第0−6話〈進展〉

 一晩経過した。


 あんなことがあった後だから眠れないかと思っていたのだが、俺は思った以上に疲れていたらしい。爆睡して今は元気いっぱいだ。


 全身が痛いのは相変わらずだけど、流石にずっと救護所で寝ているわけにもいかない。ちゃんと自宅があるんだから、そちらへ移動しよう。


 と、決めたはいいものの、1つ懸念がある。


「伊能ちゃん、今日のいつ頃に来るかわからないんだよな……」


 伊能ちゃんに好きだと伝えて、返事を今日することになっている。

 けれど、いつどこでそれを話すのかが決まっていない。


 勝手に家に帰って、伊能ちゃんとすれ違いになったら嫌だよなぁ……。


 布団で体を起こしながら、うんうん思案する。


「おはよう、病人。よく眠れたようだね」


 と、無遠慮に戸が開かれる。昨日もこんな風に開けてきたな、この人。着替えでもしてたら……いや、全く気にしないんだろうか。


「まあ、疲れてたみたいでぐっすり眠れましたよ」


「それならなによりだよ。あ、そうそう。昨日の彼女は昼前に来るらしいよ。帰り際に言ってた。それまでに軽く身なりを整えて来な。昨日もそうだったけど、寝癖凄いよ?」


 言われて、頭に手をやる。もふもふと触れるくらいには髪が逆立ってしまっている。


「ついでにここを出る準備もしといてくれよ。いつまでも占拠されちゃかなわん」


 そう言い残して、白衣の女性は部屋から出ていく。


 窓から覗く太陽は、まだ出てすぐらしい。


 光が頭上に刺さる前に、色々と準備をしておこう。


 高鳴る胸の赴くままに、今日の身支度は楽しくできた。




 いよいよ、昼。太陽の角度としては、もう少しで正午くらいだろうか。


 診療所を出る準備をし、寝癖もなんとか鎮めてきた。出る準備と言っても、大きい荷物は全く無いから本当に歩けるかどうかの確認だけだ。


「半年くらいは通院しないといけないんだっけ。ま、半年で済んでよかったと思うべきか」


 実際に体を動かしてみたら、足は問題なく動かせた。立って歩くのも苦じゃない。でも、右腕がうまく動かせなかった。骨が負傷してしまっているようで、経過観察が必要とのことだ。


 多分、右肩を打たれたのが響いてるんだろう。治りが悪くなるから動かさないようにと、木の板で固定した上で右腕も体の横で固定されてしまった。


「しばらくしたら機能回復のために動かさなきゃいけなくなるみたいだけど、よりによって右かぁ……しばらくは文字も絵もかけなくなるな」


 この怪我に後悔は全くしていないけど、その間はどうやって生活しようか。この前の収入はそのまま残ってるけど、今までの貯蓄と合わせても半年は大変だ。


 これからの季節は夏。冬じゃないだけマシだけど、それでも大変な季節だ。


「まあ、それは後で考えよう」


 今は、伊能ちゃんを待つ。これに専念しよう。


「お、おまたせしたのよ」


 と、緊張を隠しきれない硬い声が、横の路地から聞こえてきた。


 はやる気持ちを抑えきれずにそちらを振り向く。そこには、路地から顔だけを出している伊能ちゃんが立っていた。


「……えーっと、どうしてそんな体勢で?」


「う……その、普段着ない服を着たから、緊張して……」


 顔を赤くして照れる伊能ちゃん。


「いや……かわいい」


「まだ何も見せてないのよ!?」


「っと、口から漏れてたか……反応がかわいくて、つい」


 伊能ちゃんが路地に顔を引っ込めた。


「そういうことを面と向かって言うんじゃないのよ! もう……」


 どうやら、照れて隠れてしまったらしい。


 俺もいつまでも診療所の前に立っていたら邪魔になってしまうから、ついでに伊能ちゃんのところまで移動しよう。


 痛む右腕を庇うように、気持ち普段よりも左に寄って歩く。


 そうして路地に見えた伊能ちゃんは、明らかに昨日よりもめかし込んでいた。


 非常にかわいい。


「うん、とても似合ってるよ、伊能ちゃん。すごくかわいい」


「どっ、どうしてそういうことを顔色一つ変えずに言うのよ!」


「どうしてって……本当にそう思ってるから?」


「だとしてもそんな、うああぁぁ」


 しゃがみこんでしまった。


 なんと言われても、かわいいものはかわいいし……じゃあ、なんて言うのが良かったんだろう?


「エイさんって……そういうところあるわよね。自分の思ってることを伝える才能というか」


 褒められてると捉えて……良いんだろうか。


 まだ顔を赤くしているが、伊能ちゃんが立ち上がる。何か、吹っ切れたような表情だ。


「老中首座らしいあのおじいさんに今日までに伝えるように言われてるし、江戸城まで歩きましょ」


 足取り軽く、伊能ちゃんが路地から通りに踏み出す。


 …………あれ、昨日の返事は?




