第0−7話〈再会と決意〉
「もう! あの『おっとせい』将軍め……!」
日が傾いてきた頃合い。もう景色が赤く染まり始めている。
相当にうぶな伊能ちゃんは、シン・江戸城を出るまでずっとご立腹だった。元々あまり良い印象を抱いていなかったみたいだけど、最後のが一押ししちゃったかな。
相当な色男だったのになびかなかったのは、こういう風に貞操観念がしっかりしているからかもしれない。
まあ、初対面の相手には緊張してしまう伊能ちゃんが性に奔放だったとしたら、それはそれで色々と大変だったかもしれないけど。
シン・江戸城の正門まで歩いた。かなり曲がりくねった構造をしているから、すごい距離を歩かされたような気がする。この構造が、城を守るためになってるんだな。
「いや〜……実際、すごい体験をした……んだよな。あんまり実感が湧かないけど」
江戸城に足を踏み入れただけでなく、その中でも特に強い権力を握っている老中首座。それだけでなく、この日の本を治める将軍に会えたんだから。
伊能ちゃんと出会う前は、想像もしていなかった世界だ。
「……そういえば、こうして結局付き合うことになったけどさ」
「付き合ぅ……ど、どうしたのよ」
「幕府の公認はもらえたけど、両親には報告しなくていいのかな……って」
「ああ……確かに」
伊能ちゃんが考え込む。
……俺の両親はまだ健在だし、なんなら畑でクワを振り回せるくらい元気が有り余っているらしい。
でも、伊能ちゃんの親はどうなんだろう? 幼い女の子を1人放り出そうとは中々考えないだろう。
つまり……もう、亡くなってる?
「伊能ちゃん、その、不快にさせたならごめんね。急な思いつきで無神経なこと言っちゃって」
「え? ……ああ、もしかしたら両親が死んでるかも、とか考えたのかしら。それなら大丈夫よ。両親共にピンピンしてるみたいだから」
「そうなんだ、良かった。……って、それならなおさら、どうして伊能ちゃんを1人に——」
したんだ? と言葉は続かなかった。
「忠敬!」
と呼びかけられたからだ。
「もしかして……お父さん!?」
「お、お父さん!? 伊能ちゃんを放置した、あの!?」
本人を前にして物凄いことを言ってしまった気がするが、実際そう感じたんだから仕方ない。
「忠敬! 随分と待たせてしまって済まない、迎えにきたよ!」
そう言って遠くから走ってくるのは……なんというか、幸の薄そうなおじさんだった。少し離れたところにある荷車に、伊能ちゃんより年上らしき男女の姿が見える。雰囲気からすると、伊能ちゃんの兄と姉だろうか。
「7歳の頃に色々なことを学んでこいと言ったはいいもののどうしたらいいかわからず、気がついたら忠敬が勝手に独り立ちしていなくなっていたのは驚いたよ!」
そ、そうだったのか。てっきり、ひどい親に育児放棄された結果だと思っていたんだけど……行動力が有り余ってるな、伊能ちゃんよ。
「ああ、全く謝る必要はないよ! 自分で選んだ道なんだろうからね! むしろ、そんな自立した娘がいて誇らしいよ!」
超前向きな人だ。初対面伊能ちゃんとは性格が天と地ほどの差だ。これなのに伊能ちゃんの性格がああなってしまったのは、母方の血の影響なんだろうか。
「ええっと……どうしてわたしが江戸城にいるってわかったのかしら?」
多少困惑した様子で、伊能ちゃんが質問する。初対面の時の緊張しいが、若干出てしまっているようだ。
まあ、10歳前後の多感な時期を一緒に過ごせていないんだから、当然と言えば当然か。
「色んな人に聞いて回ったんだよ! 似たような人を見た情報からご近所さんを探して、ご近所さんから診療所に行ったらしい情報を聞いて、診療所の人からシン・江戸城へ行ったと情報を聞いて、やっと辿り着いたんだ!」
「へえ……」
伊能ちゃんが引き気味だ。まあ確かに、粘着質な感じはする。ちょっと鬱陶しい。
「それで、迎えにきたって言ってたけど……それはどういう意味なのよ」
「文字通りだよ。10年も色んなことを学んだだろうし、そろそろ迎えに行って商人としての修行をさせるべきだと思ったんだ」
伊能ちゃんのお父さんは目を輝かせている。さっきも会ったなこんな人……。
……っていやいや、もしそうなったら伊能ちゃんの夢はどうなっちゃうんだ? せっかく叶えるための道標を見出したのに、俺とも付き合い始めたばかりなのに、行っちゃうのか?
