Case.2 洗脳の魔法

「えっと……。身体強化系の魔法は、軍人および兵隊、魔法取締官にのみ使用を許可する……」


 フカフカベッドにうつ伏せになりながら、私は政府が毎年発行している魔法取扱い説明書をじっくりと読み込む。


「……おい」

「えーと、回復魔法や幻、催眠など精神干渉系の魔法は医療従事者および聖職者、魔法取締官にのみ使用を……」

「おい! せめて黙って読んでくれ。ストレスで魔力が減ったら療養の意味がないだろう」


 隣のベッドから飛んできたマイラ先輩の声は確かにいつもより覇気がない。一方、私はというと一晩でこの回復っぷり。どうやら魔力回復のスピードには個人差があるみたいだ。


「先輩」

「……なんだ? 私は至極当たり前のことをだな」

「そうじゃなくて、魔取マトリって基本、使う魔法に制限がないじゃないですか」

「まあ、仕事柄、一番魔法に関わってるわけだし、他と比べたらそうかもな」

「ということは、もしかしてこういう補助魔法全部使えるようにならないとダメだったり……」


 青ざめる私を見て、先輩は少しだけ口の端を歪め鼻を鳴らした。


「その通り、と言いたいところだけど、残念ながら実際そういうわけでもない。なんせ習得も扱いも難しいからこそ職種での制限がついてるんだからな。その分便利だし使えるに越したことはないが」

「で、ですよね! よかったぁ……。ちなみに先輩はどうやって補助魔法覚えたんですか?」

「あー、例えば……昨日使った筋力強化なんかは、まず全身の筋肉の構造だったりその仕組みだったりを具体的にイメージして、そこに魔力を調節して流し込む必要があるんだ。お前も風魔法使う時は風をイメージするだろ? それと一緒で、補助魔法も回復系なら細胞とか、精神干渉系なら脳とか、作用する部位の知識がとにかく必要なんだよ。魔力の調整自体は魔取になるようなやつならみんな出来るし。つまり……」

「勉強、ですか……?」

「本ならここに山のようにあるしな。まあ頑張りたまえ、新人よ」


 ニヤニヤと薄ら笑いを浮かべる先輩を横目に、私は力尽きたように枕へと顔をうずめた。手から滑り落ちた説明書がショート寸前の頭に追い打ちをかける。


「お休み中、失礼しまーす。ってカンナ、何やってるの? 寝落ち?」


 不意に扉が開く音がして、快活な声が頭上から降り注いだ。途端、頭にのしかかった説明書の重みがひょいとなくなる。


「あ、エリート君」

「そのニックネームやめてって、いつも言ってるよね? 一応先輩だよ、僕」


 そう言ってシワのよったページを丁寧に伸ばすこの小柄な眼鏡の男は、私の大学時代の元同級生、エル・リーティ。といっても彼は、飛び級の末に私よりも一年早く魔取となったため、同い年の先輩という、なんとも複雑な関係である。


「なんだエル、カンナと知り合いなのか。じゃあちょうどいい。お前、こいつに回復魔法か何か教えてやってくれよ」

「なんで僕が……。そういう指導も含めてやるのがマイラさんの仕事でしょ?」

「あいにく、私は身体強化は出来ても回復やら精神干渉やらはからっきしなんだ。その点、お前は魔取内随一のオールラウンダー。少しくらい仲間を助けてもバチは当たらないと思うが」


 面倒だと言わんばかりに顔をしかめるエルになんとなく腹が立ち、私は説明書を強引に奪い返した。


「何よ、ちょっと補助魔法使えるからってエラそうに」

「……ちょっと? それは聞き捨てならないな。先輩としてまずは礼儀から教え直してあげようか」

「マイラ先輩、これはパワハラに入りますか」

「ダメだ、プライドモンスターを刺激したお前が悪い」

「誰がプライドモンスターだ! 一応僕、全種類の魔法コンプリートしてるんですよ!? 二人とも、もっとちゃんとうやまって下さいよ……」


 そういえば、エリート君は大学時代からこんな調子で、何かあるとすぐ自分の力を鼻にかける節があった。実力はあっても友達がいない、孤高のエリート。それは今も変わっていないのかもしれない。


「って、こんなことしてる場合じゃなかった! 二人とも体調は?」

「あー、私はまだ無理かもしれないな。魔力切れの反動が大きい」

「カンナは?」

「ば、バッチリ……です」


 その瞬間、エルはニヤリと不敵に笑った。眼鏡に反射した太陽光が私の目を狙いすましたかのように潰す。


「実は急な増援要請がありまして……マイラさん、ちょっとカンナを借りても?」

「ああ。足しになるかは疑問だが、まあ存分にこき使ってやってくれ」


 意地の悪い笑みを浮かべる先輩二人に囲まれた新人に、もはや選択肢はない。名残惜しく布団にしがみつくがその抵抗も虚しく、寝ていたベッドは一瞬で小人専用サイズへと変貌を遂げた。


