第11話〈問答大会、決着〉
最後の問答を宣言した俺は、伊能ちゃんの後ろから顔を出しながら問題が出るのを待つ。
「本当にその体勢でやるのだ?」
「当然」
ちなみに、俺がこの座り方をしたのには理由がある。
恐らく、と言うよりほぼ確実に、最終問題は伊能ちゃんにとって恥ずかしいことが答えになる。
解説兼答え合わせ役である伊能ちゃんだが、恥ずかしさが限界に達したらきっと逃げ出してしまう。
それに、伊能ちゃんが恥ずかしがっている姿を、普通に見たい。
だから俺はしれっとこの位置に移動してきた。
「…………わかったのだ。つまり……動かない、という認識であっているのだ?」
「うん。動けない、という認識で合っているよ」
至時ちゃんと通じ合えた。やっぱり伊能ちゃんの師匠なだけあって、どんなことをしそうかよくわかっている。
「ええっと〜……ま、いいや〜。第9問、よしチャンが出題して〜」
志勉さんがそう言う。そして、至時ちゃんと俺が、伊能ちゃんを挟んで向き合う。
「いくのだ。推歩先生には、男の体で好きな部位があるみたいなのだ。それは一体、どこだと思うのだ?」
……なるほど、そう来たか。
伊能ちゃんは、もうすでに俺の腕の中から逃げ出そうとしている。けど、俺が頭や肩を後ろから押さえているから全く動けずにいる。
「は、離すのよエイ! 恥ずかしくて死んじゃうわよ!」
伊能ちゃんの言うことを意図的に無視しながら、思考の海に潜る。
伊能ちゃんの好きな部位……どこだろう?
色々と隠してしまう癖のある伊能ちゃんは、どう言うことを思っているのかいまいちわかりにくい所がある。その中の一つが、嗜好なんかについてだ。
伊能ちゃんからの視線を感じないことは無い。けれど、どこを熱心に見ているのかまでは俺には気が回らない。
けれど、確実に手がかりとなる情報はあるはず。
こんな時こそ『想像上の伊能忠敬ちゃん』の出番だ。
というわけで、今回もお願いします。
『わかったのよ』
とは言ったものの、どんな場面を考えればいいのかがわからなければ、想像上の伊能ちゃんも動けない。
…………心当たりがあった。
昨日の伊能ちゃんはお酒を飲んでいたから、普段は隠している本心を見せてくれた……のかもしれない。
だから、想像するべきは『昨日の夜の伊能ちゃん』だ!
『わかったわ。それじゃあ、昨日の夜に行くわね』
ぐぐっ、と想像上の風景が変わる。そして現れたのは、昨日の宿に備え付けてあった井戸を使っている伊能ちゃんだった。
より正確に言うなら、井戸を使い終わって蓋を閉めたところだった。
『お酒も飲んだし、これで準備万端……よね』
お酒もすでに飲んでいるみたいだ。となると、もうすぐ部屋にやってくる頃かな。
『ああぁぁぁ…………緊張するわね』
井戸の側でうずくまり、1人頭を抱えている伊能ちゃん。かわいい。
『良い加減腹を括らなきゃいけないわね……女は度胸!』
両手で頬を叩く。気合を入れた伊能ちゃんは、巾着袋に入った徳利を隠すように持って部屋の戸の前に立つ。
そっと戸に手を掛けて、ゆっくり開ける。
『た、ただいま』
『ンっ! ……うん、おかえり』
この辺りはよく覚えている。人生で初めて女の人と夜を過ごしたんだし、それはそうだろう。
『ふふふっ。エイ、変な声。もしかして……緊張してるの?』
『あー……うん。実は緊張してる』
見てるこっちもドキドキだよ!
うわー、伊能ちゃんすごい顔真っ赤になってる。お酒で酔っただけじゃなくて、ちゃんと俺のことを意識してくれていたんだな。
『うう〜っ! もう帰りたい〜っ!』
あれ? こんな声聞いてないぞ?
