別な楽器と認識した。
それからも店に持ち込まれる様々な楽器に触れていくうちに私はいつしか音楽に魅了されていった。学生時代はヒダやマリと一緒に吹奏楽部に入部して毎日楽しく過ごしていたっけ。懐かしいなぁ……。
そんなことを考えながらピアノを見つめていると、後ろから「君が代わりにやってくれるんだって?」
と話しかけられた。
振り返るとスーツを着た長身のオオカミが立っていた。
「初めまして、僕の名前はタッチョっていうんだ。よろしく」
ダッチョさんが握手を求めてきたので彼の手を握り返した。
手を握ってみてわかったけれど彼の手の肉球はとても立派であった。恐らく彼の本業は猟師なのだと思う。
「すみません、突然押しかけてきてしまって」
「いや全然問題無いさ。早速だけどうちのメンバーを紹介させてもらっていいかな」
私が お願いします と答えると彼は周りにいたメンバーを呼び寄せて自己紹介を始めた。
「まずはクラリネット担当のトラさん。彼女は普段は市役所に勤めるごく普通のおとなしいトラだけど怒ると見境なく暴れるから機嫌を損ねないように気をつけてね」
「次はフルートのマサユキくん。いつもは冴えないじじ……おじさんイノシシなんだけど、楽器を演奏するときはまばゆい輝きを放つイケメンに変わるから要チェックだよ」
「サックスのホラゲーック!!彼が吹くとどんな音も文字通りカメレオンのように七変化してしまうんだよ。聞いて驚k……ゲフンゴホン、ぜひ注目して欲しいな。あと彼、意外と寂しがり屋でいつも一人ぼっちなのが悩みみたいなので話し相手になってあげるといいかもね。もちろん楽器は丁寧に扱うこと。壊したりなんかしたら一生恨まれるかもよ」
「ホルン担当のシイラさん。見た目通り小動物系女子な彼女なんだけど実は隠れドSだったりするから気をつけて!見かけたら優しく声をかけてあげよう」
「最後はトランペット担当の僕。タッチョです。僕はこう見えても昔はプロを目指していた時期もあったのですが、今はこうして家業を手伝いながら細々と音楽活動をしているというわけですよ」
「……」(圧がすごい……)
「皆さんはどういう集まりなんですか?」
楽屋でメンバーの自己紹介が一通り済んだあと私は素朴な疑問をぶつけてみた。
すると丁度私の前に座っていたトラさんが、
私たちは有志の集まり……というか、好きな時に集まって、好きに演奏するだけのゆるーい感じの仲間で、このナイトコンサートも年に一度の恒例行事となっているんです。
と教えてくれた。
「あっ、そうだ」
トラさんはそう言って急に思い出したようにに立ち上がると、楽屋の衝立の向こうを顎で示した。
「向こうでウチのピアニストが休んでいます。
名前はコハク君。休んでいると言っても彼、ニャーニャーうるさいんですよ。折角だから挨拶していきます?」
確かに衝立の向こうからは猫の呻き声が聞こえてくる。
「そうですね、ちょっとだけ覗いてみます……」
私はそのまま衝立の陰に回り込んだ。すると、そこには一匹のシャム猫が足をバタつかせながら
「うわ~ん!イカ焼きを食べ過ぎたら腰が抜けて動けなくなっちゃったニャ~!!!!」と情けない悲鳴を上げている。
うっ……これは相当重症だ……。
私が、どう声をかけようかと迷っていると。
「……あれ?君は誰だにゃ?」
今はじめて気がついたようにコハク君がこちらを見た。
私は浴衣の裾を慌てて直し、ペコリとお辞儀をした。
出来るだけ、丁寧かつ柔らかい口調を心掛けて話かける。
「ええと……初めましてコハク君。僭越ながら今宵、代理をを努めさせて頂きます キツネヅカ キツナと申します。お聞き苦しい点もあるかと思いますが何卒ご容赦くださいませ」
「ふーむ」
コハク君はジーーーッと、私を値踏みするように見つめると
なるほど……うん!あなたなら安心して任せられそう!良かった~! と安堵の表情を浮かべた。
……よかった。とりあえず第一関門突破ってところかな。
そうしてしばらくして少し落ち着いたところでトラさんにコハク君の容態について尋ねてみると
「大丈夫。ただの食べ過ぎによるギックリ腰だそうです。キツナさんも猫を飼うときは食べ物にだけは用心した方がいいですよ。それじゃあ、本番頑張りま……」
と言いかけて慌てて妙な情報を付け加えてきた。
「あっ、確か謝礼はふっくらお揚げ二匹前で間違いありませんでしたよね?」
「はい?」
(このお姉さんは何を言っているのかしら?)
