第19話〈宇都宮城主・戸田忠翰〉

 なんだかんだありつつも、衛兵の案内に従って大雑把店主こと田中忠舜さんが歩き、その後ろを俺と伊能ちゃんが追従する。


 衛兵に案内してもらっているとは言っても、忠舜さんは見回したりする事はない。慣れた道を通る感じだ。


「この先の部屋が応接間だよ。ここを選ぶってことは、あんまり警戒されてないんだろうな」


 先を歩く忠舜さんが、首だけで振り返って話してくる。


 警戒されていない応接間、ということは警戒している相手のための応接間もあるってことだろう。そっちはそっちで気になるな……天井に忍者でも隠れてるのかな。


 先手を打って応接間だと言われてしまった衛兵は、複雑な表情をしたまま歩いている。城主の妹を、正体を知らなかったとはいえ極悪人呼ばわりしたんだから当然だろう。


 若干気まずい状態のまま、目的地であろう襖の前に着いた。


「トダ タダナカ様! 妹君とお客様をお連れしました!」


「ええ。入ってください」


 襖の奥から、落ち着いた声が聞こえてきた。この大雑把店主の姉とは信じられないほどに落ち着いた声音だ。


「失礼いたします!」


 そっと衛兵が襖を開けると、そこは静かな空間だった。


 音一つないわけではなく、自然音を取り入れるようになっている。しかし、部屋に無駄と感じるものが一切ない。調度品の一つ一つも、気品を感じさせながらも決して派手ではない。


