ユーリの残党

六野みさお

第1話 俺と先輩

 東京大学に入りたいなら一日中勉強をしなければならないことも、甲子園に出たいなら一日中野球をしなければならないことも、誰が考えても自明のことである。しかし、それと同じように、小説家になりたいなら一日中小説を書かなければならない、ということに気付いている文士は、そこまで多くない。

 

 その点、俺はその事実に早くから気付いていた。だから俺は、小説家になりたいと思い立った小学五年生のときから、自分の人生をできるだけ全て小説に捧げてきた。同級生たちが勉強をしたりゲームをしたり遊びに行っている間に、俺はほとんど小説を読むか書くかしていた。一回だけ仲間を増やそうと、ある同級生を本屋に連れて行ったことがあるが、俺が小説について熱く語るのに耐えられなかったらしく、彼は途中で逃げるように帰ってしまった。


 だから、定慶じょうけい高校の文芸部にすごい小説家がいると聞いたとき、俺は迷わずそこに進学した。残念ながら定慶高校に入学するには少し勉強が必要だったが、これも俺が小説家になるための努力の一環であるから、苦もなくこなすことができた。


 だが、俺はすぐに後悔することになった。というのは、そのすごい小説家は、いささか性格に難があったのである。


高瀬たかせ君、何だねこの小説は」

「決まっているでしょう、『僕と二人の転生者』です。俺が今年の遊学社小説コンテストに応募する作品です」

「答えになっていない。私は『何だねこの面白くない小説は』というつもりで言ったんだよ。まあ、これしきの短文を読解できないようじゃ、高瀬君がこのような面白くない小説を書くのも当然だわね」


 俺とその天才小説家ーー柿田かきた先輩の関係は、毎日こんな調子だった。先輩は俺が部室で小説を書いていると、決まって後ろからのぞき込み、難癖をつけてくるのだった。一回捕まれば、まず一時間は離してもらえなかった。


 とはいえ、先輩の指摘はいつも正しかった。何しろその当時の先輩は、すでにいくつも書籍を発表し、大きな賞も取っている人気小説家であった。その先輩が、たくさんいる一年生の中でなぜか俺だけに毎日絡んでくるということは、俺は先輩に目をかけられている、才能ありと見られている、ということにちがいなかった。(もちろん、今思えば、それは思い上がった考えだったかもしれない。だが、当時の俺には、他の一年生の書く文章は見るに耐えない駄文にしか見えなかった。)


 そして嬉しいことに、俺が先輩にしごかれるようになってしばらくすると、俺の小説力はめきめきと上昇し始めた。俺の小説は俺の登録している小説サイト『ノベル・ノベル』ーー略してノベノベーーで軒並み順位を上げ、遊学社小説コンテストでは二次予選を突破した。最終選考では外れてしまったが、それでもその成績は、俺にとっては快挙だった。


 そんな日々が続いていた夏のある日、俺はいつものように部室で小説を書いていた。すると、柿田先輩がいつものようにやってきた。

 

「高瀬君、何を書いているんだね?」

「『勇者は何回でもやり直す』です。今年の『ノベノベU-18小説賞』に応募している作品です」


 ノベノベU-18小説賞は、ノベノベが毎年夏に開催している小説の公募だった。普通の公募と違って、この公募では参加者の資格が18歳以下に限定される。つまり、俺のような高校生にも、上位入賞のチャンスがあるということだった。


「そういやあれ、今日が最終日だったわね。高瀬君は何位なの? ……って、3位じゃん。やるぅ」

「いやいや先輩、3位では意味がないんですよ。だって書籍化されるのは優勝作品だけですからね」

「あ、そっか。うーん、となると、高瀬君の場合、2位と1位とはかなり差が離れてるから、もうだめね」

「でも、こういう読者からのポイントだけで勝敗が決まる公募は、やっぱりやっててモチベーションが上がりますよ。せっかくなんだから最後まで全力を尽くさないと」

「ふーん……でも今日は、高瀬君は小説を書けないわよ」

「えっ! 何でですか?」

「これを見なさい」

「あっ……これは!」


 先輩が取り出した紙には、『第75回定慶高校文化祭における学校誌の役割分担について』と書いてあった。


「で、ここ」


 先輩が示したある一行には、こう書いてあった。


『まえがき担当 高瀬星波たかせせいは


「なぜ俺がこのような役回りに!?」

「生徒会でそのように決まったのよ。ちなみに締め切りは今日よ。まあせいぜい間に合うようにしなさいね」

「わかりました……」


 本当はもっと前に決まっていただろうに、俺の今日の予定を知っていて、嫌がらせをしているにちがいなかった。結局俺は、部活の残りの時間を、ほとんどそのまえがきにかけなければならなかった。


⭐︎


「伸びろ……伸びろぉ……」


 なんとか例のまえがきを終わらせて家に帰った俺は、夕食と風呂以外はずっと、『ノベノベU-18小説賞』のサイトにかじりついていた。


 時刻は午後10時、大会の終了まであと2時間となっていた。


 だが、状況は非常に厳しかった。俺の作品は、もうすでに2位と1位のポイントには大差をつけられていたのである。


 2位の作者のペンネームは『ユーリ』。彼女は最初、全く誰もその名を知らない新人として、この大会に参加していた。それにもかかわらず、ここまでの大人気を博しているのは、彼女に実力があるからだ。その作品は『青蘭せいらん高校文芸部』。冴えない陰キャ男子である主人公が、美少女に誘われて文芸部に入り、小説家として成り上がっていく話だ。俺が読んだところでは、荒唐無稽なストーリーと稚拙な文章にしか見えなかったが、キャラがよく立っていることと、欲求不満を持て余している弱小小説家たちがこのサクセスストーリーにこぞってポイントを入れたこともあって、いつのまにか俺より上にいた。


 そして、1位の作者のペンネームは『栗林直美くりばやしなおみ。この人は俺の永遠のライバルであったーーといっても、一回も勝ったことはなかったが。俺と同じ時期に活動を開始した古参であるこの人は(栗林直美は性別を公開していなかった。男とも女ともそれ以外ともいわれていた)、恒常的に俺よりも活躍していた。書籍化の誘いを何度も受けたが、それを全て断っているらしい、という噂も流れるほどのーーつまりいつ書籍化されてもおかしくないほどのーー人気を誇っていた。


 その作品『劣等生聖女』は、全ての面で俺を上回っていた。ヒロインの少女は突然聖女に選ばれるが、なかなか実力を伸ばせず苦しむ。だが、あるとき彼女の運命を変える出来事が起きてーーという物語だ。俺もそれまでに何度も泣いていたほどの、感動的な作品だった。


「あと1時間……!」


 そして、栗林直美の『劣等生聖女』は、なんとまだ完結していなかったのだった。普通は完結ブーストを見越して、『ノベノベU-18小説賞』の参加者たちは、大会終了の数日前に作品を完結させておくのが普通だ。もちろん俺やユーリもそうしていた。だが、あろうことか栗林直美は、最終日の午後11時に『劣等生聖女』を完結させると宣言していたのだ。最初は俺も、余裕ぶってるーーと快く思っていなかったのだが、実際栗林は余裕だったし、さらには大会の最後の盛り上がりを演出する起爆剤になってしまっていた。


 俺が結果がわかっているのにまだこうやってノベノベを見続けていたのも、実はこの最終回を待っていたのであった。


 でも、今から1時間ランキングを見つめていても飽きてしまうので、俺はマイページに戻ることにした。普段の連載小説への感想やらなんやらに返信をしておこうと思ったのだった。


 すると、通知欄に見慣れない文字があった。


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