第7話 柿田先輩、イコール……
「……というわけなんですよ先輩。中島美梨は、二年前のユーリだったのです。しかし、俺たちが不適切な言動をしたせいで、彼女は古傷をえぐられてしまったのです。このままでは、俺たちは優秀な一年生を部から失ってしまうかもしれません」
「へぇ……まさか、二年前のユーリが、この街にいたとはね……」
俺の話を聞き終わると、電話の向こうの柿田先輩は感慨深げに言った。
「そうはいっても高瀬君」
先輩の声はすぐに改まった。
「高瀬君は優しすぎなのよ」
「そうですか?」
「自分で気づかないの?」
まるで俺が恋に鈍感な非リアであるかのように、先輩は言った。
「だって、二年前の『ユーリ』は、明らかに取り返しのつかないことをしでかしたでしょう。私はそれを隠して復活しようとした中島は気に食わないわね。永遠に小説界から締め出されてもいいくらいよ」
「ですよね……」
その通りなのだ。せめて中島がただユーリに作風が似ているだけの人だったらまだよかったが、彼女は実際のユーリだったのだ。世間一般の感情としては、元ユーリの中島に救いの手を差し伸べたくはないだろう。
それでも俺は、ユーリである中島を救いたいのだ。とはいっても、俺は中島の高い能力に期待してそう考えているわけではない。単純に、憎めないのだ。四月に初めて実際に会ったときから、俺の中島に対する印象は良かった。毎日の部活の中で話すうちに、さらに俺は中島に好感を持つようになった。
もし、中島に会うより先に、または中島と会ってすぐに、彼女の正体はユーリだと聞かされていたら、俺は中島を憎んだかもしれない。だが、ここまで深く関わってしまえば、もうそのイメージを覆すことはできないのだ。
「どうかお願いします。知らない人のことについて話すと思って、力を貸してください」
「知らない人なわけないじゃない」
先輩は俺の頼みを一蹴したようだった。まあ無理がない。ユーリというのは憎むべき小説家の代表格のような人物だし、それに俺は二年前、先輩にあれほどユーリの愚痴を言ったのだ。
「ここは直接私が話をつけるしかないわ。でも高瀬君、覚悟しておいて。私はユーリを救いに行くんじゃない。あいつをコテンパンにとっちめるために行くのよ」
「待ってください先輩! 何で俺の頼みと正反対のことをやろうとしてるんですか?」
「高瀬君」
先輩の声は、これまでにないほど低く、そして怖かった。
「これだけは、私がやらないといけないことなのよ。私の過去を、精算するために……」
「えっ?」
突然様子が変わった先輩に俺が驚いているうちに、先輩はさらに驚くべきことを言い出した。
「高瀬君、二年前のあれ、覚えてる?」
⭐︎
「さて先輩、いくつか説明していただきたいことがあります」
翌日、定慶高校近くのレストランで、俺と橘、中島は並んで座り、柿田先輩を詰問していた。
「ひとつ、なぜ二年間、俺に対して正体を隠していたのか。ふたつ、なぜ俺にわざとあの日に文化祭の学校誌を書かせて、俺が自作を推敲するのを妨害したのか。みっつ、なぜあの日の翌日、無関係の人のように俺の相談に答えたのか。これを説明していただかないことには、俺は先輩に中島には指一本触れさせません」
「ふふ……高瀬君、ふたつめについては、気づかなかった高瀬君もなかなか鈍感だと思うわよ?」
先輩は俺に軽口を叩きながら、俺たちに改めてその事実を明かした。
「お久しぶりです、皆さん……そうです、私が以前の栗林直美です」
俺が昨日それを聞いたとき、俺は今までの全てが崩れ去っていくかのような衝撃を受けた。もしそうだとすれば、何もかもが説明がつく。二年前に俺が先輩に電話をかけたとき、おそらく先輩の気分は最悪だったはずだ。あのとき先輩の様子がいつもと違うように感じたのは、単に先輩が無理をしていたからだ。その日先輩が部活を休んだのもそのせいだったのだ。
「さて、ユーリさん、私に何か言うことはないのかしら?」
先輩は俺を半分無視して中島を問い詰めた。だが、先輩の顔は半分笑っていた。まるで冗談の一環でやっているかのように。