「じゃあ、早速仕事に行こうか、後輩ちゃん?」


 マイラ先輩の魔女のようなくぐもった高笑いが、連行される私の背中に重くのしかかった。




「それで? 仕事って何をしに行くわけ?」


 嫌々ながらも身なりを整え、私は鏡越しにエルの背中をそっと睨んだ。


「最近、ポッと出の新興宗教が多くてさ……。それ自体は別にいいんだけど、その中の一つにガサ入れろって上が。急激に信者を増やしているところがどうもきな臭いらしい」

「……洗脳、か」


 先ほど私が読んでいた魔法についての決まり、あれには続きがある。

 回復魔法や精神干渉系の魔法は医療従事者および聖職者、魔法取締官にのみ使用を許可する。ただし、倫理や人道に反するような魔法については開発、使用ともにいかなる場合も禁ず。

 つまり、人を傷つけたり操ったりするために魔法を使うことも、それに特化した魔法を新たに開発してしまうことも立派な犯罪になる。洗脳は、その中でも特に重罪、いわば禁忌の魔法である。


「カンナにしては鋭いじゃん。魔力検知器、忘れないでよ」

「もう、一言余計だし!」


 髪をゆるく一つに結んで、手錠と検知器を懐にしまう。準備は既に整った。


「よし、出発!」


 とんがり帽子を勢いよく被り、私は力強く外へと駆け出した。


「ちょっ、カンナ! ストップ、逆〜!」


 そして、ものの数秒でエルに呆気なく引き止められたのだった。


「全く……人の話を聞かないところ、昔と全然変わってないね」

「え? そう?」

「先に言っておくけど、褒めてないよ」

「いや、それくらいはわかるって」


 空中でほうきまたがり、大人しくエルの一歩後ろへと回る。小さいけれど頼もしい背中。エルだって変わっていないと思っていたけれど、私よりも早く積んだ一年分の経験が、確実に彼を先輩たらしめている。

 私だって、変われるものなら変わりたい。少しでもいいから魔取として役に立ちたい。


「……ねぇ、エル」

「何? 目的地まではまだ結構あるけど」

「そうじゃなくて、さっき言ってた回復魔法、教えてよ」

「ああ、そういえばそんな話してたね」


 切り揃えられた前髪をたなびかせながら、エルは少しだけ顔をこちらに向けた。


「別に大したことをする必要はないよ。細胞の周期とか、分裂については大学でも少し習ったよね? 基本はその細胞分裂による自己修復を魔力で後押ししてあげるだけなんだよ。まず止血して、あとは傷がついた部分を元に戻すようなイメージで、内臓、骨、皮膚って感じで内側から順番に治していくんだ。ね、簡単でしょ?」


 小難しい説明が右耳から左耳へスルスルと抜けていく。正直に言うと、一文字も理解出来ていない、というより理解する前に脳が拒否反応を起こしている。簡単という言葉の意味をこのエリートに教えてやりたい。


「……あー、聞く相手を間違えちゃったかも」

「あ、ちょっと簡潔すぎた? 帰ってからならもっと本格的に教えてあげられるんだけどなぁ……」

「丁重にお断りします」

「何だよ、自分から聞いたくせに! 大体、他のやつに聞いたって似たような答えしか返ってこないからね」


 補助魔法は、きっと私にはまだ早い。不意に口から漏れた小さなため息は、周囲の風に溶けて背後へと流れ消えた。


 そうこうしている間に現場も近くなり、既に待機している他の同僚や兵隊もちらほらと見える。もちろん、それ以外の人も。

 それは、私達が箒から飛び降りたのとほぼ同時だった。


「……ニ栄光アレ……」


 目の前に立ち塞がる男達は皆、焦点の定まらない目をひっきりなしに動かし、まるで何かに操られているかのように兵隊の方へと歩み寄っていく。


「キノコ神ニ栄光アレェー!!」


 その瞬間、暴徒達は燃え上がった。比喩などではなく、全身に真っ赤な炎をたぎらせて周囲の敵へと突っ込んでいく。私もエルも、この場にいる魔取が持つ検知器は一斉にけたたましい唸りを上げて輪唱した。


