第14話〈またあり得る日常〉

「その……昨日の夜はお見苦しいところをお見せしたのだ…………」


 起きてすぐ、目の前には顔を真っ赤にして額を布団に擦り付けんばかりに頭を下げる至時ちゃんの姿があった。


「ボクも、まさかあんなに酔っ払うとは思ってなかったよ〜……ごめんね〜」


 志勉さんも、バツが悪そうな雰囲気で謝ってくる。


 昨日は中々すごかった。ひょうたん1個と徳利半分だけのお酒で、3人があんなにもダメダメになるとは。


 ちなみに、伊能ちゃんはまだ起きていない。なんなら俺の右腕に抱きついて寝ているから、俺も起き上がれない。寝た時と同じうつ伏せの状態で、顔だけ正面を向けている感じで話をしている。


「あー、まあ、今度から気をつけてもらえばそれで」


 正直ありがとうございます、なんて口が裂けても言えない。完全に怒り狂った伊能ちゃんを見たことはないが、だからこそどんな風になるのか想像がつかない。

 怒らず悲しむだけだったら……俺の精神が保たない。


 そして、俺は至時ちゃんと志勉さんを直視できないでいる。ただでさえ見慣れない女の人の寝巻き姿に加えて、一晩寝たことによって服の形が崩れて艶やかな感じになっているからだ。


 若干居心地の悪さを感じながら、頭を上げて正座している至時ちゃんの辺りを見る。


「ところで、このプラネ〜? なんだけど〜」


 と、志勉さんがプラネを指差しながら話す。


「昨日と逆の手順で片付ければいいのかな〜?」


「あ、うん。それで撤去できるよ。測量した情報を記した紙だけは別の口から排出されているから、これだけ回収してくれたら大丈夫」


 は〜い、と返事をした志勉さんは、早速プラネを触り始めた。


 って、志勉さんに排出口の場所伝えてないや。紙を取り入れる口と反対側の、さらに蓋の中だから、初見じゃわからない。


 しかし、俺の心配をよそに志勉さんはプラネに手をつける。その手つきに迷いは無く、伊能ちゃんが設置したのを逆回しにして見ているようだ。


 排出口の位置もしっかりわかっているようで、丁寧に記入済みの紙を回収している。


「ねえ、もしかして志勉さんってプラネの構造とか知ってるの? 実は開発者だったりとかしない?」


「だったりしないのだ。アレはシメの特技で、一度見た手順を完璧に再現したり、逆にして手順を進めたりできるのだ。昨日、伊能忠敬が組み立てていたのを記憶したのだろうな」


 うんうんと感心した様子で、至時ちゃんが志勉さんを褒める。


 ……いや、見れば見るほどすごい特技だな。全く迷うことなく、鮮やかな手つきでプラネを持ち運び用に崩していく。

 外す部品は外して小さい風呂敷に分け、触らなくていいところは髪の毛一本触れることがない。


「もうほとんど終わってる……俺たちがやった時は3倍くらい時間かかったのに」


「ふふん、シメはやっぱりすごいのだ」


 本当に……暦学以外てんでダメな至時ちゃんと、どうやって出会ったんだろう?


 気にはなるけど……また別の機会に話題として取っておこう。


「これで最後かな〜。間違ってたら言ってね〜」


「いや、完璧だよ。俺たち2人でやった時より早かったくらい。ありがとう、志勉さん」


 いえいえ〜、と志勉さんが答える。

 片付けられたプラネを見ると、この部屋に持ち込んだ時よりも綺麗に風呂敷で包まれているような気がする。


 いやはや、本当にありがたい。


「んぅ…………んん……」


「お、起きたのだ?」


 伊能ちゃんがもぞもぞと動き、俺の右腕をさらに強く抱く。強いと言っても痛くはないから、かわいい程度だ。


「うぅぅ……ししょーには、わたさないのよ…………」


「ありゃ、まだ寝てるみたいだ」


 寝ぼけ眼でつぶやく。まだまだ伊能ちゃんは夢の中にいるみたいだな。


「そういえば、至時ちゃんと志勉さんは二日酔いとか大丈夫なの?」


「それなら問題ないのだ。体は弱くても、酒には強いのだからな!」


 最初に会った時に思い切り咳き込んでいたな。これだけ元気な至時ちゃんの振る舞いで、正直忘れてしまっていた。あまり無理させないように、気をつけないと。


 俺が密かにそう意気込んでいたら、志勉さんが相変わらずの笑顔で話しかけてきた。


「無理させないように〜、とか考えてる〜? それなら気にしなくていいよ〜。よしチャンは、栄クンとも含めて楽しく会話するのが好きだから〜。心配するのは、ボクの役目〜」


 志勉さんはにこにこしながら自信ありげに答えている。


 志勉さん、失礼だけど何も考えてないみたいに思っていた。後ろでぼーっとしているだけ、というか。

 後ろから見ていてくれていたんだな。母親みたい……って言っていいのかな?


