第18話〈宇都宮城・正門前にて〉

「止まれ! ここから先は宇都宮城の敷地内だ。一体、何用であるか」


 宇都宮城の正門前で、俺と伊能ちゃんは衛兵に止められた。


「測量士の伊能忠敬と、その補佐である大崎栄です。幕府からの命で全国を測量しているのですが、この街の測量に許可を頂戴したく参りました」


 懐から測量許可証を取り出しつつ、衛兵に説明する。


 ぶっちゃけ、言っていることは半分適当だ。きちんとした礼儀作法を学んでおけばよかったと、今更ながらに若干後悔している。


「……ふむ。確かに幕府から、測量士の男女2人組がやってくると通達があったな。よかろう。今日中にいつ面会できるか調整を行う。明日のこの時間に、またここへ来るように」


 というわけで、ここでの用事は一旦済んだ。


 さて、引き返そうか。


「エイ、手紙」


「あ、忘れてた。ありがとう、伊能ちゃん」


 伊能ちゃんから言われ、懐に別でしまってあった大雑把店主からの手紙を思い出した。


 帰ろうとしていたのに急に立ち止まった俺に、不信感を抱いたらしい衛兵が疑わしい目線を向けてくる。


 うう、これで渡すのが1宿屋の店主からの手紙なんて……。


 とは思っても、一応は頼まれ事だ。きちんとやり遂げよう。


「あの……これを渡してくるように頼まれまして。衛兵に渡したらわかる、と……」


「誰からの書状だ」


「ええっと……泊まってる宿の、店主からです」


 は? みたいな目を向けられる。ごめんなさいごめんなさい。


「そのような物は受け取れん。即刻立ち去るがいい」


 ですよね。




 そんな訳で、宿屋まで戻ってきた。


「あれ? 早いね。もしかして、今日休みだったとか?」


「あー……いや、今日中に面会の予定を立ててくれるらしくて、明日また聞きに行きます」


 大雑把店長にそう伝えると、彼女は怒ったように立ち上がった。


「なんで!? もしかして、私のこと忘れられてる!? いや、流石にそんな事はないはず……あ、手紙って渡した?」


「そもそも受け取ってもらえなかったです」


「は!?」


 と言われても……そりゃあそうだろう。そもそも、お互いに名前を知らないから、誰からの書状だと説明もできない。


 しかしそんなことに気づかない大雑把店主は、怒り心頭といった風に顔を真っ赤にしている。まるで火山だ。


 一瞬だけそんな様子だった大雑把店主だが、大きく息を吐くと冷静に声を出した。


「なら……私が直接出向くしかないか」


「え?」


 勢いよく立ち上がった大雑把店主。奥に引っ込んだかと思ったら、受付台に乗せられる大きさの小さい立て札を俺の方へ放り投げてきた。


「エイ? 何が書いてあるのよ」


「『しばらく留守にします。鍵は勝手に持ってけ』……本当についてくる気だし、宿としてそれでいいのか……?」


「鍵を盗まれたり……するわよね」


 でも、結構しっかりした立て札がすぐに出てきたということは、それなりの頻度でいなくなるのかな?

 そんなので成り立ってる……宇都宮の人たちは人柄がいいのかな。


 伊能ちゃんはまた腰巾着になっている。きゅっと掴んでくれる手が可愛らしくて、心まで掴まれてしまう。


「ほっぺ、もちもちしてもいいかな?」


「えぅぅ……どうぞ、なのよ」


 顔をつい、と出してくる伊能ちゃん。目をつむっていて可愛い。


 両手で包み込むように、そっと伊能ちゃんの頬を触る。


 ああ、柔らかい。心地良い温かさもあって、改めて癒し効果の高さを実感した。


 ある程度までは包み込むように手が沈んでいくのに、一定の位置を越えると内側から反発してくる。初めはツンツンしていてあとは柔らかい、伊能ちゃんの性格とは真逆なほっぺだな。