後ろの人達の装備から察するに、この人たちは全国を回って商売をするらしい。つまり、俺がいなくっても伊能ちゃんの夢自体は叶えられる。
が、それは嫌だ。俺はきちんと、伊能ちゃんと2人で全国を回りたい。副業がなくても、お金が苦しくても、伊能ちゃんとがいい。
「さあ、お父さんに10年で学んだことを教えてくれ!」
伊能ちゃんのお父さんが両手を広げる。『待ち構え』の姿勢だ。
「なら、わたしは——」
伊能ちゃんは……何を言う!?
「わたしは、この10年で人の大切さを学んだのよ。ご近所さんや診療所の人も、直接はわたしに関係なくてもみんな大事だって」
伊能ちゃんが俺の腕を引く。
「わたしは、今の人たちを大切にしたい。長い間会えなかったお父さんより、ずっと近くで見守ってくれた商店街の人たちがいい。よく知らないきょうだいより、よく知りたいこの人の方が一緒にいたい」
……つまり、伊能ちゃんはお父さんの誘いを断って、俺との旅を取ってくれた……ってことか。
すごく嬉しい。伊能ちゃんに選ばれたのもそうだけど、伊能ちゃんのよく知りたい人に入れたのが特に嬉しい。
あああ、伊能ちゃんのお父さんがいなかったらすぐにでも抱きしめてしまいたいのに!
「…………そうか。あくまでも、その場での縁を大切にする、ということか……」
「だ、ダメかしら」
伊能ちゃんのお父さんは肩が小刻みに震えている。何かをグッと堪えて、我慢しているようだ。
そして、全身を大きく伸ばしながら全力で息を吸う。
「全くもって構わない!」
清々しいほどの大声で、そう答えた。
「そうしたいと思ったんだろう。なら、その決定を応援するよ。きっと、地元にいるお母さんも喜んでくれる」
父親らしい優しい目線を伊能ちゃんに向けて、語りかける。
「すごくいいことを学んだんだね。急に出てきたお父さんにはなびかないくらい、大切なことを」
……ちょっと強引だったとはいえ、やっぱり伊能ちゃんの父親なんだな。
「ところで、落ち着いたら横の彼氏を紹介してほしいな! あ、きっとお母さんも気になるだろうし、泊まりで実家へ行ったらどうだい!? 多分楽しい小旅行になるよ!」
「か、かれし!? いやいやいやいや、まだ早い! 紹介するにはまだ早いのよ!」
「ほら、彼氏くんとしてはどう思っているんだい? 早く親公認になりたくないかい?」
「え!? え〜っと……」
「まだって言ってるのよ! もう夕方だし、さっさと解散よ!」
伊能ちゃんが父親ときょうだいを無理やり帰す。少し残念そうにしていたけど、成長が見られて満足げだった。
「それじゃあ、わたしたちもそれぞれ家に帰るわよ」
「あ……1人で大丈夫?」
「怪我人を無理させられないわよ。大丈夫よ、できるだけ広い道を通って帰るから」
夕方、伊能ちゃんと向き合う。前に江戸城へ来たときは雨だったが、今は晴れ。
「じゃあ……また明日、なのよ」
「うん。また明日」
この前とは違う挨拶を交わし、それぞれ家路につく。
明日からは、毎日がたくさん変わっていくんだろう。
楽しみだ。
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〜 1 年 後 〜
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