 そうしてやってきた、シン・江戸城。


 前に貰った勘合を見せたら、すんなり通してくれた。ちゃんと対応してくれるし、本来はこうやって連れて来られるはずだったんだろう。


 伊能ちゃんが抵抗したからああなった……いや、その前を見てないからどんな風に連れて行こうとしたのかわからないけど。


「この中で待っててください! すぐに信明さまをお連れしますので!」


 若くて元気な兵士に案内され、前回と同じ部屋にやってきた。しかし、今回は部屋の中で待機する兵士はいないようだ。


「まあ、中で待ってようか」


「そうね。外に立っていても邪魔になるだけでしょうし」


 そっと襖を開けて中をうかがう。流石に勢いよく開ける勇気は無い。


「お、きたきた! 待ってたよ!」


 開けた隙間から、若い男性の声が聞こえる。松平さんじゃなさそうだ。


「そんな廊下で突っ立ってないで、入ってきなよ」


「え、ええっと……」


「いいからいいから、ほら」


 なかなか押しが強い人みたいだ。とはいえ断る理由も無いから、言われるまま部屋に入る。


 やっぱり、決して見慣れることはないくらい豪華な部屋だ。そして、そんな豪華な応接室に我が物顔で座る目の前の男性。


 かなりの色男だ。正直、男色は興味がない俺でも目を惹かれてしまうくらいだから、世の女性方は一目見ただけで大騒ぎだろう。


 一体、誰なんだろう……?


「キミらがウワサの測量士2人組だね!? 城中で話の種になってるよ〜! ねね、城の前で話してたっていうのは、やっぱり別れ話とかだったの!? でも今こうやって仲良くしてるってことはこの話はウソだったってこと!? じゃあその話はなんだったの!?」


「うわあっ! 近い近い!」


 目をキラキラ輝かせて、鼻と鼻が触れてしまいそうな距離に迫ってくる。


「おお! キミが女の子の方か! いや〜聞いてたよりもカワイイね! 良かったらウチに来ない? ってそうか、もう彼に予約されちゃってるか! そっちの彼も、隅におけないね!」


「な、なんなのよ!」


 今度は伊能ちゃんの方に向かっていった。


 それにしても……。


「顔が近いんじゃないですか?」


「っと、すまないすまない! オレが色男すぎて取られると思ってしまったか! なに、心配いらないぞ! 彼女はキミしか目に入っていないみたいだからな! こんな美少女、あわよくばオレの大奥に入れようかとも考えたんだがな!」


 お、大奥? それってもしかして——


「将軍! こんな所で何をしておられるか!」


 奥の襖が勢いよく開かれ、松平信明さんが飛び込んできた。


「えっ、今将軍って言ったわよね……?」


「おや、知らなかったのかい?」


 いきなり立ち上がった男性は、さっきまでのはしゃぎっぷりで崩れた服をビシッと直し、格好つけた顔で俺たちに向き直る。


「オレこそが第11代江戸幕府将軍、徳川家斉だ!」


 堂々と宣言する青年、改め将軍。


「え、ええ……」


 こんなに将軍っぽくない人が将軍なのかと、驚くより呆れてしまった。


 横の伊能ちゃんも呆けてしまっている。驚きというより、信じられていない感じだ。


「おや、呆れているね!? よくそんな反応をされるよ! 城を抜け出して街を歩くのが趣味なんだけれどね! そこで意気揚々と明かしたところ、番屋に連れて行かれたこともあるんだ! その時は城のみんなに助けてもらったっけ! 今更だけどありがとう!」


「今は関係ない話だし、今更感謝されても嬉しくはないし、本当に喜ばせようと思うなら政に精を出していただきたいのですが!」


「イヤだ! なんせ、オレがいなくても国が回らなければ、それは完成した世界だと言えないからだ!」


「だとしても! せめて果たすべき責任は果たしてから! 遊びに行ってください!」


「オレが精を出すのは仕事じゃなくて女の子の中だけだ!」


「格好つけて言うんじゃない!」


 松平さんと将軍が言い合ってる……なんか、この辺りの元締めがこんなやり取りをしているなんて、見たくなかった気もする。


「はあ……将軍のことは置いておいて、だ。ここに来たということは、良い返事を聞けると思っていいんだね?」


 ため息一つで気持ちを切り替えた松平さんが、改めて本題を切り出す。


 空気が少し変わったのを察した伊能ちゃんは、さっきまでの呆れ顔を隠して真面目な顔つきになっている。


 そして、話す先がなくなった将軍は部屋の隅でごろんと横になっている。顔をこちらに向けることもせず、完全に興味を無くしてしまったようだ。


「ここへ来た理由は……もちろん、先の話を受けるためです」


 きちんと敬語になった伊能ちゃんが、前とは違い自分の言葉で話す。


 もしかして将軍は伊能ちゃんの緊張しがちな性格を知って、それをほぐすためにさっきみたいな道化を演じていたのか? だとしたら、やっぱり民のことを考える良い将軍なんじゃ——


