第15話〈しばしの別れと実なし銀杏〉
「あーしたちはここで旅の用意をするのだ。だから、オマエたちとは一旦別れるのだ」
宿を出てすぐ、至時ちゃんが宣言する。その横では、志勉さんが少し笑って立っている。
至時ちゃんは、伊能ちゃんの方へ体を向き直る。
「伊能忠敬! 彼氏との旅で浮かれることなく、一層測量の腕を磨くのだぞ」
「わかったのよ、師匠」
伊能ちゃんがうなずく。背中に抱えたプラネをより大事に抱え込みながら。
俺の顔を真っ直ぐに見た至時ちゃんは、俺にも言葉を投げかけてきた。
「大崎栄! …………推保先生を泣かせたり放って行ったら、タダじゃ置かないのだ。もしそんなことがあったら、地獄の底まで追いかけて懲らしめてやるのだ」
「しませんよ。一生大事にします」
多くの言葉より行動で示すのが良いだろうと、俺は伊能ちゃんの肩を抱く。
「……最後の最後までイチャついてやがるのだ」
至時ちゃんがジトッとした目つきで睨んでくる。そして俺たちに背中を向けると、さっさと歩き出してしまった。
「ばいば〜い。まだどっかで会おうね〜」
志勉さんが手を振り、至時ちゃんについて行った。
「……わたしたちも出発しましょうか」
「そうだね、行こうか」
最初は俺のことを伊能ちゃんの彼氏だと認めてくれなかった至時ちゃん。色々あったけど、最後は友達になれて本当によかった。
志勉さんも、最初こそ衝撃的だったけど、慣れてみたら周りのことをよく見ていてくれる人だとわかった。
「本当に、良い師匠と巡り会えたんだね」
「ん? ええ、そうよ。師匠は、わたしにとって最高の師匠よ……ちょっと面倒なところもあるけど」
胸を張って、少し苦笑いしながら言う伊能ちゃん。最後のオチで互いに笑いながら、3日目の旅が始まった。
一刻か一刻半ほど歩いただろうか。
途中で鷲城を見ながら進んで、そろそろ今回見たい城が姿を表す頃だろう。
「さっきもお城があったけど、あっちは行かなくていいの?」
「うん。時間があればよかったんだけど、そう言ってたらずっとここから進めなくなっちゃうからね」
今歩いているのは長福城を超えたあたりだろうか? ここからまたしばらく進むと目的地だ。
「この辺りってお城が点在してるわよね。何か理由でもあるのかしら?」
首をきょろきょろ回しながら、伊能ちゃんが質問する。
「この辺りにあるのは、ほとんどが小山氏の城だったんだよね。だから、他の国との衝突に備えて城をたくさん置いたんじゃないかな?」
たとえば、長福城は城と城の間に建てられているものだ。どこから攻められても守りやすいように、と考えた結果なんだろう。
「他にも理由があるみたいなんだけどね。あっち側にある中久喜城は、平将門を調伏するために牛頭天王を祀った地に築城されてるみたいだし」
結局、その中久喜城も結城領とをつなぐ重要な役割を担ったみたいなんだよね。北条氏がこの辺りに攻め入ったときに、結城氏が前線として定めたのもそこだし。色んな意味ですごかったらしいけど。
「へぇ……とにかく、色んな意味が込められてるのね」
「まあそうだね。何事も理由があるんだよ」
わかったようなことを言っているけど、正直それっぽいことを言っているだけだ。でも、好きな人に格好つけるのくらいは許してほしい。
「それで、今から行くのはどんなお城なのよ?」
「今から行くのは……祇園城だよ」
「祇園城……聞いたことないわね」
まあそうだろう。有名なところではないし。
「そこも長い間小山氏の城でね。取ったり取られたりを繰り返して、最終的に小山氏が断絶して廃城になったみたいだよ」
隣の結城氏といざこざがあったり、北条氏に持って行かれて取り返そうと奮闘したり、最終的に滝川一益から言いなりになるのを条件に小山氏に返ってきたり……。
時代の波に翻弄された、いわゆる戦乱の世の城って印象だ。
「あと、この城にはちょっとしたお話があるんだよね」
「お話? どんな話があるのよ」
「それはね——っと、祇園城が見えてきたや。どうせなら実物の前で話そうか」
歩いてすぐのところに森林が見える。あそこが今回の旅で初めて立ち寄る城、祇園城だ。
「パッと見ただけだと、城とはわからないわね……」
「もうずっと昔に廃城になったからね。小山氏が事実上の滅亡をしてから廃城となって、それから長い時が経って本田正純さんが一旦城主になってからはもう誰も城を持ってないはず」
長い時の間に色々と崩れてしまったのか、城としての建物はほとんど残されていない。土塁みたいに、地面に直接手を入れた物なら残ってるだろうけど。
元は城下町だったらしい通りを抜けて、祇園城へ近づいていく。
「この辺りからお堀があるってことは、相当大きいお城よね」
「流石は、小山氏の本拠地だった城だね」
堀を迂回するように道を歩き、祇園城の姿が見えてきた。
「おお……これが祇園城……!」
