第2話 悲劇

 そこにはこう書いてあった。


『個人メッセージが届いています』


 個人メッセージとは、普通の感想とは違い、非公開で作者にメッセージを送ることができるノベノベの機能だ。といっても、多くは誤字報告に使われることが多かった。


 だが、俺はそのメッセージの差し出し人を見て、それが誤字報告でないことを確信した。


 なぜなら、その差し出し人は、栗林直美であった。


「な……なぜ、いきなり?」


 俺は不審に思いながらも、そのメッセージを開けた。


 そこにはこう書かれてあった。


『高瀬くん、ユーリちゃんのあれ、見たよ。やっぱり高瀬くんの小説は面白いんだなぁ。全てにおいて完璧だ。僕にはとても及ばないよ。これからも頑張れ』


 短いメッセージだったが、俺の心拍数は跳ね上がった。あの栗林直美が、俺の小説を手放しで褒めてくれているのだ。喜ぶなという方が無理だった。


 いったいどう返したらいいものか。俺の頭の中は、すぐにそのことでいっぱいになった。俺は少し悩んだ。でも、向こうがそこまで長い文章でないから、こちらも短くていいだろうと思った。


 結局、俺は3行ほどの返信を入力し、送信ボタンを押した。最初に栗林直美のメッセージを見てから15分くらい経っていた。


 すると、いつもの『送信が完了しました』という文字は表示されず、代わりに『エラーが発生しました』と表示されたのだった。


『あなたがメッセージを送信しようとしたユーザーは、存在しないか、既に退会している可能性があります』ーーそう見慣れない文字列は言っていた。


 何かの間違いかと思ってやり直したが、結果は同じだった。俺は嫌な予感がして、慌ててさっきのランキングのページに戻った。


 案の定、さっきまで1位に君臨していた栗林直美の作品は、ランキングから跡形もなく消えていた。俺は最後の望みを託して栗林直美のユーザページに飛んだが、やはり『このユーザーは退会しました』と表示されただけだった。


 俺は目の前が真っ暗になったような気がした。あろうことか、栗林直美は自らの優勝を前にして、『劣等生聖女』の最終回を更新しないままに退会してしまったのだった。しかも、俺にあんなメッセージを残して。


 俺はとりあえず例のメッセージをもう一度見た。改めて見ると、その文章は栗林直美の最後の挨拶のように見えた。そして、さっきは見えなかった文言が見えてきた。


『ユーリちゃんのあれ、見たよ』


 この一節は不自然だった。栗林は俺の小説を見たのではなく、ユーリの『あれ』を見たのだ。いったいそれは何なのか。俺がとにかく『ユーリ』と検索をかけると、なんとその問題の発言は、検索結果の一番上に出てきた。


 それは、ユーリ自身にとってはーー自らを中学2年生と公言する、人気急上昇中のインフルエンサーにとってはーーなにげないつぶやきの一つであるような発言ではあった。しかし、その内容はあまりにも強烈で、ユーリは俺がそれを見る前にすでに炎上しかかっていた。


『ノベノベU-18小説賞、1位と3位の作品を読んできました。しかし、1位の作品は、私は少し違和感を感じます。あまりにもヒロインの聖女が苦しみすぎているようなーー鬱な展開が多いような、そんな感じがします』


 ユーリの投稿内容は、明らかに栗林直美の『劣等生聖女』を批判するものだった。さらにユーリの投稿はこう続いていた。


『対して、3位の作品は見事です。勇者の何回ループしても魔王を倒せない様子は確かに鬱な要素ではありますが、それ以上にサブキャラである勇者の仲間たちの言動が絶妙に面白いので、それが相殺されています。私はこのようや明るい小説こそが良い小説であると思います。個人的には1位と入れ替わってもいいくらいです』


 俺は思わず、画面上に表示されているユーリの自作の大してうまくない絵で作られたアイコンに、全力のゲンコツを喰らわせた。パソコンは吹っ飛んで、ドシンと大きな音を立てて地面に落ちた。


「この人間のクズが!」


 俺は悪態をついた。俺がユーリに褒められているとかいうことは関係なかった。ほぼ確実に、栗林直美は彼女のこの投稿によって深く傷つき、俺にあのような遺言を残して小説界を去ったのだ。


 それに、ユーリの論調は、ひどく感情的で偏っていた。特に『劣等生聖女』に深く感動した俺からすると、それは受け入れがたいものだった。『劣等生聖女』は、序盤のヒロインの苦しみがあるからこそ後半の巻き返しにスカッとできるし、そして何よりも、ヒロインが嘆く描写がリアルで、まるで彼女本人になったかのような共感を誘うのだ。


 俺はそのまましばらく固まっていた。ユーリのあの発言は常軌を逸していたが、俺には何もすることができなかった。そもそも、俺がユーリの発言を表立って批判することはやりにくいーー俺自身がその渦中に、『褒められた側』にいるからだった。不用意に動けば、何を言われるかわかったものではなかった。最悪の場合、俺の小説家生命にもかかわる。


 ペンネームの下の名前を本名から変えて『高瀬ヨモギ』にしておいたのは正解だった。もし俺の素性が特定されれば、俺の家族にも危害が及ぶーーそこまで考えたのは覚えている。


 次に気がつくと、朝になっていた。どうやら俺はあのまま眠ってしまったらしかった。


 さあ、今日は何の日だったっけなーーとまで考えると、すぐに昨日の恐ろしい記憶がよみがえってきた。思わず俺は頭を抱えた。俺は取り返しのつかないことに巻き込まれてしまったのだ。しかも、栗林直美はもうこの世界にいないのだった。


 俺はふらふらとパソコンを拾い、壊れていないことに安堵しながら、いったいどんな批判が来ているかと、震える手つきでノベノベを開けた。


 だが、通知欄に表示された、普段の何倍ものコメントは、俺をさらに絶望させることになる。

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