ちょくちょくスープの味が変わるラーメン屋

Jack Torrance

究極の一杯への道程

寒風吹き荒ぶ冬真っ只中の12月。


私はアイオワ州の南西部カウンシルブラフスに妻と二人で住んでいる。


アイオワの冬は湿潤大陸性気候で夏も冬も極端な気候になりやすく温度計は乱高下する。


やはり寒い時には温かい食事に有り付くにかぎる。


体も心も温まる温かい食事。


クリームシチュー、カレー、チャウダー、挙げれば自然と口の中に唾液が溢れる。


1年前くらいに繁華街から少し離れた路地裏にラーメン屋が出来た。


店の名は漢字で〈参獄死〉とのれんに達筆な書体で書かれていた。


私と妻はそれまでラーメンという物を食した事は無かった。


私は妻と店に興味本位で入った。


店主の齢50と思わしき親父が威勢よく「いらっしゃい」と言った。


星条旗のバンダナを巻きハーレーダビッドソンのTシャツにインディゴブルーのデニム。


ぱっと見た目はキャプテンアメリカとでも言ったところだろうか。


店主の親父の威勢のいい挨拶に続いて同じく齢50くらいの小太りの女も元気よく「いらっしゃい」と言った。


二人とも白人で中国人やアジア系ではなかった。


店内は居抜き物件をリフォームしたような造りで小綺麗でカウンター席が5席、4人掛けのテーブル席が2組とこじんまりした佇まいだった。


私は仕事柄漢字にも幾らかは精通しているので尋ねた。


「店ののれんの〈参獄死〉って何なの?」


店主の親父はべらんめえ口調で言った。


「あっしは『三国志』の大ファンでしてね。横山 光輝のコミック『三国志』は絵はヘタウマでしてね、これが味があっていいんでやんすよ。あっしは以前は外資系のサラリーマンをやっていたんですがね、日本に5年、中国に8年。そこで嵌ったのがラーメンでしてね。そりゃあ、ここにいるかみさんとラーメン屋巡りをしやしてね、行く店行く店の店主の親父さんに拝み倒して秘伝の味、そう、言ってみりゃ究極のスープを独学で開発したって訳なんでさあ。それで念願のてめえの店を故郷アイオワのカウンシルブラフスに構えたっていう訳でさあ。ああ、そうそう、〈参獄死〉ってのはね、人って奴は罪深い生き物だとあっしは思ってるんでさあ。死んだら人は地獄に参るって意味でさあ」


