第13話〈知識人たちの酔場〉
そんなこんな始まった夜の雑談会は、いきなりの中断となった。
理由は簡単。
「……腹が減ったのだ」
全員、夕食を食い損ねていた。
「何か食べるものあったかな〜?」
泊まってるのは旅籠だから夕食も言えば出してくれるんだけど、なんとなく頼む空気じゃなくなっている。こう、4人でこっそり楽しみたい感じというか。
まあ、最初は色々と理由をつけていた俺だけど、この世を動かすことのできる知識人たちとその友人で会話ができる機会なんて今後はそう無いかもしれない。
というわけで、この場の空気に流されてみようと思った次第だ。
「一応、保存食くらいは持ってるけど……」
と言いつつ、俺は荷物の中から糒や楚割、梅干しなんかを取り出した。できるだけ避けたいけど、野宿も視野に入れて動かないといけないから、こういうものも持ち歩いている。
「あー……少しだけならお酒も持ってきてあるわよ。飲みかけなのは申し訳ないけど」
伊能ちゃんも、自分の荷物から徳利を出している。昨日も飲んでいたらしいお酒だ。
「お、お酒だったらボクも持ってきてるよ〜」
と言い、志勉さんがひょうたんを取り出す。昼間、至時ちゃんに渡していたものとは別の物だ。
「伊能忠敬たちは明日も移動するのだろうし、飲み過ぎには注意しなければいけないのだ。……お、兵糧丸が出てきたのだ」
「なんでそんなものが……?」
兵糧丸といえば、兵士や忍者が使うと言われる携帯食料だ。中々作るのに手間がかかるらしく、一般人は作らないんだけど……。
「この間、知り合いの足軽から作り方を聞いて真似てみたのだ。味見はしてないから、正直どんな味になってるかはわからないのだ」
微妙な挑戦心に俺たちを巻き込まないでもらいたい。
そう言いたいのをグッと堪えたのと同時に、伊能ちゃんが声を上げた。
「さすがね師匠! ねえエイ、わたしたちもこの測量旅が終わったら作ってみましょ!」
すごい食いつきだ。こんな風に好奇心を持ち続けているところが、知識人たる所以なんだろうな。
「いいよ。時間がある時に作ってみようか」
とは言っても、いつになったら蝦夷に着くかもわからない今、それよりも先のことは不明瞭にも程があるのだが。
そんなこんなで食べ物も飲み物も揃った俺たちは、布団の真ん中に全部を並べた。
布団の配置はこの部屋に入った襖の正面に俺、左手側に伊能ちゃんがおり、俺の頭上に至時ちゃん、そして対角線の位置に志勉さんとなっている。
至時ちゃんが俺の頭上側に場所を決めた時は志勉さんから『そこ変われ』の念が出ていたが、至時ちゃんが俺と仲良くなるためにここに来たと言い、矛を収めてくれた。
「それじゃあ……プラネの測量が終わるまで、雑談会といきましょうか」
布団から頭だけを出して、伊能ちゃんが宣言する。その姿があまりにも可愛かったから、至時ちゃんとそっと頷き合った。
「食べ物も飲み物も、各自が食べたい時に食べて飲みたい時に飲むのだ。というか、あーしがそうするのだ!」
早速、楚割に手をつける至時ちゃん。楚割とは鮭を細く切って塩漬けにした上で干した保存食のことだ。そのままだとかなり塩味がきついから、今回は小刀で薄く切り分けてある。
「いい感じに塩が効いているのだ! これは酒も飲まずにはいられないのだ!」
すぐさま志勉さんが出してくれたひょうたんに口をつける至時ちゃん。キュッと呷り、口から離す。
「……ど、どうなのよ、師匠?」
「——最高なのだ」
いい顔をしながら至時ちゃんが言う。
「急にいなくなった忠敬チャンのことを心配してお酒を飲んでなかったからね〜。よしチャンも飲み過ぎには気をつけるんだよ〜?」
「それを聞くと、申し訳ない気持ちになるわね……あれ? でも出発したのって昨日だったわよね……」
「ふ、深く考えたらダメなのだ! ほら、推歩先生も飲むのだ。さあさあ!」
納得のいっていない顔をしながら、伊能ちゃんが徳利から直接お酒を飲む。
「——あ、この梅干しってもしかして栄クンが自分で漬けてる〜?」
「え? ああ、そうだよ。口に合わなかった?」
「いやいや、すっごく美味しいよ〜。でも、結構塩の味が強いね〜。これは飲み物が欲しくなっちゃうかも〜」
志勉さんもひょうたんに口をつける。
それぞれ近況を話したりしつつ、平和に時間が流れる。
