魔法取締官K.S.の捜査記録

御角

Case.1 巨人化の魔法

「やべーぞ! 脱法 魔法マジックだ!」


 その怒号とともに、町の一角で大きな土埃がたちこめる。石造りの小屋は一瞬で瓦礫と化し、木製の家はすでに跡形も無く踏み潰された後だった。逆光を浴びて浮かび上がる常人ならざるシルエット。果てしなく広がるその影に、人々はなすすべなく逃げ惑う。

 それはまさしく「巨人」というのにふさわしい、化け物の所業だった。


「——ンナ、おい、カンナ・シエロ!」

「わっ! ひ、ひゃい!」


 驚いた拍子にまたがっていたほうきが暴れ出し、私は思い切り舌を噛んでしまった。今日が「魔法取締官」としての記念すべき初仕事だというのに、先行きが不安でしょうがない。

 遥か前方を飛んでいたはずの先輩は、いつの間にか私の隣にいて、鬼のような形相でこちらを鋭くにらみつけていた。


「お前……初日で不安なのはわかるが、もうちょっとシャキッとしろ、シャキッと」

「す、すみません。マイラ先輩」


 マイラ・アクレア先輩は私の教育係、いわゆるバディというやつだ。といっても、今の私じゃマイラ先輩の金魚の糞にしかなれないのだけれど。


「一応確認しておくが、アレはちゃんと持ってきたんだろうな?」

「あったりまえですよ! 魔取マトリの必須アイテムを忘れるほど私はドジじゃありません!」

「さて、どうだかね……」


 先輩の冷たい視線を遮るように、私は懐から金属製の手錠を取り出して掲げて見せた。もちろんただの手錠ではない。これをかけられたが最後、外すまで一切の魔法が使えなくなる、まさに魔法犯罪を取り締まる我々「魔取」の専用必須アイテムなのだ。


「ふっふっふ、これであの巨人もイチコロ! 楽勝ですよ、楽勝!」

「わかったよ、わかったから落とさないうちにしまっておけ」


 全然元気じゃないか、という先輩のぼやきを聞き流しながら手錠を手探りでポケットに突っ込む。ずっしりとした重み。これが魔取になった私にのしかかる責任の重さなのだと改めて実感させられた。


「いいか? 作戦はこうだ。まずは私が巨人の注意を引きつける。その間にカンナ、お前はやつの背後にまわって手錠を準備しておけ」

「なるほど! そこでバシッと捕まえるわけですね!」

「……それは、無理だな。お前、巨大化の魔法使えないだろ」


 巨大化……? あの巨人が使っている魔法のことだろうか。でも、あれが法に違反しているのなら使えなくて当たり前ではないのか。その言葉の意味がよくわからず、私は顔をしかめて首をひねるばかりだった。


「お前……本当にちゃんと試験に受かってここにいるんだよな? まさか、巨大化の魔法自体が違法だとでも思ってるのか?」

「え、違うんですか?」


 きょとんとする私を一瞥いちべつして、先輩は自らのショートカットの髪を乱暴にかき乱すと、深く長いため息を空に向かって吐き出した。


「いいか? 巨大化は本来、物に対して使えば別に違法でもなんでもない、ただの便利な魔法だ。ただし、人に向けて使った場合、制御が難しい上に周囲も危険に晒してしまう。つまり『巨大化』は合法、『巨人化』は一部の人間以外が使えば違法だ。以上」

「一部の人というのは、身体強化系の魔法を使うことが許された人、という意味ですか?」

「そうだ。国家を守る軍人や治安維持を担う兵隊、あとは我々、魔取もそこに入るわけだが……。ああ、話がそれてしまったじゃないか。クソ、これだから……」


 そう言って先輩は、口元まで持っていった自身の短い爪を苛立たしげに前歯で弾く。


(よし、後できちんと復習しておこう)


 そんな彼女の様子をまるで他人事のように眺めながら、私は心の中でそう密かに誓った。


「とにかく、お前が後ろにまわりこんで手錠を取り出したことを確認したら、私がその手錠に巨大化の魔法をかける。そうしたら即座にそいつを巨人の手首にぶちこめ。あとは私がなんとかする。たったこれだけだ。初日とはいえ、やれないとは言わせないぞ」

「もちろん! まかせてください。素早さだけには自信、ありますから」


 私が胸を張ってそう言うと、先輩は一瞬だけ目を細めて笑ったような気がした。この微笑みはズバリ、エネルギー溢れる大型新人こと、この私に大いに期待してくれているからに違いない! ……多分、おそらく、きっと。


「よし、じゃあここからは別行動だ。まぁ、ごちゃごちゃ言ってしまったがあまり気負いすぎないように。……健闘を祈る」

「はい! ありがとうございます、マイラ先輩!」


 とんがり帽子を目深に被り直し、先輩は上へ上へと浮上していく。その口元は心なしかワクワクしているようにも見えた。

 私も箒を握る手に力を込め、流れる魔力を全身で感じ取る。頭から体へ、そして手足から箒へ。集中しろ、収束させろ、そして、一気に解放しろ!