そう言って店主の親父は高笑いした。


私と妻もつられて笑った。


店主の親父が手揉みしながら言った。


「で、ご注文は?」


私と妻は豚骨スープのチャーシューメンを頼んだ。


「チャーシュー2丁」


小太りのかみさんが威勢よく厨房に伝えた。


「あいよ」


店主の親父が麺を茹で手際よく湯切りすると究極のスープとやらを丼に注いで麺を馴染ませるとチャーシュー、葱、きくらげ、味付け卵を盛付けして一丁上がり。


出来上がったラーメンを小太りのかみさんが運んで来た。


よく見るとスープに親指がずっぽり漬かっている。


これも愛嬌だ。


そう己に言い聞かせ私は見て見ぬ振りをした。


私は音をたてないように上品にチャーシューと麺を啜った。


そして、吟味しながら咀嚼した。


美味い。


私は蓮華でスープを掬い啜った。


う、美味過ぎる。


横で妻も小さな声で「美味しい」と言った。


こうして、私と妻は、この店の常連となった。


しかし、3ヶ月後に店主の親父に災難が降り掛かる。


交通事故で右足を失ったのだ。


しかし、キャプテンアメリカの親父は不屈の闘志の持ち主だった。


そんな災難にもめげずに店主の親父は義足を着けてカムバックして来た。


私と妻は店に行った。


「親父さん、この度は災難だったね。少しはいつもの日常に戻れたかい?」


「ベトナムや諸外国では今でも地雷に苦しんでいる人がいるんでさあ。あっしもその人達の気持ちがやっと解ったんでさあ」


私は店主の親父の不屈の精神の一言に驚愕と感嘆の念を抱いた。


そして、いつものチャーシューメンを注文した。


店主の親父はいつもと同じように仕事を熟している。


人とは障害を負っても体に染みついた物まではかえられないという事を店主の親父は身を以って示してくれた。


そう、それは一言で言えばソウル。


魂がキャプテンアメリカを動かしていると言っても過言ではないだろう。


小太りのかみさんがいつものように無意識だと思いたいのだがスープに親指がずっぽり漬かった状態で運んで来た。


他の客にも同じように運んでいるので故意では無いと思うのだが…


私はスープを蓮華で啜った。


あれ、不味くは無いが味が変わっている。


私は店主の親父に尋ねた。


「スープ変えたの?」


店主の親父が真面目くさった顔で答えた。


「いやあ、あっしも暫く店を休んでいたもんでね。金が無くて仕入れが出来なくて失くしちまった足を冷凍にしてたもんで、つい魔が差しちまってスープに使っちまったんでさあ」


私と妻は顔を見合わせぎくりとした。


すると、店主の親父はにこりと笑って言った。


「冗談でさあ、豚のゲンコツの仕入れをちょいと変えたもんでさあ」


私と妻はほっとした。


1週間後。


店に私と妻で行くと店先に犬が繋がれていた。


私と妻は店に入り店主の親父に尋ねた。


「犬を飼い始めたのかい?」


店主の親父がにこりと笑って言った。


「かみさんが拾って来たんでさあ。捨てられてて可愛そうだからってね。あっしは食い物屋なんだからよしとけって言ったんですがねえ。かみさんの野郎が言う事を聞かないんでさあ」


「へえ、そうなんだ。親父さん、チャーシューメン2杯頼むよ」


「あいよ」


「はい、お待ち」


親父のかみさんが常態化しているお決まりのスープに親指をずっぽり浸した丼の握り方で運んで来た。


私は、この時にはこの親指からも良いダシが出ているんだろうなと思うようになっていた。


私は蓮華でスープを掬って啜った。


美味い。


この前と変わらず良い味をだしていやがる。


憎いな、親父!と私は思った。


妻も横で上品にスープを啜り「美味しい」と呟いた。


何て上品でいじらしい女性だ。


私は妻と家に帰り、玄関の扉を閉めるなり矢も盾もたまらなくなり妻を床に押し倒して激しく愛した。


「あ、あなたベッドでお願い」


私は妻の願いを無言でスルーし行為を続けた。


興奮した。


まるで、ポルノのワンシーンのように玄関で新聞の勧誘員がその家の人妻をレイプしているように私も妻を激しくレイプしているかのような錯覚に陥ってしまって…


2週間後。


私は妻と店に行った。


あれ、この前の犬がいない。


私は店に入り店主の親父に尋ねた。


「あれ、親父さん、犬どうしたの?」


「いや、参りやしたよ。あの馬鹿犬ときたらお客さんにキャンキャン泣き喚くもんですからね。ばらしてスープにしたんでさあ」


私と妻は、またいつもの冗談だと思って笑った。


だが、店主の親父は顔色一つ変えずに真面目くさった眼差しで私をじっと見つめている。


私は店主の親父に問い返した。


「親父さん、それってマジ?」


店主の親父はこくりと頷いて言った。


「大丈夫でさあ。韓国では犬だって食うんですから。死にやしませんでさあ」


3分程、私と妻、そして店主の親父の間に気不味い空気が流れた。


淀みきった店内の空気。


気のせいかも知れないがいつもは食欲を唆られる美味そうなスープの香りが獣臭に感じられ鼻孔を刺激した。


私と妻は注文するのを躊躇い顔を見合わせアイコンタクトで店を出ようとした。


その時、小太りのかみさんがヘルメットを被って〈どっきり大成功〉と書かれたプラカードを持ってトイレから出て来た。


そのコントのワンシーンのような滑稽な小太りのかみさんに怒りを通り越して笑いが込み上げてきた。


「親父さん、冗談きついよー。チャーシューメン2杯頼むよ」


「あいよ」


どっきりが成功した事に気を良くした店主の親父がチャーシュー増量でサービスしてくれた。


小太りのかみさんがヘルメットを被ったままいつものようにスープにずっぽりと親指が浸かった状態で運んで来た。


私は小太りのかみさんがトイレから出てきて手を洗っていないのを見逃していなかった。


店主の親父がどっきりを仕掛けている間にかみさんは便意を催しうんこをしたかも知れない。


果たして手を洗ったのだろうか?