「楽しそうね、エイ」
伊能ちゃんが横で微笑んでくれている。保護者のようなその振る舞いに笑ってしまいそうになるが、側から見たら俺の方がはしゃいでいるんだから保護者で間違いない。
「色々見て回りたいところだけど……伊能ちゃんも見て楽しめそうなのはこっちかな」
侵入者が簡単に立ち入れないようにする馬出しという場所から、祇園城の敷地へ入っていく。
「右を見ても左を見ても、土と木しかないわね……」
「現存してるお城って、だいたいそんな感じだからね……。これからいろんな城を見たいと思ってるけど、こういう風景が多いと思う」
まあ、正直な話をすると地味だ。
しかし、そんな中を流れる人工的な堀だったり、堀切と呼ばれる防衛施設だったりの残骸が残されているから、それを見つけられると楽しい。
観光しているだけなんだけれど、まるでこの城を攻撃しているような気分になってくる。
「話によればこの先に……お、あった」
広い空間に出た俺と伊能ちゃん。真っ先に目につくのは、巨大なイチョウの木だった。
「大きいイチョウね……」
本当に大きい。高さは……3丈くらいあるだろうか? 古木と呼んでも間違いないだろう。
「この近くに井戸があるはずなんだけど……」
「あ、あれじゃないかしら」
伊能ちゃんが指さす先に、使われていない井戸があった。イチョウの木から程近い場所だ。
「あそこに何か用事があるのかしら?」
「用事というか、お参りかな」
いまいちピンと来ていない伊能ちゃん。俺は伊能ちゃんと井戸の前まで歩き、イチョウを見ながら昔話を始める。
「さっき言いかけた話なんだけどさ、この井戸とイチョウの木が関わってくるんだよね」
「そうなのね。どんな話なのかしら」
「この祇園城は取ったり取られたりを繰り返したって話をしたでしょ」
「そうだったわね」
「そんな中のある時、祇園城が落城しそうになった。その事を憂いてか悲しんでか、姫君がこの井戸に身を投げたんだ」
井戸を指さす。
井戸に寄りかかりそうになっていた伊能ちゃんは、慌てて姿勢を正した。
「それを悲しんだ村人がここにイチョウの木を植えたんだけど、不思議なことに実がつかない」
今は春だから銀杏は落ちていないけど、きっと秋になっても葉っぱだけしか落ちていないんだろう。
「この木に姫君の怨念が宿ったから実らないと考えた人たちは、この木のことを『実なし銀杏』と呼んでいるんだ」
「昔にそんなことがあったのね……」
心なしか井戸から距離をとっている伊能ちゃん。
「もしかして、怖かった?」
「いや、怖くはないわ。ただ、井戸に身を投げたんだったらあんまりぞんざいに扱わないほうがいいかな、と思ったのよ」
と言いながら、井戸との間に俺を挟んで盾にしている。それに、足が小刻みに震えているようだ。
思った以上に怖がりだったらしい。素直じゃないなぁ。
「どうせだから、イチョウの木も見て行こうよ」
「そ、そうね。ついでに見ていくのも良いわよね」
腰に小動物を引っ提げながら、木の近くへ行く。
近くで見ると、そのイチョウは思った以上に大きく感じた。古木ならではの雰囲気というか、大きな力みたいなものを感じる。
「すごいわね……。圧倒されるのは姫君の想いがこもってるからかしら」
「うん、本当にね……」
雄大な自然というか、人知の及ばないほどの物に触れると、人間の小ささを感じる。
そんな巨大な物に念を込めた姫君のことを考えれば、人間の底力とでも呼ぶべき気持ちの強大さも知ることができる気がする。
「本当に実がつかないのかしら?」
「実際に見たことはないからわからないけど……蝦夷の帰りにもしかしたら見られるかもしれないね」
「ふふふ、帰ってくるときの楽しみが増えたわね」
伊能ちゃんも少し落ち着いてきたみたいだ。
「この辺りの測量は昨日の夜で終わってるんだよね?」
「そうよ。宇都宮の手前までは終わらせてあるから、ここで測量はしなくていいわ」
色々見て回りたい気持ちもあるけど、夢中になって日が暮れたら元も子もない。今日中に宇都宮の宿までは行ってしまいたいから、早めに移動しよう。
「そろそろ行こうか。明日は宇都宮の城主と面会する予定だし、身綺麗にしておかないとだから風呂を探さないと」
「ならまた移動しましょ。…………あんまり偉い人とは会いたくないんだけど」
「諦めようよ。大きい街を測量するのも必要なことなんだから」
大イチョウに背を向けて、祇園城跡から歩き出す。
『ふふ…………ふ……』
「ん? 伊能ちゃん、何か喋った?」
「何も言ってないわよ」
楽しげに笑う女の人の声が聞こえたと思ったんだけど……気のせいだったらしい。
ここから宇都宮まではしばらく歩かなくちゃいけない。気合を入れ直さないと。
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