第22話〈姉妹と餃子とお礼〉
「た、食べすぎたわね……」
お腹をさすりながら、伊能ちゃんが苦しそうにうめく。
「これを届けたら、宿に戻ろうか」
俺の両手には、大量の持ち帰り用餃子が入った風呂敷包みが乗っている。
あーんしてもらった後、宇都宮中の餃子屋を見て回った。完全制覇とまでは行かなかったけど、大通りに面しているところはほとんど食べ尽くしたと思う。
そんなこんなで、2人して気に入った店の餃子を、持ち帰り仕様にしてもらって持ってきたのだ。
「止まれ! ここから先は宇都宮城の敷地内だ。一体、何用であるか」
宇都宮城の正門前まで来ると、見たことのない衛兵が立っていた。初めて見る衛兵だが、言っていることは昨日の衛兵と同じだ。同じ手引書でも準備されているんだろう。
「宇都宮城城主、戸田忠翰さまより、美味しい餃子を買ってくるよう命じられた者です。私は大崎栄、こちらは伊能忠敬です」
とりあえず名乗っておいた。多分だが、頼まれた者たちがいるくらいのことは知らされているはずだ。
「大崎栄、伊能忠敬……ふむ、確かに名前があるな。手元の物を改めさせてもらうぞ」
「はい、お願いします」
手荷物検査を終えて、衛兵の先導に従って昨日の応接間まで戻ってきた。この先で、忠翰さんが待っているらしい。
衛兵が襖越しに声をかけ「どうぞ、入ってください」と返事が来る。
「失礼します」と言って入ると……忠舜さんが縛られて転がっていた。
「2人とも助けてくれ!」
「な、何があったんですか!?」
俺も衛兵も慌てる。しかし衛兵は、忠翰さんが縛られていないからか、どうしていいかわからない様子だ。
「ああ、気にしないでください。妹に少しお勉強をさせていただけです。下がっていただいて構いませんよ」
優しい声音で言っているが、むしろその笑顔が怖いです。
病弱で儚げな女性かと思ったら、意外にも力技で解決する一面もあるんだな……。
そそくさと退散する衛兵。今回の案内係はとても無口だった。
「さて……もしかして、その手に抱えている物は餃子ですか?」
ふんわりと顔を綻ばせながら、忠翰さんが言う。すごく綺麗なお姉さまだけど、実際のところ何歳なんだろう……20歳だと言っても通用しそうだ。
「はい、持ち帰り用の餃子です。いくつかは調理が必要なものもあるようなので、それらと分けてあります」
「そうなのですね。丁寧にありがとうございます」
お礼を言ってくれる忠翰さんと、器用に体を使って芋虫のように前進してくる忠舜さん。
「ほほぉ、無難に有名な物から挑戦的な物まで……こりゃあ、今晩は長くなりそうだな」
これまた器用に口で風呂敷を開けた忠舜さん。なんか、その姿が板についてませんか?