手洗いの水道はお湯は出ない。


このクソ寒い時期にうんこをして手洗いを疎ましく思っている小太りのかみさんがそこにいたら………


私は7歳で小児がんで死んだ筈の娘の笑い声が子供部屋から聞こえて来たような恐怖に襲われた。


いや、大丈夫だ。


この小太りのかみさんが生物化学兵器なんかを触っていなければ死ぬ事はないだろう。


私は己にそう念じた。


私は蓮華でスープを掬い啜った。


あれ、美味いけどまたスープの味が変わっている。


親父の犬の話は眉唾なんじゃないのか!


妻はいつものように「美味しい」と可愛く呟いていた。


3日後。


私は仕事の出先でたまたま店の近くを通り掛かり昼飯にしようと店の前に来た。


あれ、この前の犬がいるじゃないか。


店主の親父の話を一瞬でも眉唾だと思った己を恥じた。


「こんにちは、親父さん。犬いるじゃないの」


「ああ、あれは姪っ子が気に入りやしてね。家に連れ帰ってたんでさあ」


私は客が4人いるのに店主の親父が一人で切り盛りしているのを不思議に思い店主の親父に尋ねた。


「あれ、奥さんは?」


その話題を切り出すと店主の親父は不機嫌そうに答えた。


「ああ、彼奴ですかい。店の景気がいまいちなもんですからね。いつもグダグダと四の五の抜かすんでばらしてスープにしてやったんでさあ」


すると、カウンターの一元の客が麺をゴホッと吹き出した。


客の鼻からは麺がにょろりと垂れ下がっている。


私は、またかと内心でほくそ笑み親父の冗談に合いの手をいれた。


私は来店を繰り返しているうちに店主の親父の悪趣味極まりない冗談がこの店を訪れる楽しみの一つにもなっていた。


「前の別れた奥さんもでしょ」


店主の親父がにやりと笑って言った。


「そうでさあ、お客さん。今度のかみさんは残った贅肉を凧糸で縛ってチャーシューまで拵えてやりやしたでさあ」


私は大声で笑った。


「じゃあ、その奥さんのチャーシューメン1杯」


「あいよ」


店主の親父は麺の湯切りをしていた時に鼻をほじった。


私はそれを見逃さなかった。


店主の親父は鼻糞を前掛けになすくり付けて丼に究極のスープを注ぐと湯切りした麺を馴染ませ手際よくチャーシュー、葱、きくらげ、味付け玉子を盛付けて完成させた。


そして、私の前に運んで来た。


さっき鼻をほじった指がスープにずっぽりと浸かっている。


私は真剣に悩んだ。


食料廃棄が問題になっている昨今の現代社会。


企業は次から次に新商品を開発し店頭に並ぶ。


その幾千幾万にも及ぶ店頭に並ぶ商品の中には美味い物もあれば不味い物もある。


味覚音痴な企業も数多の星の如く蛆虫のように現れては消えていく厳しい競合社会。


不味い商品は売れ残り消費期限を迎え廃棄されていく結末。


企業は生き残りを賭けて究極の一品を産み出そうとしているが究極への道のりは果てしなく険しく狭いゴツゴツとした岩だらけの道である。


その向こう側に究極は存在する。


世界では未だに飢餓に苦しんでおられる方がいるというドキュメンタリーをこの前観たばかりだ。


たかが鼻をほじっただけの指がスープに浸かっているからといって作り直してくれなんて言えるのだろうか?


私は断腸の思いで自重した。


それに、このチャーシューメンは鼻糞が混入していたとしても、それを補って余りある究極の一杯なのだから…


蓮華でスープを掬って啜った。


う、う、う、美味い!


