第17話〈大雑把な女店主の秘密〉
寝て起きたら、伊能ちゃんが擦り寄ってきていた。
右腕をちょんと掴むようにして、丸くなっている。
「うぅ……う〜ん……」
熱帯夜で寝づらい日みたいな反応だ。若干汗ばんでもいるみたいだし、緊張であんまり眠れていないのかな。
「伊能ちゃん……こんなに緊張しいなのに全国測量の夢を語ってたんだよね。やっぱり、かっこいいな」
かわいい面も当然あるけど、尊敬できるところも多くある。本当に、伊能ちゃんはすごい人だ。
でも、偉い人と会うのに寝不足な顔で行くのも困るだろう。それに、まだ早朝だ。
というわけで、安心してもらえるように抱き返すことにした。
「ぎゅー……」
口から効果音が漏れ出る。
掴まれていた右腕を外させてもらって、伊能ちゃんの背中に左腕を回す。
伊能ちゃんの頭が俺の胸あたりに来る位置で、軽く抱きしめてみる。
もぞもぞと体を動かした伊能ちゃん。小さい子供みたいに腕を胸前で丸めて、安心しきった表情で眠っているみたいだ。
……ちょっと、イタズラしたくなってきちゃったな。
そっと耳元に口を近づける。
「ふー……」
優しく息を吹いた。
「んっ……んぅぅ」
起きる様子はないけど、より小さく縮こまる。普段の伊能ちゃんだったら飛び起きそうな感じがするけど、そんな反応がないのは信頼されている証拠だろうか。
そんな姿でイタズラ心をさらにくすぐられた俺は、もう少し派手なことをしてみることにした。
右腕を首の下から差し込んで、背中側に腕を回す。そのまま左腕と一緒に、少し強めに抱く。
「ぎゅぎゅーっ」
さっきみたいに効果音を出す。と、伊能ちゃんが俺に密着してきた。
当然と言えば当然だが、それでも伊能ちゃんが近づいてくれるのはとても嬉しい。
「ぅん……ふふふ」
伊能ちゃんが小さく笑う。安心してくれてるんだろうか。だったら良いんだけど。
ああ、いい具合にあったかい。猫を抱いて寝たら、きっとこんな感じなんだろう。
布団をかけ直しもせず、俺はすやすやと二度寝してしまった。
「もう、何やってるのよ! 早く起きたならそのまま起こしてくれれば良いじゃないの!」
「いや、ごめんごめん。あまりにも伊能ちゃんが可愛かったから」
二度寝から覚めると、もう普通に活動する時間になっていた。
互いに抱き合って目が覚めたから、幸福度はものすごく高い。伊能ちゃんもこう言ってはいるが、顔は笑っている。
緊張も解けたみたいだし、測量許可をもらいに行くのには問題ないかな。
「流石に江戸城で将軍がひょっこり出てきたみたいに偉すぎる人は出てこないと思うから、今くらいの緊張感で大丈夫だよ」
「まあ、流石にそうよね。そう何度も城主と会ってたら、感覚もおかしくなるわよ」
今日1日で許可が取れるとは思っていない。できるだけ早く先に進みたい気持ちもあるけど、焦ったらもっとダメになる。
なるようになるさ。たぶん。
「エイ、そろそろ行くわよ」
「うん。……あ、この部屋って電子錠もついてたよね。なら荷物は置きっぱなしで大丈夫かな」
「確かにそうね……貴重品だけ持って、あとは置いていきましょうか。どうせ、今日もここに泊まることになるでしょうし」
「だね……プラネが想定以上に大きくて重いせいで、街中を歩くのも苦労しそうだ」
伊能ちゃんが嬉々として背中から荷物を下ろす。初日に大通りから一本入ったところへ逃げたのは、これが原因だったからね。置いていけるんだったら、そのほうがいいだろう。
「それじゃあ改めて、出発しましょ」
伊能ちゃんに続いて、俺も部屋を出る。きちんと鍵が閉まったことを確認して、宿の出口へ向かって歩き出す。
「どっか行くのかい? 気ぃつけるんだよ」
と、宿から出てすぐに大雑把店主に声をかけられた。箒を持って、入り口周りを掃いているらしい。
