第3話 先輩の言葉

 俺に送られてきたコメントのほとんどは、同じ内容だった。


『高瀬ヨモギさん、優勝おめでとうございます!』


 俺は最初はわけがわからなかったが、いつまでも読み切れないその類のコメントを見ているうちに、俺はある可能性に思い当たった。


 調べてみると、俺の考えは証明された。日付が変わる直後、ユーリは彼女の全ての情報を、インターネット上から消し去っていた。それ自体は喜ばしいことだった。ユーリのあの投稿は、一刻も早く人目に触れないようにされるべきだった。


 だが、それによってーーつまり、『ノベノベU-18小説賞』の2位のユーリと、1位の栗林直美が消えたことによって、3位だった俺は、1位になってしまったのだった。


「どういうことだよ……」


 俺が自分の謎の幸運を受け入れられないでいると、俺のスマホが振動した。電話だった。


「もしもし、高瀬ですが」

「あっ、高瀬先生ですか。このたびはおめでとうございます」


 いよいよ俺は恐怖に襲われた。この人物は俺の正体を知っているーーそれは、俺の個人情報がすでに漏れていることを意味していた。


「あのう、私は文楽社のーーノベノベを運営する会社の者なのですが、高瀬先生は今回の『ノベノベU-18小説賞』で優勝されましたので、つきましては書籍化の調整をーー」


 俺は反射的にぶるんぶるん首を振った。そんなことをやっても、電話の向こうの編集者に伝わるわけがないのだったが。


「無理です! 辞退します! いったいどういう分際で、俺が優勝する資格があるのですか! 俺は事件の当事者であり、加害者であるのです。本当は、俺もアカウントを全て投げ出して、小説界から消えるべきなのです。俺は、栗林直美を見殺しにして漁夫の利を得ようとした、人間のクズなんですよ!」


 いったい俺が、これからどの面を下げて優勝者と名乗り、全国の書店に自作を並べられるというのか。まず俺の作品は本当の優勝作ではないし、それを差し引いたとしても、栗林直美を止められなかった俺に、受賞を受ける価値はない。


「どうせなら、4位の方に譲ってやってください……」


 俺はそう突っぱね続けたが、編集者の方もただでは引き下がらなかった。


「別に高瀬先生が悪いわけではありませんよ。もしかして先生、朝から自分のアンチコメントばかり見てたんじゃないですか? 今のところ、少なくとも表のネット上では、高瀬先生の批判は少ないです。逆に同情的な意見が多いくらいですよ。元気を出してください」


 それが事実であるとすれば安心はできたけれども、それが俺の感情を今すぐに治してくれるわけではなかった。


「ちょっと考えさせてください」


 そう言って俺は電話を切った。


 確かに、普通の人から見れば、俺はただの巻き込まれた不運な人としか映らないのかもしれなかった。でも、本当の事態の経過を知っている俺は、それを反省せざるを得なかった。


 最初に栗林直美からメッセージが来たとき、俺は柄にもなく舞い上がってしまった。今思えば、それが失敗だったのだ。あの文言をはじめからよく見ていれば、ユーリの例の投稿について気づくことができたのだ。栗林直美が俺にSOSを出していると気づくことができたのだ。


 最近、何かの小説の一節に『普段ないことが起きたら、慎重に当たれ』という警句を書いたが、俺自身がそれを実践できていなかったのだった。こんな俺に、これから小説を書く資格があるのだろうか。もしかしたらそんなに悩むことでもないのかもしれなかったが、俺はがこのことについて悩まなければ、栗林直美とそのファンたちに申し訳が立たないような気がした。そう、俺は、栗林直美だけでなく、その作品をもう見ることのできないファンたちにも、大きな罪を犯したのだった。


 こんな日には部活に行く気にはなれなかった。それでも、俺は何かを誰かと話したかった。どんな形であれ、俺に適切なアドバイスをくれそうな人と。


 長めのコールの後、「ん、なに?」と、柿田先輩は面倒そうな声で電話に出た。


「あ、先輩、おはようございます。ちょっと相談したいことがありまして……」

「ああ、あのこと? 話は聞いてる。大変だな」


 先輩の口調はいつものようにぶっきらぼうだったが、先輩とほぼ毎日のように会っている俺は、その口調が少しシリアスな、震えているような口調になっているのを感じとった。


「どうせ受賞したくないって編集者にごねてるんだろ」


 このときも先輩の読解は正しかった。


「受けてしまえよ。せっかくの書籍化のチャンスだろうが」

「ええ。でもーー」

「いいから、黙って聞け」


 その日の先輩はいつにも増して厳しかった。


「その栗林って奴も、本当は消えるつもりなんかなかったはずなんだよ。まあ、私にいくら怒られてもへこたれないポジティブシンキングの高瀬君にはわからないだろうが、たぶんその栗林某は豆腐メンタルだったのにちがいない。ユーリの投稿に深く傷ついたそのままに、思わずやってしまったんだろう。今ごろ後悔にさいなまれているはずだ」

「今日の俺はネガティブシンキングですよ……」


 とはいえ、確かに栗林直美も、あんな行動を取ってしまった後では、戻って来にくいだろう。


「高瀬君、悪いのはユーリであって、高瀬君ではないのだ。そんな後ろ向きなことを言ってても、消えた栗林は浮かばれないぞ。それに、読者の方だって、これ以上神作が消えるのは勘弁してほしいはずだ」


 そうだった。栗林直美とユーリが消えた今、『ノベノベU-18小説賞』は危機的状況にある。俺まで受賞を辞退してしまえば、俺もまた読者の期待を裏切ることになるのだ。


「それと、今日は私は部活を休むから、そこらへんよろしく頼む。何、帰省するだけだ。明日には戻る。一年生をしっかりまとめてくれ。それじゃあ」


 それだけ言って、先輩は電話を切った。


「……やるしか、ないのか」


 俺はゆっくりと立ち上がった。先輩の言うことはもっともだった。先輩は知らないだろうが、俺は栗林からあのメッセージを受け取っている。栗林は俺の活躍を願っているはずだ。俺がそれに応えないことには、栗林の遺志を受け継いだことにはならなかった。


「さて、部活に行くとするか」


 俺は学校に行く準備を始めた。今日は先輩はいないのだから、部活の中心人物は俺であるはずだった。



 

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