第10話〈伊能ちゃん争奪問答大会!〉
「全身見ることはないじゃない……ばかぁ」
顔を真っ赤にした伊能ちゃんが、居心地悪そうに元の場所で座る。
「確認したところ——よしチャン、正解〜」
「あと、鼠蹊部にも2つホクロがあるのだ」
「おっ、じゃあ改めて〜」
「見せないわよ!」
さすがは至時ちゃん。答えが2つあることも把握していたみたいだ。
やられた、という気持ちと、やるな、という気持ちが混在している。とはいえ、伊能ちゃんを譲る気は全くない。
「第5問、いこっか〜」
先ほどまでの続きとして、今度は至時ちゃんから俺に質問をしてくる。
「ふっ、中々やるようだが、これは答えられるのか?」
自信満々に、至時ちゃんが言う。思ったことが言葉や行動に出る至時ちゃんだ。きっと本当に難しい問題になるんだろう。
「よし、来い!」
「行くのだ! 推歩先生は風呂に入った時、体のどこから洗い始めるか、わかるのだ?」
な……に……!?
「エイ……!」
俺は……伊能ちゃんと一緒に入浴したことがない。
つい数年ほど前までは、男女共に同じ浴槽に入る混浴だった。
しかし、性犯罪が厳罰化されたり色々な変更があった結果、家単位でも男女で混浴することがめっきり減ってしまった。
夫婦や特殊な関係であれば一緒に入浴することもあるが、彼氏彼女の関係ではあまり聞かない。
つまり、俺と伊能ちゃんは互いの入浴時について、全く知り合えていない。
どうする……どうやって答えを導き出す……!
焦りを見せないよう平静を装いながら、考えることをやめない。
「おや〜? なにか、悩んでるみたいだね〜」
志勉さんが急かすように言ってくる。志勉さんは基本的に至時ちゃんの味方。俺の考えをまとめさせないつもりなのかもしれない。
『エイ、がんばって……!』
伊能ちゃんが独り言のように呟いた。
しかし、その言葉は発されていない。
この声は……俺の中に降臨した『想像上の伊能忠敬ちゃん』!?
そうか、君がいれば俺に答えられない問題なんて無いんだ!
『それじゃあ……エイ。ちょっと恥ずかしいけど、一緒に入りましょうか』
おおぉ、伊能ちゃんが積極的に……まあ、こうでもしないと長考する羽目になりそうだからな。
手ぬぐいを前にかけた伊能ちゃんが、屈託のない笑みを浮かべて俺を誘う。ああ、想像だけじゃなくて、いずれこんな日が来てほしいな……。
『湯船に浸かる前に、体を洗うわよ。外を歩いて、汚れが結構ついてるだろうし……』
きたきた本題! さあ、伊能ちゃんはどこから体を洗い始めるんだ!?
洗い場に置かれている椅子に腰掛けると、伊能ちゃんは石けんを手に取った。
『泡をもふもふにして……ふふっ』
手のひらに収まらないほどの量になった泡を見て、想像上とはいえ伊能ちゃんが笑う。
「……ぐふっ」
「お、おい……どうしたのだ?」
危ない危ない。あまりのかわいさに現実が影響を受け始めた。ここからは落ち着いた心で見ないと。
『まずは——』
伊能ちゃんが最初に手をつけたのは……右脚。
ふくらはぎに両手を置いた伊能ちゃんは、泡をまとわりつかせるようにしながらももの方へ手を擦り上げる。
ももの半ばまで手が来たかと思うと、今度は右のかかとを椅子のヘリに上げた。
『———♪』
何かの旋律を鼻で歌いながら、膝を抱えるような体勢ですべすべした足を擦る。
足指の一本まで丁寧に洗い、再びふくらはぎに沿わせるように手をももに戻す。
『さて、次はここを洗おうかしら』
ももを上がっていく伊能ちゃんの手。
こ、このまま行けば、その先は鼠蹊部。
お、おお……おおお!
「エイ? どうしたのよ、変な顔して呆けて……」
はっ、意識が妄想に持っていかれていた。
ふう、色々と満足でした……。
それに、今回の質問の答えがわかった。
さあ、俺の伊能ちゃん力を舐めるんじゃないぞ!
「待たせてしまったな。今回の答えは——右脚から、だ!」
「どうしてわかるのよ!」
現実の伊能ちゃんが吠える。この反応は、
「つまり、合ってるのかな〜?」
「ううぅ……合ってるわよ」
よし! ありがとう、想像上の伊能ちゃん! この先もよろしく!