よく見たらこの人、結構な美人なんだな。伊能ちゃんたちとはまた違う、健康に歳を重ねた大人の女性って感じの美しさだ。
「はい。これから所用で、宇都宮城へ行かなきゃなんですよ」
「へぇ、城に。……所用って言ったけど、理由を聞いてもいいかい?」
箒を壁に立てかけて、楽しそうな笑顔で続きを促してくる。爽やかなその表情を見ていると、なんだか楽しく話せる気がしてきた。
「俺たちは、幕府からの命令で全国を測量してるんですよ。その時に、小さい街なら無断で測量してもいいと許可をもらってるんですが、城下町みたいな大きい場所では管理している人に挨拶くらいは行けと言われてまして」
「ふぅん。てことは、今日行ってもすぐに会えるわけじゃなさそうだね」
「まあ、そうでしょうね」
測量させてくださいなんて言われたことのある城主は、ほとんどいないだろう。それもこれも、全国測量という壮大な夢を持った人が伊能ちゃん一人しかいないからだ。
「だったら、ちょっと待ってな。本当はしたくないんだが、楽しそうなことには1枚噛ませてくれよ」
「え、あ、どういう——」
声をかける前に、大雑把店長は店の奥へ入ってしまった。
「な、何をする気なんだろう……」
呆然と呟く俺。
一方、この話の間伊能ちゃんはというと。
「……対応してくれてありがとうなのよ」
腰巾着として、軽く服を掴んで立っていた。
これまた可愛らしい。遠慮するように小さく掴んだ手は、控えめながらも離れてほしくないという意思をしっかりと感じる。
それでいて少し恥ずかしいのか、目線を俺から逸らしている。頬が赤くなっているのも、同じく羞恥心からだろう。
時折くい、くいと引っ張られる感触に、話している最中も何度か気持ちを持っていかれそうになった。
「いやいや、これくらいなら大したことじゃないよ」
実際、俺からしたら大したことではない。自分の夢を話せなかっただけで、元々人と話すのは得意な方だ。
「ところで……あの店主は何をやっているのかしら?」
「さあ……? 1枚噛むってことは、書状か何かを書いてるのかな」
「書状ね……ただの宿屋の店主が書いた物を、城主まで届けられるのかしら」
「う〜ん……」
若干不安を感じているが、待っていろと言われた以上勝手に移動するわけにはいかない。どうせ今日もここに泊まるのだから、下手に関係を崩したくないというのもある。
なら、ここは待とうか。
「うにゅ。なにすりゅのよ」
「可愛いほっぺただなと思って」
おもむろに、伊能ちゃんの頬を両手で掴む。柔らかいそれは、ふにふにとした不思議な感触をしている。非常に癒し効果が高い。
こうして腰にくっついている伊能ちゃんと戯れつつ待っていると、封がされた書状を持った大雑把店主が帰ってきた。
「遅くなってごめんよ。はい、これ。城の衛兵にでも渡してくれたらいいから、お願いね」
「え、ああ、はい。わかりました」
大雑把店主が、書状を無理やり俺に渡してくる。
「そっちのかわいらしいお嬢ちゃんの事、城主はきっと気にいるよ。だから、そんなに緊張しないの」
「え、うぁう……わかったのよ」
消え入るような声だったが、きちんと返事をした伊能ちゃん。ちょっとずつでも、成長しようとしているのかもしれない。
まあ、俺の彼女な以上誰にも渡すつもりはないけど!
「ほら、行って行って。この時期はすぐに暗くなるからね」
大雑把店主に背中を押されて、店外に放り出される。空の様子を見てみると……いや、日没まではまだ時間がありそうだ。
「ええっと……早く行って事を済ませるに越したことはないし、さっさと行くのよ」
「そうだね。それじゃあ、行こうか」
渡された書状を懐に仕舞い、俺と伊能ちゃんは宇都宮城へ向けて歩き出した。
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