「……ふあぁぁぁ」


 ……いや、あんな大あくびしてる人がそんなことまで考えられるとは思えない。気のせいだなきっと。


 伊能ちゃんの返事を聞いた松平さんは、破顔して満面の笑みになった。


「そうかそうか、受けてくれるか。であれば、早速出発してもらいたい……所ではあるんだが」


 ちらりと、俺の右肩を見る。


「その腕が治るまでは行けないか。まあ、城の技術屋連中が測量機の構造がどうこう煩かったからな。交換条件と言ってはなんだが、腕が治るまでの間は我々に測量機を預けておいてくれないだろうか」


「う……っ、まあ、仕方ないのよ。です」


 あ、残念そう。試運転とか楽しみにしてたのかな。


「なら、わたしたちからも1つお願いがあります」


 え、聞かされてないけど……まあ、黙って座っていよう。


「正式にわたしたちが付き合うのを見届けてくれるのと、全国を移動できるよう乗り物を用意していただきたいと思っています」


「……え?」


「ほう……」


 いやいや、聞かされてないとかじゃなかった。どういうこと?


「後者に関しては後で財務と詰めてくるとしよう。前者に関しては……つまり、私にどうして欲しいと?」


「わたしは、ここぞというときに勇気が出ない女です。なので、人に見届けられている環境で告白をして、逃げられないようにしようと考えました」


 それ、俺も逃げられないし見られながらってことだよね? いや逃げるつもりはさらさらないけど。それに、今から急に「やっぱなしで」とか言う気もないけど。


 ……あれ? なら問題ないのでは?


「ふむ……いやこちらから測量を頼む立場とはいえ、一庶民である2人にわざわざ幕府からの公認はおろせられない——」


「いやいや、面白そうだ! 将軍としての命で、彼女の頼みを全て聞き届けよう!」


「す、全て!? 後者に関しても、幕府の今後のことを考えると——」


「幕府の今後? 数年単位の話をするな! ここで運送の要となる大動脈をつくることで、これから生まれてくる先の世代が豊かになるのだ! 迷わず、庶民でも利用しやすい移動手段をつくるべきだろう!」


「いやしかし……うむむむ」


 頭を抱えている松平さん。


 まさか将軍がこんな時に助け舟を出してくれるとは。さっきはダメ将軍みたいに言ったけど、確かに将軍がこんな風に自由にしている方が平和の象徴にはなるのかもしれない。


「…………今回は将軍命令として両方を受け入れる。ほら、告白でもなんでもするがいい」


 全てを諦めた松平さん。大きくため息を吐きながら、俺たちに促しをかける。


 ……え、本当に公開で告白されるの? 微妙に恥ずかしくなってきたんだけど……。


 伊能ちゃんを見ると……顔を真っ赤にしながら、覚悟を決めた表情をしている。


「え、エイさん」


 伊能ちゃんが、緊張で固くなった声を出す。


「は、はい」


 それにつられて、俺の声も固くなってしまった。


「昨日言ってくれたことをもう一度、言ってもらえませんか?」


「きのう、いったこと……」


 流石にここですっとぼけるほど、俺は鈍くない。最後のあれを指しているんだろう。


 横から将軍の好奇の目線を浴びながら、唾を飲み込む。


「初めて見た時から、一目惚れで好きでした。俺と、付き合ってもらえないでしょうか」


 そして、一呼吸。


 伊能ちゃんの顔が、一周回って平静に戻った。


「はい。これから末長く、よろしくお願いします」


 真っ直ぐ目を見て、伊能ちゃんが伝えてくる。三つ指を突いたりしないのは、旅を共にする対等の証だろうか。


 ならばとそれに応えるため、俺も目を見つめ返す。


 手を出したりはしない。今はこれで十分だと思うから。


「いや〜、面白いものを見せてもらったね! これからは、こんなふうに対等な関係が普通になっていくんだろうか!」


 しばらくしてから声を出したのは、案の定というか将軍だった。


「……では、2人が付き合うのを見届けた。そして、それを認めることとしよう。……全く、婚姻の見届けならともかく、男女付き合いの見届けは後にも先にも無いだろうな」


 やれやれと、松平さんが言う。確かに、結婚を見届けてもらう方が老中首座っぽかったかもしれない。


「それでは、諸々が片付き次第2人には測量の旅に出てもらう。まあ、なんだ。ケンカなどして、早々に別れたりしないようにな」


「キミたちの恋は応援させてもらうよ! ……そうだ! これを選別に持っていくといいよ!」


 そう言って、将軍が俺に何かの包みを投げ渡してきた。厳重に包まれているけど、なにかの粉末だろうか?


「オットセイの陰茎を粉末にしたものだ! それを飲めば、たちまち連戦連勝! どんな体力自慢の女の子でも、へたらせられるくらいに硬くなれるぞ!」


「れ、れんせんっ……!」


 伊能ちゃんの顔が、みるみるうちに赤くなる。くるくる表情を変えて、文字通り百面相だな。


「そ、それじゃあ! わたしたちはこれで! 行くわよ、エイさん!」


 ギクシャクしながら、伊能ちゃんが部屋から出ていく。


 笑っている将軍と額に手を当てて困り顔の松平さんを尻目に、俺は伊能ちゃんの後を追う。


 もらったオットセイの陰茎は、静かに懐へ仕舞い込んだ。

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