第21話〈空から宇都宮を見てみよう【視点:戸田忠翰】〉
「はふぅ……」
「…………姉さん」
いやはや。
やはり、かわいらしい女の子と男の子の逢引きを見るのは楽しいですね。
「ああっ! そんな、あーんだなんて……きゃっ!」
「……姉さん。そろそろ解放して欲しいんだけど……」
城下で、わたくしに献上する餃子を求めて食べ歩きの逢引きをしているお2人。
小さくて、おどおどしていて、でも芯はしっかりしている。
そんな女の子である伊能忠敬さん。
前に出て守ってくれて、でも相手のことをしっかり重んじてくれる。
そんな男の子である大崎栄さん。
見たところ、まだ20歳にもなっていないお2人です。
「甘々ったらないですね……」
「だあぁ! いい加減こっちの話を聞け、姉さん!」
はぁ、せっかく癒しを得ていたというのに……この妹は。
「どうかしましたか、忠舜」
ため息と共に振り返ると、縄で縛られた妹の姿があります。
名前は田中忠舜。わたくしと性が異なりますが、れっきとした実の妹です。
大雑把な性格をしている、少し美形な以外は取り立てて言うこともない女です。
「……なんかひどいことを言われたような気がするけど……とにかく! この縄を早く解いてくれよ」
「だめです。忠舜には一度、ちゃんと話をしておかなくてはいけませんから」
着物がはだけてあられもない姿になっていますが、どうせここにはわたくしと忠舜の2人しかいません。天井裏に潜ませていた忍びも、今は引いてもらっています。
城下を、測量士2人組のみならず眺めます。
「姉さん、昔っからそうやって眺めるの好きだよな」
「ええ……落ち着くから」
柔らかな風が、わたくしの頬を撫でて行きます。流れる髪を軽く押さえると、視界が開けました。
開けた土地に、日光街道と奥州街道に分かれる分岐路があります。その街道沿いに宿や売店が並び、その内側に居住区域が広がっています。
とても賑わった街ですが……実は財政が厳しいんです。
「転封に次ぐ転封……飢饉の影響もあり、この藩の財政は逼迫しています。先代の頃に比べればいくらかはマシになりましたが……」
「宇都宮に餃子が無かったらこんなに早く活気が戻ることもなかったろうし、だいぶ助けられたな」
「ですね」
外から買い込んだ野菜や肉を、餃子に加工して売りに出す。そんな事業を行って、今日までなんとか食い繋いできているところです。
わたくしがまだ幼い頃……もう30年も前のことでしょうか。あの頃、この地に住む人々の顔は暗いものでした。さらにそこへ天明の飢饉も重なってしまい、一時期はどうなることかと思いました。
ですが、江戸が近かったことが幸いしてなんとか持ち直すことができました。
「こうして持ち直した街に、伊能さんたちのような若い世代がやって来てくれるとは、嬉しい限りですね」
「ま、やってきたことが無駄じゃないってことだからな」
縛られたまま器用に座った忠舜。わたくしに対して、何か聞きたいことがあるような表情です。
「姉さん、どうして私はここに呼ばれたんだ? こんな話をするためだけじゃないだろ」
やはり、鋭いですね。
「私を勝手に籍から外して、わざわざ外から養子として迎え入れるなんて、どうしてそんな面倒なことをしたんだ?」
「……知識を受け継いで欲しいからです」
忠舜はわたくしの実の妹ですが、それと同時にわたくしの養子という扱いでもあります。
「わたくしのように、女が城主をしている例はありますが、それでも男性が城主となっている場所からは下に見られてしまいがちです。そこで、わたくしが城主の座から退いても知識を伝えてくれるように、あなたを養子としました」
「そこでどうして養子になるんだ? 妹のままでもよかったんじゃないのか?」
「わたくしは近々、子を孕みます。……わたくしは元々病弱。これを契機に、一気に体調が悪化するかもしれません。まあ、その子が成長するまではなんとか耐えるつもりではありますが」
城下にいる伊能さんたちを見ます。……子供ができたら、あんな風に逢引きをすることもあるのかもしれませんね。
「次の城主は、若い世代が先頭に立つべきです。そうして、財政難から立ち直った、新しい宇都宮を見せていきたい。そのために、新たな城主を傍で支える人物が必要なのです」
「その役を、私に押し付けたいってことか」
「有り体に言ってしまえば、そういうことです」
妹ではなく養子であれば、城主に座る序列は少し下がるはずです。少なくとも、わたくしの直接的な子供よりは。
「勝手で、不躾な頼みだとは重々承知しています。ですが、これからも栄えていく宇都宮のためには、新しい風が必要なのです」
将軍さまから直接測量を頼まれる若い女の子。あれほどまでに新しいことは、今後は普通なことになっていくでしょう。それに、対応しなければいけない。
けれど、それまでに培ってきたものを捨てるのは非常に勿体無い。
だからこそ、それを伝えてくれる信頼のおける人物が必要です。
「……姉さんが死ぬ前提なのは、どうにかならないのか?」
「ならないでしょう。わたくしの方が体が弱いので、どう足掻いても先に死んでしまいます」
「…………はぁ。だから大人しく、実家で授業でも受けてろってことか」
「そうですね。でも、わたくしが死ぬまでは宿の店主でいて良いですよ。そのぶん、きちんと勉強はして欲しいですが」
「新しい世代、新しい風ね……」
忠舜の髪が、風に揺れます。
「しょうがない。ワガママな姉の頼みだ」
「ワガママなのはそっちでしょう? 戸田家でありながら城下に住みたいなんて言い出したのは忠舜からです」
「そうだっけ?」
わたくしは宇都宮城下町から、目を忠舜に向けます。
「では、その辺りの歴史も含めて、丁寧に授業して差し上げます」
「い、いやー……ちょっと遠慮したいかなー……なんて」
「遠慮しなくていいんですよ。ほら、ここへ座りなさいな」
日が上り、沈んでいくまで、わたくしと忠舜は2人きりの時間を過ごしました。
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