「にゃうぅ……」


 伊能ちゃんから鳴き声が漏れる。にゃんこだ。


 未だに大雑把店主が戻ってくる様子はない。


 これ幸いと、俺はもちもち触らせてもらう。


 もちもち、もちもち、もちもち…………。


 もちもち、もちもち…………。


 もちもち…………。


「お待たせ! じゃ、行くよ!」


 伊能ちゃんと戯れていると、大雑把店主が帰ってきた。よく動く宿の店主的な格好ではなくて、気合の入った美しい着物を着ている。


「って、ちょっとでも暇があったらイチャイチャするのかい。まったく、お熱いのは良いことだけど、見ていて恥ずかしくなってくるね」


 辟易したような声音で言ってくるが、俺と伊能ちゃんは大雑把店主の変わりように驚いていた。


 宿屋の店主としての格好をしていても綺麗な人だと感じていたのに、そんな人が華やかな格好をすると相乗効果でより輝いて見える。


 やっぱりこの人、ただの大雑把店主じゃないな。だとしたら、一体何者なんだろう……?


「ほら、さっさと行かないと本格的に日が暮れちまうよ。私のことが見たいんだったら好きなだけ見てて良いから、さっさと面白いことに首を突っ込ませてくれ」


 いや……本当に何をする気なんだろう。




 かくして、俺と伊能ちゃんは、変身した大雑把店主と一緒に宇都宮城前まで戻ってきた。衛兵はさっき対応してくれた人と一緒みたいだ。


「ん? なんだお前たち。まだ城主様からのお返事はいただいていないぞ」


「そんなの知ってるよ。それより、私からの書状を受け取らなかったんだって?」


 強気な姿勢を崩さない大雑把店主。それに対して、不機嫌そうな表情を一瞬だけ見せながらも、それを表に出さないようすぐに取り繕う衛兵。


 一体、何を見せられているんだろう。


「ええ。一体どんな極悪人からの書状かわかりませんから。万が一にも危険物が入っていたらと考えると、迂闊に受け取ることもできません」


 毅然とした態度を取る衛兵。


 一方で強気な態度を崩さない大雑把店長。


「ふふふ……本当は使いたくなかったんだけど、面白そうな事は見逃せないからね。切り札を使わせてもらおうかな」


 と言うと、勝手に俺の懐をまさぐる大雑把店長。


 何するんですか、と言う前に大雑把店長は俺から手を離した。彼女に向く伊能ちゃんの目線がとっても冷たい。嫉妬する姿も可愛いなあ。


 大雑把店長が俺から取ったのは、渡してきた書状だった。封がされているから、渡された俺も中を見ていない。


「ふふん。この家紋が目に入らない?」


 勢いよく封を開けた大雑把店長。中の書状を開いて、得意げに衛兵へ見せている。


「家紋? ……な、この家紋は……!」


 その書状を見た衛兵が顔色を変えた。怒りの赤ではなく、焦りの青へと。


「し、失礼しました! すぐに城主様へ報告させていただきます!」


「うむうむ、苦しゅう無い」


 コロッと変わった態度に満足した大雑把店主は、ふんぞり返って手で自分を扇いでいる。殿様か悪代官、といった感じだ。


「あ、あの。そんな家紋だけで態度が変わるなんて、一体どう言うことなのよ?」


 流石に人見知りよりも興味が勝ったらしい伊能ちゃんが、おずおずと質問する。そこは俺も気になっていたところだ。


「あ、気になっちゃう? というか、私のことって話してなかったね」


 そう言って、書状を見えるように掲げてくる大雑把店主。


 そこに描かれている家紋は……六曜。六つ星とも呼ばれる、6の丸を配置したのが特徴的な家紋だ。


 でも、どこかで見たことがあるような……?


「これって……もしかして、宇都宮戸田氏の家紋かしら?」


「大正解!」


 宇都宮戸田氏……ここの城主の戸田氏!?


「私はここの城主の妹、タナカ タダヨシ! 訳あって田中の姓を名乗っているけど、れっきとした戸田家の娘さ!」


 田中忠舜と名乗った大雑把店主は、ふふんと胸を張っている。


 そんな姿を見て呆気に取られていると、思っていたよりも早く衛兵が戻ってきた。


「城主・トダ タダナカ 様より面会の許可が降りました! ご案内します!」


 なんとなく、ぽっと出の権力者に逆らえない衛兵を不憫に思えた。

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