 先程の言葉に同意すると言うかのように、至時ちゃんが首を縦に振っている。そして、いつの間にか座っている姿勢をあぐらに崩していた。

 薄手の長襦袢が寝て形が崩れた上でさらにあぐらで足を広げているので、本当に目のやり場がない。


「ん? どうしてあーしから目を逸らすのだ?」


「あー……目線に困るというか……どうしようというか……」


 複数人の愛人を囲い込む豪商や侍もいるけど、第一俺は一般人だし、もしそれが可能な地位だったとしても伊能ちゃん1人だけを愛すると思うんだよな。


 ここで目移りして伊能ちゃんから絶縁宣言なんてされたら……俺はどうなるんだろう?


「ほら、よしチャ〜ン。あっちの方で着替えよっか〜」


「まだ着替えたくないのだ! 着替えると座りづらく——って、強く引っ張りすぎなのだ!」


 強制的に部屋の隅に連行されていく至時ちゃん。志勉さん、ありがとう。引っ張っていくときの顔が妖しく歪んでいたのをしっかり見てしまって、本当にごめん。


 俺の視界に入りにくい場所を選んでくれた志勉さんに感謝しつつ、そちらへ意識を向けないように伊能ちゃんのことを見つめる。


 ——いやとんでもなくかわいい。


 すやすや眠っているのに顔整いすぎだし、子供みたいに俺の腕を掴んでいるのも愛くるしい。中々起きてこないのも気を許している証拠だし、そしてなによりあまりにも近い。


 ああ、思い切り密着したい。


 伊能ちゃんは至時ちゃんとは違って胸元がなだらかだ。俺の胸から腹、足に至るまで全部を隙間無くくっつけることができる。


 至時ちゃんならこうはいかないだろう。どうしても隙間が空いてしまう……気がする。


 満足感がどう変わるかはわからないけど、少なくとも俺は全身が絡み合っている方が好みだ。


「かわいいなぁ……」


「んひゅっ」


 ん? 伊能ちゃんから空気が漏れるような音が……。


 右腕にしがみつく伊能ちゃんを見ると、ほんのり震えている。


「伊能ちゃん、もしかして起きてる?」


 そう聞くと、伊能ちゃんがゆっくりと目を開けた。


「え、ええ。おはよう……」


 ほんのり顔を赤くしているのは、俺の口からかわいいと漏れたからだろうか。それともずっと腕に抱きついているからだろうか。


 どちらにしても、かわいければそれでよし!


「あぅ……」


 頬を染めながら腕を抱く力を強くする伊能ちゃん。


 あんまりにもかわいいせいで、今にも天に召されてしまいそうだ。けどここで倒れてしまったら、伊能ちゃんのかわいい姿をこれ以上見れなくなってしまう。我慢だ。


「朝からあーしたちにそんな姿を見せつけるとは、弟子が少し見ないうちに成長していたのだ……」


 着替え終わった至時ちゃんが、半目で俺たちのことを見てくる。だがなんと言われようと、俺は俺の道を行くのみだ。伊能ちゃんのことを好きな気持ちは変わらない。


「意思を固めたような顔をしてないで、オマエたちも着替えたらどうなのだ? 今日もまた、測量に行くのだろ?」


「そうだね。早めに準備して、少しでも移動しておこうかな」


 名残惜しいが、伊能ちゃんから俺の腕を引っこ抜く。


「あ…………」


 伊能ちゃんが小さく俺に手を伸ばしてくる。


「また後でね」


「うぐ……別に名残惜しくなんかないのよ」


 すぐバレる嘘を吐いた伊能ちゃんは、そそくさと布団から這い出てきた。ずっと俺にしがみついていたのか、寝巻きはあまり乱れていない。


「そうそう〜、プラネクンはボクが片付けておいたから〜」


「そうなのね、ありがとう。……って、プラネを? エイから教わったとか?」


「ふふん、実はシメは——」


 至時ちゃんが得意げに話している。本当に志勉さんのことが好きなんだろう。


 志勉さんも、満更でもなさそうな表情で座っている。


 伊能ちゃんは少し辟易しているようだけど、楽しそうだ。


 今のうちに着替えてしまおう。


 着替えたら、伊能ちゃんを待って出発だ。

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