「ぐぬぬ、中々やるのだ。さあ、次の問題をよこすのだ!」
至時ちゃんのやる気は止まることを知らない。
ならこちらも、至時ちゃんの知らないであろう事を問題にしようか。
「は〜い、第6問〜」
「伊能ちゃんは親しい人の前でも中々お酒を飲まない……だが! 昨日の夜に初めて俺の前で飲んでくれた。さあ、伊能ちゃんはお酒を飲むとどんな風に酔うか、わかるか?」
「ぬぐっ」
至時ちゃんのこの反応は、やっぱり見たことがないな?
伊能ちゃんを見ると、感心したようにうなずいている。至時ちゃんも知らないような秘密を俺が出したから、感心してくれているんだろうか。
「ち、ちょっと待つのだ!」
至時ちゃんが腕を組み、うなだれるように下を向く。
しかし、それは絶望している訳ではない。
俺にはわかる。至時ちゃんも俺と同じく、『想像上の伊能忠敬ちゃん』を降臨させているんだ。
きっと至時ちゃんの中では、2人きりでお酒を飲み交わそうとしているんだろう。
にへー……と笑う至時ちゃんの顔を見ていると、そろそろ飲む頃なんだろう。
「よしチャン〜……?」
志勉さんがすんごい顔をしている。女の子なんだから、そんな顔しちゃダメでしょ。
「うへへへ……」
「至時ちゃん、よだれ出てる、よだれ」
口元を拭いながら、至時ちゃんが再び思考の海に潜る。それでもたまに「ぬへっ……えへへぇ…………」と声が漏れている。
「師匠もそんな風になって……一体どうしたのよ」
「じゅる……なんでもないのだ」
絶対何かあるじゃないの……、と伊能ちゃんは呟くが、至時ちゃんは無視している。
「——大崎栄」
至時ちゃんから、重々しい声で呼ばれた。
「さっきのオマエと今のあーし、きっと同じ気持ちなのだろうな」
「確かに……そうだな」
心と心で通じ合っている。これはただの友人ではなく——戦友。
そう呼ぶのにふさわしい心境に、なっている。
囲炉裏を挟んでいるからできないが、握手でもしたい気持ちだ。
「それじゃあ、答えるのだ。推歩先生は酒に酔うと……甘えてくるのだ!」
うん、おおむね正解だな……。
「違うわよ! 酔ったって甘えたりは——!」
「いやいや、伊能ちゃん。昨日のあれは普段の伊能ちゃんからすれば、存分に甘えてる方だと思うよ」
「そうなのだ。いつもは猫みたいにちょっと距離が空いてるのに、あんなにすり寄ってきたら撫で回したくもなるのだ」
「それはかわいいね〜。ほ〜ら、忠敬チャ〜ン。おいでおいで〜」
実際に見た俺、想像上で体験してきた至時ちゃん、話を聞いて乗ってきた志勉さん。
3人から囃されて、伊能ちゃんの顔が真っ赤になっていく。
「うぅ〜っ! ならもう正解でいいわよ!」
拗ねるように顔を背けながら、早口で伊能ちゃんが言う。
「お〜。正解になったから、まだまだ戦いは続きそうだね〜」
志勉さんが間延びした口調で宣言し、次は至時ちゃんが問題を出す番だ。
「ここで決着をつけるのだ」
そう宣言した至時ちゃんは、一呼吸置いてから問題を出した。
「あーしはずっと、伊能忠敬のことを『推歩先生』と呼んでいるのだ。さあ、その理由は何か、わかるか?」
あー……確かに、この戦いが始まってからはずっと『推歩先生』と呼んでいるな。何が理由なんだろう?