この前とまたスープの味が変わっている。


キャプテンアメリカの進化は止まらない。


あの小太りのかみさんからなら美味いダシが取れそうだなとカニバリズム的思想が脳内を駆け巡った。


「親父さん、またスープを変えたのかい?」


店主の親父が、よくぞ気付いてくれたといったような歓喜の表情を浮かべて言った。


「流石、お客さん。舌が肥えていなさあ。前にげんこつを仕入れていた業者が潰れちまいやしてね。そんで、新しい業者から仕入れたんでさあ。それがね、前のげんこつよりも仕入れが安いんですがね、こっちの方が物が良いんでさあ」


「またまた、親父さん、そんな事言っちゃってほんとは奥さんの人骨から取ったんでしょ」


店主の親父と私は高笑いした。


5日後。


その日は日曜だった。


私と妻は2丁目のスーパーマーケットに買い出しに行った。


妻と精肉売り場を見ていたら店主の親父の小太りのかみさんが齢70と思わしき目付きのエロい親父と腕を組みながら歩いている。


その親父の腕にだらしなく垂れ下がった乳房を押し当てながら。


そして、小太りのかみさんは目付きのエロい親父に色目を使いながら言った。


「ねえ、ダーリン、この高いテンダーロインのお肉買って。ダーリンも精力付けなきゃ今晩もあっちの方が勃たないでしょ」


目付きのエロい親父がデレデレしながら言った。


「仕方ねえなあ、スイートハート。金の事なんか気にしねえで欲しい物は何でもカートに入れろよ」


「ありがとう、ダーリン」


そう言って小太りのかみさんは目付きのエロい親父の頬にキスした。


この前、見た時よりも小太りのかみさんの目方は増えていて中太りくらいになっている。


余程、毎日いい物を食わせてもらっているんだろう。


さながら養豚場の豚だなと私に邪な思想を抱かせた。


精肉市場への出荷も時間の問題だな。


あのかみさんからどれくらいのチャーシューとスープが取れるだろうか?


何がスイートハートだ。


スイートミートの間違いじゃないのか。


私はキャプテンアメリカのブラックジョークがこの時には私の生活の一部となっていた。


私は妻と帰宅し買い出しした物を車から降ろすと私はラーメン屋に向かった。


店に入り余計なお世話だと思ったがスーパーマーケットでの一部始終を店主の親父に教えてあげた。


すると店主の親父の逆鱗に触れた。


「あの尼っ子めが。けえって来やがったらぜってえにチャーシューにしてやる」


そう言って店主の親父は狂ったように葱をトントン仕出した。


私は店主の親父を宥めた。


「親父さん、奥さんだけが全てじゃないよ。まだまだ、素敵で魅惑的な女性はいるもんさ」


「お客さんは、あんなべっぴんで上品な奥さんがいるからそんな事が言えるんでさあ」


キャプテンアメリカの目は充血し潤んでいた。


「親父さん、元気出しなよ」


私はそう言って帰宅した。


3週間後。


私は仕事で顧客の新規開拓とかマーケティングの勉強会などで多忙を極めていた。


その合間にワシントンとロスへの半ば日帰り的な商談に向かった。


極めつけがニューヨークに1週間の出張というPGAツアーのプロゴルファーのような毎日だった。


カウンシルブラフスに戻って来て私は一にも二にも無性にあの親父のラーメンが食いたくなって家にも帰らず店に向かった。


店の前に繋がれている犬がキャンキャンと吠えた。


店に入ると夕刻の時間帯にも関わらず客は一人もいなかった。


「いらっしゃい」


店主の親父が満面の笑みで私を出迎えた。


「今日あたりお客さんが来ると思ってたんでさあ。お客さんに食ってもらいたいと思って試行錯誤で究極の更に上を行く究極のスープを開発してたんでさあ。他の客が来ると水を差すんでちょいと鍵でも閉めとくか」