風火ブースト!」


 箒の穂先から魔力が渦を巻いて暴れ出す。瞬間、後ろの空気が爆ぜて私は風と一つになった。気合を入れて結んだ髪が解けてしまうほどの風圧。それでも脱げないとんがり帽子を、つい手のひらで確認しながら、周囲の瓦礫を置き去りにして私は巨人に向かって一直線に飛んでいった。


 少しの火とありったけの風で巻き起こした竜巻は、私を一瞬で巨人の足元まで運んでくれた。大きすぎるその門を素早くくぐり抜け、体を翻してそのまま天高く上昇していく。巨人の背中が、反転する視界いっぱいに映り込んだ。

 不意に飛んできた水滴が頬を掠める。姿勢を戻して見やると、巨人の向こうで水の魔法を放つ先輩の姿が目に入った。

 鋭く磨き上げられた水のナイフ。無数の凶器が巨人の皮膚を削っては蒸発していく。


「クソ、相手がでかすぎて、これじゃ針治療にもならないな」


 巨人はそんなかすり傷などもろともせず、目の前の羽虫を捕らえようと躍起になっている。どうやら時間稼ぎも限界が近いみたいだ。

 私は懐からスマートに手錠を……あれ、嘘、ない。手錠がない! なんで? どこかに落とした? どこに? どうしよう、一体どうすれば……。

 恐る恐る先輩の方を見ると巨人越しにバッチリ目が合ってしまった。まずい。


『おい』


 狼狽える私に気がついたのか、先輩はとんがり帽子を介した念話でこちらに話しかけてきた。かなり切羽詰まっていることが、その一言でよくわかる。


『おい、どうした。手錠は?』

『……すみません、落としました』

『は!? おいおい……嘘、だよな? 頼む、嘘だと言ってくれ』

『すみません!』

『ごめんで済んだら魔取はいらないよなぁ!?』


 先輩はかなりお怒りのようで、コントロールを失った水の刃がこちらにまで飛んで来そうなほどだった。正直、目の前の巨人よりも断然怖い。


『ああ、もういい! 後は私一人で……』

「あ、危ない!」


 巨人が死角から蹴り上げた瓦礫が、ものすごいスピードで先輩に迫る。瞬間、全身にほとばしる魔力。私の背中を押す、一陣の風。気がついた時には、作戦のことなどお構いなしにもう体が動いてしまっていた。


 もっと、もっと速く! あの瓦礫よりも、巨人よりも、誰よりも速く空気を切り裂いて……!

 大きな脇をすり抜け、一瞬でその塊に追いつき肩を並べる。いや、すんでのところで半身、僅かに追い越した。


「なっ!?」


 ギリギリで背後を掠めていく石の塊。上昇するにつれてぐんぐん小さくなっていく巨人の影。そして私の両腕にすっぽり収まる無傷の先輩。思わず安堵の息をつく。


「よかった〜、なんとか間に合いました」

「……素早さだけは一丁前ってのは嘘じゃないみたいだな」

「えへへ、そんなに褒めないで下さいよぉ」

「褒めてない! いいからとっとと下ろせ、このポンコツ新人!」


 ふわりと身を翻して後ずさる先輩の顔はほんのり赤い。


「その顔……もしかして、照れてます?」

「……は?」


 先輩の眉がピクリと揺れる。


「どこをどうしたらそんな楽天的な思考に行き着くんだ? まさかお前、自分の失態をもう忘れたのか? これが照れているような顔に見えるのかよ、ええ!?」

「ご、ごご、ごめんなさいどうか命だけはぁ……!」


 青筋の浮かび上がった額に怒りのこもった視線。どうやら私は、先輩の逆鱗に触れるのがやけに得意らしい。


「ハァ、ハァ……。悪い、ついカッとなってしまったな。新人のミスをカバーするのが今の私の役目だ。むしろ、助けてくれたお前には感謝しなくちゃならないのに」

「あ、あの……本当に、すみません」

「反省も始末書も、とりあえず今は後回しだ。ほら、これ使え」


 ジャラッと宙を舞う何かを両手でそっと受け取る。太陽光を反射した先輩の手錠が、私の手元で鈍く静かにきらめいた。


「ついでに筋力強化の補助魔法もお前にかけておいた。巨大化させた時にまた落とされても困るしな」

「わぁ、助かります! 私、恥ずかしながら補助魔法全般が使えないので……」

「そういう重要なことは一番最初に言ってくれ、全く! ハァ……ある意味、さっきの作戦が失敗して良かったかもな」

「……こ、今度こそ、ちゃんと成功させて見せますから!」


 手錠を固く握りしめ、もう一度気合を入れ直す。もう二度と、先輩に迷惑はかけられない。


「フッ、その意気だ。さあいくぞ、ついてこい!」


 その掛け声と共に、先輩と私、二人で螺旋を描きながら、目下の巨人めがけて一直線に急降下していく。その距離が縮まれば縮まるほど、手錠はどんどん大きく膨らみ、重さが両手にのしかかっていった。