もしかして、俺の想像上だから、本当は言っていない伊能ちゃんの気持ちも聞こえるのか!?
『でも、ここまできたらやるしかないのよ。わたしだって、エイのことが好きなんだから』
伊能ちゃん……。
『その、ごめん』
『どうして謝るのよ。わたしだって、すごく緊張しているのよ?』
伊能ちゃんが布団へ一歩踏み出し、それと同時に徳利を布団の隅に転がした。布団を踏む音に気を取られていて、徳利の音に気付いていなかった。
まあ、気付いても何にもならないけど。
『エイ……好き…………』
さっきからずっと伊能ちゃんが呟いている。口に出してはいなかったけど、心の中ではこんな感じだったんだろう。
神みたいな視点で見ている俺としては、今すぐにでも布団に転がり込みたい気分だ。
伊能ちゃんが足を止める。帯を緩め、肩から着物を布団に落とす。
プッ
「うわぁ! 大崎栄が鼻血吹いたのだ!」
「あ〜あ〜、結構出てるね〜」
「何やってるのよエイ! ……もぅ、仕方ないわね」
現実の伊能ちゃんが紙を鼻に詰めてくれる。ありがたい。
俺は再び現実世界に別れを告げ、脳内の世界へと戻っていく。
「なんで抱きしめる腕を強めるのよ…………嬉しいけど」
「忠敬チャン、にこにこしてる〜」
最後に聞こえたことを胸に刻み込んで、想像上の伊能ちゃんに会いに行く。
『う……あ……』
想像の中に意識を戻すと、俺がうめいていた。
背中に伊能ちゃんがくっついており、2人して顔を真っ赤にしている。
『エイの背中……やっぱり大きい。安心する…………』
伊能ちゃんは頬を赤く染めながらも、心の底から安堵したような表情を浮かべている。
『もっと攻めてみても……良いわよね』
伊能ちゃんが俺の首に腕を回す。甘えるように、と感じていたけど、その心は間違っていなかった。
『は、恥ずかしいから、何も言わないで……』
伊能ちゃんが、俺の耳元で囁く。その間にも、一体化させるかの如く全身を俺の背中に押し付けている。
うわ、胸が俺の背中にぴったり張り付いてる……! それの感触、全然味わってなかったな……ちょっと後悔。今度頼んでみよう。
しかし、はたから見ていても感じる。俺も伊能ちゃんも、互いに互いを愛し合っている。
弛緩した空気というか、甘ったるいと言っても差し支えない空気が、この場を支配している。
ああ、やっぱりこの言葉しかない。
「『伊能ちゃん、好き』」
「なっ——! 何言ってるのよ、エイ!」
伊能ちゃんの声で、現実に引き戻される。
「ごめん、口に出てたね」
「そうだね〜。まったく、幸せそうな顔しちゃってさ〜。うらやましい限りだよ〜」
志勉さんが、やれやれと言った感じで言う。その隣、至時ちゃんも似たような反応だ。
「して、大崎栄。今回の質問の答えはわかったのか?」
「——当然」
「何が当然なのよ……わたしは恥ずかしいだけなのよ」
伊能ちゃんに構っていたら、いつまで経っても話が進まない。ここは堪えて無視を決め込む。
「今回の答えは——背中、だ」
「……なるほど、なのだ」
噛み締めるように、至時ちゃんが呟く。
「さて、この答えは合ってるのかな〜?」
志勉さんが伊能ちゃんに促す。
一方伊能ちゃんはというと……暴れたりすることもなく、大人しく腕の中にいる。覚悟を決めた表情をしているから、もうこの場からは逃げられないと悟ったんだろう。
さあ、伊能ちゃんの反応はどうだ。
「——正解よ。わたしは、エイの安心する背中が好きなのよ」
その言葉を聞いて、俺は大きく息を吐いた。安堵したような、俺の想像が合っていて嬉しいような、そんな気分だ。