「お2人とも、ありがとうございます」
忠翰さんが嬉しそうに目を細める。やはり美人なだけあり、一瞬心を持っていかれそうになってしまった。
「むー……」
伊能ちゃんが俺の腰をつねる。ちょっと痛い。
「あらあら……警戒されてしまったようですね。では長居させるのも申し訳ないですし——」
ごそごそと背後を漁る忠翰さん。と、横に立てかけてあった巻物が転がってきた。綺麗な形に仕上がっていない、紙だけの状態だ。
とはいえ、紙をしっかりと伸ばして置き描くため、紙の端に重りが取り付けられている。
その重りが床で止まり、紙だけがくるくると開かれる。
「あ……丹頂鶴よね」
「伊能さんはよくご存知ですね。正解です」
特に慌てる様子もなく、変わらずに何かを準備している忠翰さん。
「えっと……見てもいいんですか?」
「もちろんです。わたくし、こう見えてもそれなりに絵を嗜んでいるんですよ?」
そう言われたので、改めて絵を見させてもらう。俺も城の絵を描く中で、他の画家にも興味はあったのだ。
中央に丹頂鶴のみが描かれた、質素な絵だ。丹頂鶴の足元に何かがあるわけでもなく、本当にそれだけしかない。
それでも、見入ってしまう。緩く振り返るような立ち方をしている丹頂鶴は、俺の心の底を覗いているような感じだ。とても単純な見た目をしているが、何か凄みというか、吸い込まれるほどの奥をこちらに思わせてくる。
「この絵は、これで完成なのかしら?」
横で同じく絵を見ていた伊能ちゃんが、疑問の声を上げる。
「いえ、師匠に続きを描いてもらおうと思いまして。合作はやったことがないものですから。それに、師匠はもう先が長くないでしょうし」
「あ……そうなのね」
「病気だったりはしないですよ。そろそろいい歳なので、老衰が近いだろうというだけです。今でもピンピンしてるんじゃないでしょうか」
ピンピンしてるのに老衰……元気すぎたりってこと?
スルスルと絵を巻き直す忠翰さん。完成したら是非見てみたいところだ。
「本題は……こちらです」
忠翰さんがそっと巾着袋を差し出してくる。中身が詰まっていて、しっかりと重量がありそうだ。
「宇都宮城下の測量許可と、餃子を探していただいた時に使ったお金が入っています。多少色はつけさせていただきましたが」
「いや……色をつけるというか、元の金額の倍くらいあるんですけど……」
「これからも旅を続けるんでしょう? であれば、この金額では足りないかもしれませんよ」
うむ……実際そうなんだよな。もしかしたら、どこかで短期の仕事を見つけないと資金が足りなくなるかもしれない。
となると、ここで受け取っておいた方が後々楽できる……か。
「その、色々と便宜を図ってくださってありがとうございます。ありがたく頂戴します」
「ええ。役立ててください」
それから宇都宮の街を歩いた感想を聞かれたり、特に美味しいと感じた餃子について話したりした。その中で、伊能ちゃんも忠翰さんたちに慣れてきたみたいだ。
とはいえ、そろそろ宿に戻らなくてはならない。
「今日は餃子を届けていただいてありがとうございました。あの餃子は今晩、妹と食べようと思います」
「うえぇ……勉強したくない」
「泣き言を言わない。後の世代の知恵袋になると約束してくれたでしょう?」
ほう。この大雑把店主こと忠舜さんがそんな約束を……。なんだかんだ言っても、お姉さんである忠翰さんには弱いのかな。
「今日も宿には戻れないから……よろしく」
「ああ……はい」
よろしくと言われても、一体何をどうしたらいいんだろうか。
「それじゃあ……ありがとうございました」
「ありがとうございました、なのよ」
「こちらこそ、ありがとうございました。またどこかでお会いできたら嬉しいです」
「またな〜」
宇都宮城に背を向けて、忠舜さんが店主の宿屋へ戻る。空はいつの間にか、真っ暗になってしまっていた。
「やっぱりというか……時間かかったわね」
「一日中、宇都宮を満喫した感じがするよ」
歩いて宿屋へ向かう最中、伊能ちゃんと話している。緊張から解放された伊能ちゃんは、どこか足取りが軽い。
「ねえ、エイ。せっかく宇都宮に来たんだし、明日は観光するわよ」
「結局、餃子の店しか回れてないしね。じゃあ今晩中に測量を終わらせてしまおう」
そうやって、今後のことを相談しながら宿へ戻る。
「あだっ」
宿屋の戸をくぐった直後、お腹に何かが当たった。
「うわっ! ……う、ううぅ」
「どうしたのよ。って、男の子?」
伊能ちゃんが俺にぶつかった正体を見た直後。
「うわぁぁあああん!」
理由もわからず、建物中に響く大声で泣かれた。
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