………………。
…………。
……。
すっかり夜も更けてきた。
「大崎栄! オマエ、いい男なのだな!」
「いくら師匠でも、エイは渡さないのよ!」
「へへへへへへ……えへへへへへへへへぇ〜〜」
……場もあたたまってきた。
酒精の入った至時ちゃんは泣きながら俺のことをこれでもかと褒めちぎる。
酔いで顔を真っ赤にした伊能ちゃんは俺のことを自分の布団に引き摺り込んでいる。
表情筋が緩んできた志勉さんは……なんかずっと笑ってる。
酒が入ると人はここまで変わるものなんだな、といっそ感心してしまう。
「良いではないのだ、良いではないのだ。ほら、こっちで飲むのだ!」
ばしばし俺の頭を叩きながら絡んでくる至時ちゃん。痛くはないけど伊能ちゃんとの板挟みで胸が痛い。
「良くないわよ! エイはわたしの彼氏だって言ってるじゃないの!」
猫みたいに布団の中から警戒している伊能ちゃん。うつ伏せになった俺の右腕を掴んで、至時ちゃんに渡すまいと引っ張ってくる。
「えへへへ…………ぅえへへへへへへ……………………」
笑い顔がもはやだらけ顔になっている志勉さん。寝ぼけているのか、俺の足にしがみついている。
そして、俺は無言だ。ついさっき「ケンカはしないで……」と言ったら、伊能ちゃんと至時ちゃんから「「うるさい!」」と一喝されてしまった。
俺は当事者じゃないのか……?
「大崎栄っ! 推歩先生のために外国語を学び、入手の難しい外国の本を買う! なんと素晴らしいことなのだ!」
「そうなのよ! エイはわたしのために本当にいろんなことをやってくれて、感謝しかないわよ!」
微妙にくすぐったいな……。
嬉し恥ずかしとでも言えばいいだろうか。とにかく、全身がむず痒くなってくる。
「でも! エイはわたしの彼氏よ!」
「一緒に飲むくらい良いのだ! あーしのことが信用できないのだ!?」
話が堂々巡ってるし、語尾も怪しくなってきてるな……早めに止めたほうがいいかな。でも俺が話しかけて、より熱くなったら手がつけられなくなりそうだし。
「えへへ……えへ、えへへへぇ…………」
志勉さんは完全に使い物にならなくなってる。その……こんな風に密着すると、体の柔らかさが伝わってくると言いますか。俺の精神状態的にやめていただきたい。
「もう! いい加減諦めるのだ! もしくは推歩先生も一緒に飲むのだ!」
「いやよ! エイはわたしのものなんだから!」
至時ちゃんが俺の頭に抱きついてくるるるるる!!!???
薄手の寝巻きだから、ほぼ素肌が俺の頭から首に覆い被さる。胸からお腹にかけてが俺の視界を塞ぎ、首周りに強烈な重みがのしかかっている。
「あー! 師匠ずるい! わたしもする!」
伊能ちゃんが俺の背中に張り付く。至時ちゃんのように強烈な重圧ではないが、全体に均等な心地よい圧がかかっている。
「師匠の真似ばっかりじゃなくて、自分で考えて行動するのだ!」
「いいじゃないのよ! わたしの彼氏なのよ!?」
このまま、安らかに召されていけそうな気がする……実際、呼吸はできるけど、背中に乗られているせいで深く息ができない。
「えへぇ、えへへ、えへへぇへへへへ」
足には志勉さんがくっついているから、下手に動くことができない。
これが将棋で言う、詰みの状態か……。
「ううぅ、離れるのだぁ」
「師匠こそ、もう寝てなさいよぉ」
あれ? 呂律が回ってない。というか、ふにゃふにゃしてきてる?
「あぅぅ……眠いのだ」
「寝なさいよ……寝なさいよぉ」
2人ともおねむみたいだな。でもちょっと、そのまま寝られるのは勘弁してもらいたい。
勘弁してもらいたいが、動くことができない。いつの間にか、足も腕も体もしっかり持たれてしまった。
ピー、と音が鳴りプラネの測量が完了する。
「もう寝る……のだ…………」
「ねな、しゃい……よぉ」
「えへ、えへへ……えへ…………」
志勉さんも含め、お酒に呑まれた組が眠そうにしている。
「……俺も寝るか」
プラネの電気はもったいないけど、女の子たちが動きそうにない。俺も眠たくなって動く気力がなくなってきた。
女の子たちに押しつぶされながら、俺は眠りについた。
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