「せ、洗脳! 洗脳を検知!」

「消火だっ! 水魔法用意!」


 私も駆け寄ろうと一歩踏み出す。しかしその瞬間に、エルは私の腕を掴んで別の方向へと走り出した。


「ちょっと、加勢しなくていいの?」

「……あれは陽動だよ。信者を捨て駒にして、その間に裏口から逃げる。いかにもクズが考えそうなことだ」


 その時、行く手を塞ぐようにまた人々が立ちはだかる。人だかりの向こうに、裏口から様子を伺う神父のような姿が一瞬見えた。


「カンナ、手、出して」


 言われた通り手を繋ぐと、エルの魔力がピリリと体を駆け抜けた。


「魔法防御。これで洗脳とかもしばらくは大丈夫なはずだから」

「それは、僕に構わず先に行けって意味?」

「……そういうこと!」


 地面から湧き上がる土が次々と信者の四肢を絡め取り、瞬く間に拘束していく。怒りに燃える瞳が、眼鏡越しにチラリと覗いた。


 ならば私もその期待に応えよう。そう思い足に力を込める。チャンスは一瞬、神父が扉から身を乗り出した、今。


風火ブースト!」


 片足から噴き出す炎が地面をえぐる。舞い散る砂埃が竜巻のように、私の後を追いかけては霧散していく。逃げ出そうとかがむ神父の首を、瞬間、一陣の風がよぎった。


「な、に……!?」

脱法 魔法マジックを検知! お前を、逮捕する」


 隙を見て手錠をかけた瞬間に懐の検知器はピタリと鳴り止んだ。やはりこいつが元凶だったらしい。とりあえず、これで洗脳は解けた。そのことに思わず気が緩む。


「……まだだ」

「え?」

「神への信仰心が、この程度で薄れると思ったら大間違いだ! キノコバンザーイ! キノコ神に栄光あれえええぃっ!」


 その言葉に反応するかのように、教会から無数の電子音が鳴り響く。このエネルギーの流れ、収束、これは、まずい。


『至急、至急! 全員建物から離れて! 魔力爆弾です! 今すぐに退避を!』


 咄嗟に帽子で連絡をとるが間に合う保証もない。私も、早く避難しないと。


「フッ、逃がさんぞ小娘っ……! お前も、キノコ神の生贄となるのだ!」


 手錠をかけたとはいえ、服をこうもがっしりと掴まれると力の差から振り解くのも難しい。魔法を使うような猶予もなく、背後からは閃光が迫る。まずい。まずい、まずい!


「離しなさいこの変態! 正気? 死にたいの!?」

「変態で結構! さあ、共にキノコ神の御許へ参ろうぞ!」


 ああ、ダメだ。話がまるで通じない。私の魔取としての人生、こんなところで終わってしまうのか? まだ何一つ成せていないのに、こんな、下らないことで……。


「カンナッ!」


 遠くでエルの声が聞こえる。吹き荒れる突風。視界が白い。全身に走る衝撃が、他人事のように白々しい。

 身体中が、熱い。いや、温かい……? 優しい温もりが頬に触れる。なんだ、これ。


「カ……ンナ……。ま、間に合った……?」


 体を流れる魔力が、段々と私の視界を明瞭にしていく。白目をむき息絶える神父、倒れ伏す人々、血まみれで私を庇う、小柄な眼鏡の男。


「う、嘘……。嘘! エル、何やってるの!? は、早く、私じゃなくて自分を回復させないと……!」

「ご、ごめん……。魔力、足りない、みたい」


 力尽きたように倒れ込むエルを抱きしめると、今までにない生温かい感触が手のひらを伝った。普通は自分を優先して回復させるべきなのに……馬鹿だ。私の何倍も賢くて、優しい、大馬鹿野郎だ。


「うぅ……し、止血……細胞、分裂……」


 泣いている暇はない。今、目の前の馬鹿を助けられるのは私しかいない。たとえ出来なくても、一発勝負でも、私がやるしか、ない!


「止血……分裂……自己修復っ……!」


 大学での講義やエルに言われたこと、先程身を持って体験した魔力の流れ、それらを全て活用して、必死に元気なエルの姿をイメージする。止まれ、止まって……。動け、エル。お願い、動いて……!

 腕の中で、エルの鼓動がゆっくりと響く。段々と、早く、大きく、強く腕を震わせる。


「あ……れ……。僕、生きてる……?」


 ひび割れた眼鏡の奥で、潤んだ瞳が見開かれた。まばたきに合わせて落ちる涙。生きて、いる。ぶっつけ本番の回復ヒールが、思いが届いたことにこの上ない嬉しさを感じる。生きている、私達、ちゃんと生きているんだ!


「僕を実験台にするなんて、いい度胸だね……ぐふっ」

「エ、エルゥ〜! よがっだぁ……し、死んじゃったら私、わだじ……うわぁ〜!」

「い、痛だだだ! 痛い、傷が開いちゃうから! 大体、骨折は治ってないからね! 完全には成功してないから!」


 しまった。調子に乗りすぎたか。回した腕を離してエルを安静にし、増援を待つ。


「……でもまぁ、初めてにしては上出来じゃないかな」


 苦しげに吐かれた励ましの言葉。それが、私の胸に重く、深く突き刺さる。


「ねぇ……あの時、なんで自分じゃなくて私を回復させたの?」

「知りたい?」

「……知りたい」


 エルは傷だらけの顔をわずかに歪めて、眼鏡をクイと掛け直した。


「先輩、だから」


 私は自らの涙を隠すように、エルの胸へと勢いよく顔をうずめた。彼の絶叫が街中にこだました直後、応援が慌てて駆けつけたのは言うまでもないことである。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る