『私がやつの両手をまとめて顔まで上げさせる。お前はそのスキに得意のスピードで速攻逮捕だ。いけるか?』

『……まかせてください。素早さだけは自信、ありまくりですから!』


 巨人は私達を迎え撃つように、空を仰いで雄叫びを上げる。しかし、時すでに遅し。

 先輩は両手を前に突き出し、一気に膨れ上がった水の大玉をその顔面に浴びせた。


「ゴッ!? ゴポォ……!」


 新鮮な空気を求め、苦しそうにもがく標的の両手が水まみれの顔へと伸びる。


「今だ! カンナ!」


 この瞬間を、待っていた。


「はい! 風火ブースト!」


 箒が唸りを上げて加速する。自分自身の魔力が、先輩の声が、そして魔取としての使命感が私の追い風となって吹き荒れる。最早誰にも止められない。目視することすら許さない。それが私の、「シエロ」の名を持つ私だけの、たった一つの特権なのだから。

 突風が、巨人の手首を微かに撫でる。ガチャン! とすれ違いざまに、遠く背後で音が鳴った。


「グォオ……! グ、うわぁー!」


 巨人、いや巨人は素っ頓狂な悲鳴を上げ、見る見るしぼんで地面に這いつくばった。手錠もそれに合わせて段々と小さくなっていく。魔法でのサイズ調整、か。初日とはいえ、先輩の魔法にずっと頼りっぱなしで、本当に頭が上がらない。


「よくやった! 本当に、スピードだけは魔取の中でもピカイチかもな」

「ほ、本当ですか!?」

「調子に乗るなよ。あくまでスピードだけ……。大体、他の魔法が使えない時点で、お話にもならないんだ。独り立ちは夢のまた夢だな」


 そう言って先輩は、目の前の小さな罪人を手錠ごと引っ張り上げた。


「うう……ただ、ちょっとだけ身長を伸ばしたかっただけなんです……。ど、どうか、お許しを」

「黙れ、脱法行為に頼った時点でお前の負けだ。言い訳は後でたっぷり聞いてやるよ」


 近くの兵隊に罪人を引き渡して、初めての仕事はなんとか無事に完了した。逮捕した拍子に濡れてしまったスカートの裾を絞りながら、私はその余韻を噛み締める。


「ま、初めてだしこんなもんだろう。紆余曲折あったが、終わりよければ全てよしだ」

「そうですね! ……ん? あ、あれれ……?」


 手の中に残る、スカート越しの固い感触。明らかに布ではない何か。ま、まさか……。


「しっかし、面倒だな……。手錠をなくしたとなると、その捜索に始末書に……ああ、頭が痛い」

「あ……あのぅ……。それ、なんですけど……」

「なんだ?」

「その……」

「なんだ、言いたいことがあるならはっきり言え。任務終わりの今なら大概のことは優しく受け入れるぞ」


 私はポケットから、自らの手錠をゆっくり取り出して、控えめに掲げてみせた。


「すみません、ポケットに入れたことをすっかり忘れちゃってました」

「……お、お前〜!」


 菩薩の笑みから一転、先輩はゲンコツをたずさえて般若のような顔で私を追いかけ回す。


「ちょっと! 優しさは!? 終わりよければ全てよし、じゃないんですか!?」

「うるさい、うるさい! 先輩をさんざん振り回した罪、今ここで償え!」

「ブ、風火ブーストッ!」

「おい! それは流石に卑怯だぞ!」




 そうやって二人揃って無駄に魔力を消費し、結局、先輩も私もくたくたになりながら署へと帰る羽目になってしまった。しかし、上官はそんな私達を見て怒るどころか、なんとベッドでの療養をすすめてくれた。それも署に備え付けの超フカフカベッドである。


「喧嘩するほど仲がいいって言うしねぇ」


 そうのたまい微笑みをたたえる姿は、まさしく女神のようだった。やはり上に立つ人なだけあって、先輩とは器の大きさが違うなと思う。もちろん、本人の前じゃこんなこと、怖くて絶対に口には出来ないけれど。


 まだまだ未熟でわからないことだらけの私。それでも今日、確かに一歩、私は魔法取締官としての人生を歩み始めたのだ。

 目指せ! 脱法魔法ゼロの社会!


「……よくよく考えたら、脱って呼び方、ちょっと変じゃない?」


 ついさっき終わった初仕事に思いを馳せ、眠りに落ちる寸前。布団の中でまた一つ、わからないことが増えてしまった。

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