 自分と相手で向き合うための部屋、といった印象だ。


「ここまで来ていただき、ありがとうございます。そして、妹のわがままで振り回してしまってごめんなさい」


 奥から話しかけてくる戸田忠翰さんは、儚げな人という印象を受けた。


 全身の線が細く、ふわりと笑うその顔はどこか終わりを感じさせる。肌の色は白く、気のせいか髪の色も薄いように感じる。


「案内していただきありがとうございます。4人だけで話をしたいので、席を外していただけますか?」


「はい! 失礼します!」


 衛兵さん、やたら元気だな……緊張で声が大きくなる人なんだろうか。


 またも静かに退出した衛兵。歩き去る音もはっきりと聞こえ、この周りには4人だけになったようだ。


「4人だけって、どうせ上に張り付いてる奴がいるんでしょ? 姉さん体弱いから」


「そこは気持ちですよ」


 さっきよりも気持ちぶっきらぼうに返す忠翰さん。これが家族に見せる素の姿なんだな。


「ともあれ……ここまでお越しいただいて、ありがとうございます。すぐにお会いできないと返事をさせてしまい、申し訳ありません」


「い、いえいえ。むしろいきなり城主様に会える方が珍しいですよ」


 こんな返しで合っているのかわからないけど、頭に浮かんだ言葉をそのまま伝える。


「ふふふ、そうですね。ありがとうございます」


「え〜? 最初から親玉に会ってもいいだろ……」


「そうも行かないんですよ」


 怒ったような声で話す忠翰さん。気が置けない仲なんだろうと伝わってくる。性は違っても、ちゃんと家族なんだな。


「一先ず、お座りください。お話ししたいこともあるでしょうし」


 忠翰さんに勧められて、高級そうな座布団に正座する。


 ……が、伊能ちゃんがついてきてしまった。


「伊能ちゃん。座れないから、ちょっと……」


「え、あ、うぁ」


 慌てたような伊能ちゃん。思わずついてきてしまった感じだ。


「ふふふ、構いませんよ。仲がよろしいんですね」


 ころころと楽しそうに笑う忠翰さん。第一印象は良いみたいだな。忠舜さんが言った通り、気に入ってもらえたようだ。


 伊能ちゃんはガチガチに緊張してしまっている。1人で座らせるのも可哀想だよな……お言葉に甘えようか。


「それじゃあ、伊能ちゃんも隣に座らせていただきますね」


 伊能ちゃん用の座布団を俺の分の隣にくっつけ、そこに伊能ちゃんを座らせる。


 と、伊能ちゃんは俺の真横に擦り寄ってきた。座布団を無視して、座りにくいだろうに腕へ張り付く。


「はうっ」


「くうっ」


 俺と忠翰さんが同時に胸を押さえる。


 ちくしょう……可愛すぎる。


「はぁ……眼福……」


 忠翰さんも、伊能ちゃんの可愛さに早速やられてしまったようだ。俺に次ぐ最速記録かな。


「あー……なんか通じ合ったみたいだし、本題に入ったらどう?」


「こほん。そうですね」


 咳払いを一つした忠翰さんは、先程までの雰囲気とは打って変わってひりつくような圧を出し始めた。


 きっと、これが本来の彼女、城主・戸田忠翰としての振る舞いなんだ。


「あなたたち2人に問います。この城へは何用で来たのですか?」


 ゾッとするほど冷たい声。しかし、そこにあるのは敵意ではない。相手のことを、公平な目線で見るための冷たさがある。


 底冷えするような圧を感じながら、俺は忠翰さんに口を開く。


「私は大崎栄。こちらは伊能忠敬です。私たちは、全国を測量するよう幕府から命じられて参りました」


「幕府から……それを証明できるものはありますか?」


「こちらです」


 そっと測量許可証を出す。伊能ちゃんの分は「緊張して出せないかも……」と前に言っていたので、俺が同時に出している。


「ふむ、確かに幕府直属の者ですね。それにこれは、将軍さまの印……」


 そんなもの入ってたのか……全然知らなかった。


「であればお断りするわけにはいきません。……が、さらに一つ質問します」


 ゴクリ、と唾を飲み込む。


「お2人は、何故このような測量旅をしようと決意したのですか?」


 この質問は……きっと1人づつ答えた方がいいだろう。その方が信用してもらえるだろうし、何より言葉に想いが乗る。


 一瞬だけ伊能ちゃんと目を合わせる。目線で「大丈夫?」と聞いてみると「……多分、大丈夫」と返ってきた。


 なら大丈夫だろう。夢を語れるのが、伊能ちゃんの良いところだ。


 そして俺も……そんな伊能ちゃんから勇気をもらった1人。


 胸を張って、忠翰さんの方をしっかりと見つめる。


「俺の夢は、今の城を記録することです。これから世界が変わっていって、たくさん残っている城や文化が廃れていくと思います。実際、破壊されて昔から今に伝わっていないものが沢山あると学んでいます」


 学んだのは漢文の勉強に古い資料を買ったときだ。


 全く知らない単語があって、それを調べるのに奔走した。結果、現在では失われてしまった役職だったことが分かった。


 これは偶然わかった事例だが……全く手がかりが掴めない言葉もたくさんある。


 俺は……自分の手が届く範囲のものは、後世にきちんと伝えたい。


「後世に伝えられていない技術や文化……そんな中で、今後壊される未来がある城を、語り継いでいきたいと考えています。そのために全国を巡り、自分の絵と言葉で後世に残そうとしています」


 ……俺は伝えたいことを伝えた。


 それじゃあ、伊能ちゃんの番だ。


「……わたしは……」


 ゆっくり、伊能ちゃんが口を開く。


 それを、静かに聞いている忠翰さん。


 忠舜さんはひりついてこそいないが、城主の妹であることを実感させるほど凜とした姿だ。大雑把店主だとは信じ難い。


「わたしは、人の役に立ちたい、です」


 丁寧な口調で話す伊能ちゃん。


 そういえば、こういうことは初めて聞く。


「幼い頃から、周りの大人に助けられて生きてきました。とってもとってもお世話になって、わたしには両親が何人もいるようでした」


 呟くように、けれど忠翰さんに届けるように話す。


「そんな人たちの姿を見ていて、わたしもこんな風に、人の役に立てる人になりたいと思うようになりました」


 そっか……それが原動力だったんだ。


「今まで誰もやってこなかった、たくさんの人の役に立つこと。それが、全国の測量だったんです」


 確かに、全国の詳細な地図があれば旅なんかもだいぶ楽になるだろう。


 たくさんの人の役に立つことだ。


「そうやって全国の測量をこなせば……わたしはやっと、両親立ち方独り立ちできると思うんです。だからわたしは、旅をしています」


 伊能ちゃんが、忠翰さんの目を見る。


 ああ、この顔。すっと真面目な、伊能ちゃんの根底を見せてくれるような顔だ。


 とても格好良くて、たまらなく好き。


「……ふぅ」


 息を1つ吐くと、忠翰さんの空気がまた変わる。一気に弛緩して、忠舜さんと接する時のような雰囲気になった。


「突然こんな質問をしてしまって、ごめんなさい。一応城主として、聞いておかないといけなかったんです」


 ふわりと笑う忠翰さん。やっぱり、淡くて可憐な人だ。


「さて、私としてはこのまま測量の許可を出しても良いのですが、何か示すことができるものが欲しいですね……」


 ふーむと考え込む忠翰さん。


 と、何かいい思いつきがあったらしい忠舜さんが、勢いよく立ち上がった。


「そうだ姉さん! 姉さんって、体弱くてあんまり重い物食べてないよな」


「ええ、そうですね」


「宇都宮の城主たる人物が、宇都宮名物の餃子を食べてないのは、どうなんだ!?」


「……確かに、そうですね」


 忠舜さんの意見を聞いた忠翰さんは、俺たちの方を改めて向いた。


「ではお2人には、城下町で美味しい餃子を買ってきてもらいます。それを実績として、この地での測量を認めることにしましょう」


 忠舜さんもうなずいている。


「それでよろしければ、喜んでお受けいたします」


 俺が忠翰さんに返事をする。


「明日の朝から散策されてはいかがでしょうか? 今日はもう日が暮れてしまいますから」


 確かにその言葉通り、外はだいぶ赤く染まってきた。


「そうさせていただきます。では、これで——」


「あ、お2人の様子はここから見ていますので、どうぞイチャついてくださいね」


 ——え、見られながらイチャつくの確定なの?

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る