私が小首を傾げていると、トラさんも同じように小首を傾げ
「あれ?キヌコさんがそういう条件で引き受けてくれたと思ったんですけど間違いありませんよね?」
と、不思議そうな顔をして聞き返してきた。
(キヌコめ……)
私は、隣で素知らぬ顔をしていたキヌコをひと睨みしてやった。しかし妹は私の怒りなどどこ吹く風といった様子で
だってふっくらお揚げ、どうしても食べたかったんやもん。年に一回しか食べられへんのやからしょうがないやん。
と抜かしおる。
トラさんも、きょとんとした顔でこちらの様子を窺っている。きっと、私の反応から察するに、この取引は一方的なものだったに違いない。……仕方ない。ここは私が大人になろう。
はい、ふっくらお揚げは是非ともお願いしますね
私が笑顔で答えるとトラさんはホッと胸を撫で下ろして
「わかりました。では契約成立ということで」と言った。
(初 耳 な ん だ け ど !!!)
私はキヌコに小声で囁いてから腹いせに耳を思いっきりつねってやった。
キヌコが 痛ぁ!そんなに強くせんでもええんちゃう!?
と抗議の声を上げるが私は無視を決め込んでトラさんの方に向き直り、もう一度 よろしく お願いします と頭を下げた。
そのあと、リハーサルやあれこれの準備に追われて気がつけばもう開演時間になっていた。
楽団のメンバーは準備万端といった面持ちでそれぞれ舞台袖で出番を待つ。……いよいよだ。緊張してきた。
「皆の演奏を聴いてるだけでも勉強になるよきっと!」
キヌコの励ましで少し緊張が和らいだ。
「……じゃあ、行ってくる」
妹に小さくガッツポーズ、私は意を決してステージへと歩みを進めた。
ステージはまぶしい光に照らされていた。舞台袖とは、温度も湿度も違う。
(熱と湿気でピアノの音程がずれるので注意っと……)
案内放送の少しざらついた音が流れる、私の胸は高鳴り、尻尾の毛がざわつく。
私は軽く息を整えて客席の方へ目を向けた。すると、目の前に広がる光景に思わず息を飲んでしまった。
会場には大勢の観客が詰めかけて立ち見客も出る程で。観客の中には顔見知りも何匹かいた。
(満席とか半端ないな……こんな小さな演奏会なのに……)
始まる前からざわざわと、場内の雰囲気が高揚しているのを感じる。
(楽団のメンバーも個性的で心配だったけど……そこそこ良さそうだし何とかなりそうかも)
私はチラリと視線を舞台上に向ける。舞台中央ににタッチョさんとシイラさん。その後ろにホラーゲックとマサユキさんとトラさん。私のピアノの位置は丁度トラさんの左斜め前。私はピアノの鍵盤に指をあてる。ついに舞台の幕が上がる……。
演奏のはじまりは力強く、そして優しいトランペットの音色から始まった。きっかけとなる最初の音が響けば後は波のように次々とメロディが流れてゆく。それは、ゆったりとして穏やかな曲調から始まり次第に盛り上がりを見せクライマックスに向けて盛りあがってゆく……。
その演奏は、まるで夏の日差しを浴びながら川遊びを楽しむ子供達を優しく見守っているような情景を連想させるのであった。
演奏が終わると舞台は大きな拍手に包まれた。
私も精一杯の気持ちを込めて演奏した。
続いて始まった曲はとてもリズミカルなもの。ジャズ調のリズムに合わせて、ピアノソロが入るパートがくるのだが、そこにきた瞬間、私の心が大きく揺さぶれた。
さっきまで祭りの雑踏、屋台の賑やかな声、周りの音しか聞こえなかった。でも今はちゃんと聞こえる……自分の音が!