「申し訳ありませんでした!」
と中島に頭を下げさせておいて、先輩は本格的に表情を崩し、中島の無防備な頭に手を伸ばして、軽く拳骨を喰らわせた。
「顔を上げていいわよ」
中島がおそるおそる顔を上げるのを確認して、先輩は続けた。
「私は早熟な小説家だった」
先輩は身の上話を始めたようだった。確かに先輩は早熟な小説家だった。これはもはや小説界でも伝説的に語り継がれていることだが、あるときある小説家が『小説の書き方講座』なるイベントを開催した。そこに、申し込んでもいないのに、小学校低学年程度の歳の先輩がふらりと現れ、『小説の書き方講座』という看板を見た瞬間、目を輝かせてペンを取り、その場で良作を書き上げ、人々を仰天させたーーというのだ。もちろんいくらかは誇張が入っているだろうが、先輩があまり苦労をせずにスターへの道を駆け上がったのは事実だ。
先輩の話は続いた。
「でも、しだいに私は、自分に疑問を感じていた。そのころ私は、現実世界の恋愛小説を専門にしていた。人の微妙な恋心やら嫉妬心やらを描くのに、私には天賦の才能があった。でも、私はそれだけでは満足できなかった」
でも、そこで先輩は、自分をもう一人作ることを思いついたのだという。
「そこで私は、小説サイト『ノベル・ノベル』に登録した。匿名なら、誰にも私が柿田涼花ということは知られない。私は新しく『栗林直美』という人格を作り、柿田涼花のときとは全く違うやり方で小説を書き始めたのだ」
「栗林直美たる私は、順調に人気を増していった。ーーあのころは、私の一番楽しかったときだ。二人の私が、それぞれ小説家として高い評価を得ていた。特に、高瀬君が私の後輩になったときには、嬉しくて発狂しそうになった」
でもーーと、柿田先輩は、俺に悪戯っぽい目を向けた。
「正直言って、私はだんだん行き詰まってきていた。それは私が二人の小説家だったからだ。柿田涼花と栗林直美は、完全に分離され、絶対に似ていると思われてはならないーーその制約が、私を苦しめていた。そして、あの日のユーリの投稿が、それを決定づけたんだ」
あの日のユーリの投稿。確か、栗林直美の小説を、鬱展開が多いと非難していたはずだ。
「高瀬君は、柿田涼花としての私が当時書いていた小説を覚えているだろう? あれは私の中でも最も救いのない小説だった。でも、だからこそ栗林直美の私は引っ張られてしまったのだ。ーー完璧なライトノベルに徹することができなかったのだ。それで栗林直美は引退を決意したのだ。このままでは、自分の書きたい小説を書くことができないーーそう気づいてしまったんだ。ーーまあ、そんな話はいい」
先輩は中島の方を見た。
「だから私は、個人的にはユーリにあまり怒りは感じない。だが、客観的に言えば、ユーリのあの発言は許されるものではない。少なくとも、あなたは『ユーリ』としては小説界には戻れないでしょうね」
ほとんど飲み終わったコーヒーを一口すすって、先輩は続けた。
「でも、あなたが他のだれかとして出発することを、私は止めるつもりはない。あなたに実力があることは真実ーーそして、私はあなたと、もう一度本気で勝負をしてみたい。ゼロからやり直して、私のところまで、なんとしてでも這い上がってきなさい」
先輩は持っているバッグに手を突っ込んだ。
「代金は払っておくわ。三人とも、仲良くね。じゃあ」
先輩は四人分の食事代をテーブルに置くと、店を出ていった。
「驚いたなあ。中島があのユーリだったなんて。俺も読者の一人だったものだよ」
話を聞いていたのかいなかったのか、橘が適当なことを言った。
「いえ、もう私はユーリではありませんよ。私の中で、ユーリはすでに死にましたから」
中島は残り少ないオレンジジュースを飲み干した。
「私は、伝説の悪役小説家の影を追いかけている、一人の『ユーリの残党』なのです」
ユーリの残党 六野みさお @rikunomisao
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