そう言って店主の親父は磨りガラスの入り口を施錠した。


私は多少、面食らったが平静を装って言った。


「へえ、そうなんだ。今度はほんとに奥さんの人骨で取ったスープなんて話じゃないだろうねえ」


私はいつもの調子で悪ノリした。


「とんでもねえ、もっと美味いダシが取れたもんでさあ」


店主の親父はかみさんが出て行ったにも関わらず意気揚々と答え私がいつも注文するチャーシューメンを作り出した。


いつものように数秒も違わぬ体内時計で麺を湯掻き慣れた手付きで念入りに湯切りする。


キャプテンアメリカの考案した新開発の究極の更に上を行く究極の熱々のスープが丼に注がれる。


食欲を唆る芳香に店内が包まれる。


麺をスープに馴染ませるとチャーシュー、葱、きくらげ、味付け卵を手際よく盛付けキャプテンアメリカ考案、新チャーシューメンの完成だ。


キャプテンアメリカが目を輝かせてチャーシューメンを見つめている。


キャプテンアメリカの至極の一杯。


究極、極上、いや、もはや言葉は要らない。


己が創造した筆舌に尽くし難いチャーシューメンをうっとりと見つめているキャプテンアメリカ。


頭に巻いている星条旗のバンダナをフラッグポールに掲揚したい衝動に駆られるキャプテンアメリカ。


雲ひとつ無い青空の下で戦ぐ風にはためく星条旗のバンダナが彼の脳裏にくっきりと見えている。


店主の親父が両手で丼に手を添え大事そうに運んで来た。


指がスープに漬かってない。


こんな事は初めてだ。


店主の親父が嬉しそうに言った。


「あっしも昨日から試食してるんですがねえ、あんまりにも美味すぎて、もう20杯くらい食ってるんでさあ」


私は店主の親父の言葉を聞いて狂喜乱舞した。


このキャプテンアメリカの味覚を唸らせる至極の一杯。


早く食いたい。


早くスープを啜りたい。


カウンターのテーブルの上に置かれた至極の一杯を前にして私は胸が高鳴った。


先ずは箸でチャーシューを掴み一口噛んだ。


ゆっくりと、そして堪能するようにゆっくりと咀嚼した。


柔らかい。


いつものチャーシューとは違う。


口一杯に広がる甘みと洗練された食感。


続けて麺を啜った。


硬くもなく伸びてもなく、絶妙な湯掻き具合と湯切りだ。


これは製麺工場の職人も食えば作った甲斐があったと存分に実感出来る極上の細麺だ。


流石、親父!


独学で開発して味を極めている男の事だけはある。


私は何故にこの店が流行らないのかと常々不思議に感じていた。


私の鼓動は早鐘を打った。


このスープは間違いなく美味い。


断定出来る。


万が一にも砂漠を放浪する事が私の身に起こり、この上ない喉の渇きを覚えるくらいの極限状態で動脈硬化、高脂血症、その他種々雑多の成人病のリスクを負う事になろうとも私は一気に8杯くらいはこのスープを飲み干すであろう。


私は蓮華にスープを掬い啜った。


う、う、う、う、う、美味い!!!


美味過ぎる!!!!!


何だ?


この芳醇で口一杯にひろがる旨味と濃厚でありながら後を引かない後口の良さ。


私は何度も蓮華に掬ってスープを啜った。


「う、美味いよ、美味過ぎるよ、親父さん」


私は、そう述べた後に無言でチャーシューメンを貪り、はしたないとは思ったが丼に両手を添え口元に当てるとゴクゴクと一滴残らず飲み干した。


店主の親父は私の、その惚れ惚れする食いっぷりを食い入るように見つめながら欣悦していた。


「プハッーーー、親父さん、今まで食ってきたラーメンで一番美味かったよ。最高だよ、親父さん。今回のスープの改良は今までの中で最高だよ。また、げんこつの仕入れを変えたんだろ、親父さん」


店主の親父は阿修羅像の喜びの表情のように満面の笑みで「そうだろう、お客さん。そうだろう」と心底嬉しそうに言った。


「親父さん、この究極のスープを産み出すげんこつってのは、どんな物なんだい?私も、こう見えても食通としての自負があるから一度拝ませてくれないかなあ」


店主の親父はにこっと笑って言った。


「いやー、参っちまったな。あっしのこのスープも企業秘密ですから人にはあんまり見せたくないんですがねえ。まあ、仕方ねえ。足繁くあっしの店に通ってくれているデイヴィッドソンさんの頼みとあっちゃあ仕方ねえ」


そう言って店主の親父は厨房側のカウンター下のポリ袋みたいな物をガサガサとやり出した。


私は疑問に感じた。


私は店主の親父に名を名乗ったであろうか?