「……なによ。無言で腕を強くするんじゃないわよ」
とは言いつつ、伊能ちゃんも俺に体を預けてくれている。細やかだけど、すごく幸せだ。
「あっあ〜、まだ大会は終わってないんだよね〜」
慌てて離れる……ようなことはしない。このままの状態でも問題ないと、互いに思えているからだ——
「じゃあ、大崎栄が最後の問題を出すのだ」
——というのもあるが、本命はそっちじゃない。
今から出す問題は、俺が最初に出し渋った、とっておきの問題だからだ。
「最後、第10問だよ〜」
志勉さんの号令を合図に、そっと腕の強さを強める。伊能ちゃんを抱きしめ、逃げ出せないようにしてから、俺は問題を出す。
「問題……伊能ちゃんの体で弱点は、どこ?」
伊能ちゃんの動きが、止まった。
次の瞬間、耳まで真っ赤になった伊能ちゃんが俺の腕の中で暴れた。
「ちょっ! なにを出題してるのよ! 正解されるのも回答を出すのも、どっちもすごく恥ずかしいじゃないの!」
俺はちょっとした加虐体質なのかもしれない。伊能ちゃんが恥ずかしがっている姿を見ていると、どんどん愛おしくなってくる。
「2人とも楽しそうだね〜。やっぱりお似合いだよ〜」
猫みたいに腕の中で暴れる伊能ちゃん。志勉さんの言葉が聞こえているはずなのに反応しないのは、否定したくないからだろう。俺も同じ気持ちだ。
にゃあにゃあしている伊能ちゃんをたしなめながら、至時ちゃんに目を向ける。
座禅を組んでいるかのように静かな至時ちゃん。落ち着いた心で、伊能ちゃんと2人過ごしているんだと思う。
心に一切の揺らぎを感じられない。ひたむきに、ただ伊能ちゃんと向き合っている。
その空気を感じたのか、はたまた指導を受けていた頃を思い出したのか、腕の中の伊能ちゃんが動きを止めた。
「よしちゃん……今ならいたずらできるかな〜?」
志勉さんが立ち上がって、至時ちゃんの背後に回る。
そっと至時ちゃんに触り、反応を確認している。
……ああ、顔が顔が。
「おっと〜、いけないいけない〜」
若干ダメだったような気もするが、本人的には大丈夫らしい。
「というか、あんなに全身を触ってるのに至時ちゃんは気付かないの?」
「師匠は、一度集中すると中々こっちに戻ってこないのよ。自分から食べたり飲んだりしなくなるから、弟子としては困るのよね……差し出せば食べてくれるけど」
そんな話が……あれ? 俺も伊能ちゃんも変わらないことしてるような気が……。
「ほ〜ら、よしちゃ〜ん。ボクの膝に座ろうね〜」
志勉さんが至時ちゃんの腰を持ち上げ、膝に座らせる。正座の上に座っている状態だから、ちょっと辛そうな座り方だ。
それでも、志勉さんは幸せそうだ。溶け切った顔をしている。溶けすぎて、女の子がしちゃいけない顔をしている。
至時ちゃんの匂いを思い切り嗅ぎ、恍惚とした表情で「ふああぁぁぁ〜〜……」と息を吐く。
何も知らない至時ちゃんと、勝手に吸っている志勉さん。なんだろう、この光景…………犯罪の香りがする。
「よし……わかったのだ」
至時ちゃんが、満を持して目を開く。その瞳は、真っ直ぐに俺を貫いている。
思わず俺も姿勢を正す。こういう時の威圧感は、弟子を持つ師匠としての風格を感じる。
……後ろから志勉さんに吸われていなければ、だけど。
「これで、決着がつくのだ」
「伊能ちゃんがどっちについて行くか……決まるんだな」
小さく伊能ちゃんが「最後の決定権はわたしにあると思うのよ……」と言うが、それとはまた別だ。