タッチョさんとシイラさんがゆったりとしたメロディを奏でる。ホラーゲックさんの伴奏に乗ってトラさんが優雅に指を動かしていた。それに乗せてフルートのマサユキさんが背筋の凍るような旋律を奏でている。
(なんか、この人達ヤバい)私は震えていた……緊張?いいや感動で心が打ちふるえるのだ。
私も彼らに負けじと鍵盤をつかむようにして叩く。
最後にホリスティックスな四重唱が重なり合い、大歓声の中舞台は幕を閉じた。
皆さん本日は本当にありがとうございました!!
万雷の拍手を浴びると、感動が押しよせてきて胸がいっぱいになった。やっぱり演奏会っていいものだ!思わず涙ぐんでいると客席にヒダとマリが座っているのを見つけたので軽く手を振ると彼女達も大きく手を振ってくれた。舞台袖ではキヌコがこちらに向かって親指を立てている。
私はそれに大きく頷き返し舞台袖へと戻っていった………助っ人コンサートを無事に成功出来てよかった。
「お疲れ様、良かったよ。結構やるね」
そう言ってコハク君は目を弓なりにして笑った。
褒められて少し恥ずかしくなったので俯いていると、ぬっと現れたトラさんが「はい、これ!」と赤い紙袋を差し出して「どうぞ」と言った。中には二匹分のおいしそうなふっくらお揚げが入っていた。
「わーい!やったあ!!トラさん、ありがとうございます」
キヌコが素直に感謝の気持ちを伝えると、トラさんは顔を赤くして照れくさそうに「喜んで貰えて嬉しいです」と答えた。
「今夜は妹がご迷惑をおかけしたというか、なんというか……色々とごめんなさいっ!」
私が頭を下げると彼女は慌てて両手を振り、
「そんなことありませんから気にしないで下さい。こちらも楽しかったですよ?」と微笑んだあと言葉を続け
「また、是非一緒に演奏しましょうね。キヌツキさんによろしくお伝えください」と言って小さく頭を下げた。
「トラさんは父、というか文月堂とか私達のこともご存知だったんですね……」
感慨深げに呟くと彼女は頷き、
「えぇ、お父う様とはちょっとした知り合いでしたので……はじめは毛の色とか雰囲気が似てるなぁと思う程度でしたが演奏を聴くうちに確信しました。……なかなか勉強になったでしょう?」
いたずらっぽく笑う彼女に私は苦笑いを返す。
「もう二度とやりませんけどね……じゃあ私達はこれで」
私達は軽く一礼してその場を後にした。
帰り道、キヌコが嬉しそうに鼻歌を歌いながらお揚げの入った手提げ袋と尻尾を揺らしている。私は大きく伸びをして夜空を見上げ、心地よい夜風を毛皮に感じた。
「ん~ふっかふかやぁ」
文月堂に戻った私たちは(勿論うがいと手洗いを済ませて)
早速、お揚げを頂くことにしました。まだほんのり温かいお揚げを白飯の上にのせて醤油を垂らす……これが最高なのだ。ハフッと口に運ぶと口の中にお揚げのうま味が広がってサクッサクサク、ジュワァ~なんだよなあ……『美味しい』は正義です。
実は妹以上に私もお揚げの屋台が楽しみなんです。
キヌコの方は目を閉じて鉄◯!DASHの実食レポートのような至福の表情を浮かべています。でも食べ終わってすぐにハッとした顔になり
「あ~!気づいたらほとんど食べ終わってるやん!お姉ちゃんズルい」と言い出しました。
「ずるくても何でもないじゃん、気づかなかったお前が悪い」
そう答えつつ妹のほっぺについたごはん粒を取ってあげると「だって夢中になってたんやもん」と口を尖らせました。
「来年も一緒に行きたいなぁ」
寝床で天井を見つめながら妹がぽつりと呟いたので。私はその頭を撫でてあげながら
「きっと行けるよ」と言ってあげました。
「約束やかんな」
私は妹とゆびきりして、そのまま眠りに落ちていきました……。
第1話 おわり
どうぶつの楽器屋さん 釣鐘人参 @taka29
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