何故、店主の親父は私の名を知っているんだ?


そんな事を考えていたら店主の親父が髪の毛を掴んで生首をカウンターにどすんと置いた。


シ、シ、シンシア!!!!!!!!!!


店主の親父がカウンターに置いたのは妻の生首だった。


親父が不敵な笑みを浮かべて朗朗と語り出した。


「デイヴィッドソンさん、あんた、最初にうちの店に来た時に勘定の際に名刺を財布から落としたのに気付かなかったでしょうが。かみさんがそれを拾ってあっしに渡したんでさあ。名刺入れを忘れた時の為に財布に名刺を入れてたんでしょうな。あっしはね、あんたのかみさんを一目見た時から、こましてやりたいスケだなと思ってたんでさあ。それでね、あっしはあんたの会社に電話して、うちの店に忘れ物をしたから届けるので住所を教えてくれって電話したんでさあ。受付の姉ちゃんは、そりゃ懇切丁寧に教えてくれやしたぜ。住所から自宅の番号、それに行き道までもね。それで、あんたのかみさんのストーカーになったって訳でさあ。あんたの仕事やなんかもあっしは調べやしてね。出張もたまにあるって事も知ったんでさあ。それで、6日前にあんたの会社に電話したらあんたは出張でニューヨークに1週間滞在してるってね。それで、あっしはあんたの家に向かったんでさあ。呼び鈴を鳴らしてあんたのかみさんが出て来たんですがね、あっしはあんたが一人で店に来た時に万年筆を忘れていったって言ったんでやんすよ。家の住所は前に名前を伺ってたんで電話帳で調べて来たと言いやした。そしたら、あんたのかみさんがこう言ってくれたんでさあ『まあ、わざわざご足労お掛けして申し訳ありません。ちらかっていますが、どうかお茶でも飲んでいってください』ってね。あっしは出来たかみさんだなと思って増々このスケを犯したいって思いやしてね。ここからは、御想像の通りでやんすよ。あっしはあんたのかみさんをレイプして絞め殺した。そして、風呂場で切り刻んだんでさあ。2回に分けてここまでばらした胴体だの手足だの、そして、この生首も運びやしたんですがね。それが、4日前の事でさあ。じっくりコトコト煮込んで仕込みやしたよ。寝る間も惜しんでね。チャーシューも美味かったでしょ。いや、あんたのかみさんはグラマラスでイカしたスケでやんしたよ。おっと、いけねえ。レイプした時の事を思い出してたら息子の方が元気になってきやしたよ。ヒッヒッヒッヒッヒッ」


私は店主の親父の話を聞き今食べたチャーシューメンが胃から逆流して嘔吐した。


吐瀉物に塗れながらカウンターに置かれているシンシアの生首を見て嗚咽交じりに言い放った。


「シ、シ、シンシア。シンシア。よくもお前、よくもお前」


私はわなわなと震えながら店主の親父に飛び掛かろうと身構えた。


すると、店主の親父が俎板の上の包丁を握って私を制圧した。


私はたじろいだ。


店主の親父は目を細めて愛しいものを慈しむように言い放った。


「デイヴィッドソンさん、あんた、うちの店に来出してからちょいと太ったんじゃありやせんか。さぞ、いいダシが取れるでしょうよ。あんたも死んで地獄に参入する日が来やしたぜ、ヒッヒッヒッヒッヒ」


言い終わるや否や、店主の親父がカウンター越しに義足とは思えない跳躍力で私に飛び掛かって来た…

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