しかし至時ちゃんが問題を出した直後、伊能ちゃんが声を上げた。
「待つのよ、師匠。それは今回の規則では違反になるんじゃないかしら」
「確かにそうだね〜。忠敬チャン大好きな栄クンなら答えられるかもだけど〜。伊能忠敬ちゃんに関してはいるけど、そう呼んでるのよしチャンくらいなものだしね〜」
志勉さんも違反を指摘する。が、どうしてそう呼ばれるようになったのかを知らない俺からしたら、状況が掴めない。
「……確かに、そう言われるとそうかもしれない……のだ。なら、問題を撤回して、違うものにするのだ」
「そうだね〜。そうしよっか〜」
「ち、ちょっと待って」
そのまま話が流れていきそうだったから、俺が待ったをかける。
「問題は抜きにして俺もその理由を知りたいから、教えてくれると嬉しいんだけど……」
俺が言うと、至時ちゃんは笑顔でうなずいた。
「元は天文学の言葉なのだ。空を行く星の動きや、それと一緒に変わっていく暦に関しての意味になるのだ。それらを推測したり計算したりすることを、推歩と言うのだ」
至時ちゃんに続いて、志勉さんも補足をするように話してくれる。
「忠敬チャンは本当に熱心に測量や天文学の計算をやってたみたいなんだよね〜。それに敬意を表して、よしチャンは『推歩先生』って呼んでるんだって〜」
「へえ、だから推歩先生……伊能ちゃんに合ってる、いいあだ名だね」
伊能ちゃんの方を見て、そう言ってみる。
顔を真っ赤にしている伊能ちゃんは、けれどとても誇らしげな表情をしている。
「まあ、理由はわかったよ。確かにそれじゃあ、天文学に詳しくない俺は答えられないな」
「というわけで、改めて第7問を出すのだ。何にするか考えるから、ちょっと待つのだ」
腕を組み、考え込む至時ちゃん。思考するときに腕を組む癖があるんだろう。知識人っぽくて、ちょっとかっこいい。
しばらく手をつけていなくてぬるくなってしまったお茶を飲み、至時ちゃんが出題するのを待つ。
「よし、思いついたのだ! 第7問、行くのだ!」
俺は気合を入れ直すと、至時ちゃんに向き直る。
「問題なのだ! ——推歩先生が自分の体で1番気にしている部分はどこなのだ? さすがにわかるとは思うが、確認も含めてなのだ」
至時ちゃんがそう宣言した直後、伊能ちゃんが左腕で胸元を覆った。
すぐさま何かに気づいたように腕を下ろしたが、これではバレバレだ。
ああ、もしかして至時ちゃんは、さっきの規則違反を気にしているのかな。だからわざと簡単な問題を出して、それを罰とした。
そういうことなら、俺が受け取らなければむしろ失礼になってしまうな。
「この問題の答えは、胸が小さいことだ!」
「わーん! なによ! 正解よ! もーっ!」
泣いてるような怒ってるような、そんな声音で伊能ちゃんがヤケになったように言う。
そんな伊能ちゃんを、左手で撫でる。
するとゆっくり涙が引いてゆき、かわりに花が咲くような笑顔になった。
そうだ、公平のために次はこれを問題にしよう。
「俺からの第8問、いってもいいかな、志勉さん?」
「いいよ〜、いつでも出題しちゃって〜」
対面を見ると、至時ちゃんが姿勢を正している。ここからは互いに問題数がない。次に出し合う問題が、勝敗を分けるものになる。
その前の休憩として、この問題を出そう。
「問題。伊能ちゃんは、人に何をされるのが好きか。簡単な問題だけど、伊能ちゃんの恥ずかしがる姿を見た……いや、なんでもない」
危ない、本音が漏れた。
「隠しきれてないのよ!」
「なるほどなのだ。それなら、さっさと答えさせてもらうのだ」
至時ちゃんが伊能ちゃんの方を見る。志勉さんも、伊能ちゃんに注目している。俺も、伊能ちゃんから視線を離さない。
「答えは、頭を撫でられること、なのだ!」
「あーもー! 正解正解! だからこっち見ないでよ!」
すかさず、俺が手を伸ばして伊能ちゃんの頭を撫でる。撫でる。撫でる。
「…………えへへ」
「「「かわいい……」」」
3人の声が揃った。この短時間で、同志が一気に2人も増えた。
「これで、残すところはあと1問ずつなのだ」
「最後の問題、気合入れて考えなきゃ」
それでも撫でる手は止めない。もうここまできたら、撫でつつ前で抱いててもいいよね。
立ち上がって伊能ちゃんの背後に移動し、あぐらになる。自分の足をとんとんと叩くと、伊能ちゃんが座ってきた。
位置を調整するように何度か動いて、落ち着いた。
後ろから抱きしめるような体勢で、頭を撫でる。
伊能ちゃんが俺の胸に頭を押し付けるような姿勢になり、全身で喜びを表すようにしている。本当に猫みたいだ。
「さあ、最後の問題に行こうか!」
微妙に辟易したような至時ちゃんと志勉さんをよそに、俺はそう宣言した。
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