これで一区切り。伊能ちゃんと俺、伊能ちゃんと至時ちゃんの新たな関係性が、この回答で決まる。
「あーしが見つけた正解は——」
固唾を飲む俺。
若干不満げな伊能ちゃん。
吸引している志勉さん。
三者三様の反応を見せながら、至時ちゃんの言葉を待つ。
「——右の耳、なのだ」
ハッと息を吸う伊能ちゃん、目を瞑りその言葉を噛み締める俺、恍惚の志勉さん。
その回答に対して、俺は伊能ちゃんにも聞かせるように言葉を発する。
「俺の想定していた回答があるんだ」
重い沈黙が、この場を支配している。伊能ちゃんも至時ちゃんも、俺の言うことを聞き漏らすまいと耳を傾けている。志勉さんは至時ちゃんの内臓の音を聞いている。
「だったら、どちらの方がより弱いのかを推歩先生に答えてもらうのだ」
「師匠? それ、わたしが恥ずかしいだけなのよね。……まあ、覚悟は決まったわよ。これ以上失うものも無いし」
伊能ちゃんは余裕そうにしている。が、俺は知っている。
昨夜、おかしくなるから今後はやるんじゃないと言われた行為があることを……!
「伊能ちゃんの弱点は——口の中。特に上あごを舌で触られるのが、とても弱い」
腕の中で伊能ちゃんが倒れた。
「…………もうやだぁ」
昨日発覚したばかり、しかも酒と雰囲気に酔っていた時の出来事だ。伊能ちゃん自身も、今の今まで忘れていたんだろう。
羞恥からか小刻みに震えている伊能ちゃん。わかりやすく大照れしている訳ではないけれど、これはこれで小動物感が増してかわいらしい。
「この推歩先生の反応……つまり——」
「ええそうよ……耳より口の方が弱いわよ…………」
清々しい顔をした至時ちゃん。これまた清々しい顔をしている志勉さん。
前者は戦い切った顔、後者は大満足した顔だ。こうもはっきり落差のある同じ表情も中々見られない。
「であれば——あーしは大人しく身を引くことにするのだ。邪魔をしてしまってすまなかったのだ」
至時ちゃんが、志勉さんを伴って立ち上がる。
潔い幕引きとなったが、俺は至時ちゃんに声をかけた。
「至時ちゃん。至時ちゃんと志勉さんも、これからは旅を続けたら?」
「……どうしてなのだ?」
振り返る至時ちゃん。俺も立ち上がって、至時ちゃん……1人の友人に話す。
「体が悪いのはわかってるけど、ずっと同じところに留まり続けてるのも心に良くないと思うんだ。それに、今日は楽しかったからさ、またどこかで会えたら楽しいかなと」
黙って考え込む至時ちゃん。
「……確かに、ここしばらく実地での観測をしていなくて腕が錆びているのだ。暦学を研究する者として、伊能忠敬の師匠として、恥ずかしくないようにしておきたいのだ」
そして、俺と目を合わせる。
「ここで出会った友人との再会を願いながら、気ままに旅をするのも良いかもしれないのだ」
志勉さんからの言葉は、無い。至時ちゃんの判断に全てを任せる、ということだろう。こういうところは、きちんとした妻といった雰囲気だ。
「それじゃあ、また会える日を楽しみにしているのだ。我が弟子、そして我が友人」
「ああ、またどこかで」
俺と至時ちゃんは言葉を交わし、別れた。
「…………あ。いつの間にか雨が上がってたのね」
外の様子を見た伊能ちゃんが言っている。
もう日が沈みかけている。
俺と伊能ちゃんも、新たな出会いがあったこの寺を出ていくことにした。
次に至時ちゃんと会えるのは、一体どこでだろうか。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます