第0−5−2話〈家に帰って【視点:伊能忠敬】〉
色々あった。
本当に、色々とあった。
「はぁ……どう返事したらいいのよ」
別れ際に言われた、付き合ってほしいという言葉。
……正直、わたしは今踊り出してしまいそうなほどに嬉しい。
今すぐにでも診療所に戻って、手を繋いで「わたしこそ、お願いします」と伝えたい。
「のに、わたしの性格が邪魔してくるのよ〜っ」
家への道を歩きながら、1人頭を抱える。
きっとわたしの性格なら、誰にも頼らないようにと思って断ってしまうだろう。あるいは、自分よりももっといい人がいるはずだと言ってしまうかもしれない。
それは、嫌だ。
「うぅぅぁああ」
嬉しい、嬉しい、嬉しい。
けれどそれに何と言ってしまうか。それだけが嫌だ。
「でも、一緒に旅だけして付き合ってないのも、おかしいわよね」
そんな口実で付き合うのに許可を——
「それは、嫌なのよ」
本心では付き合っていないように聞こえてしまう。これでは、彼にずっと寂しい思いをさせ続けてしまうかもしれない。
「うぅ……どうしたらいいのよ」
「おや珍しい、忠敬が悩み事かい?」
そう話しかけて来たのは、近所の家に住んでいる久保木清淵という女性だった。もっぱらわたしは久保木さんと呼んでいる。気のいいおばさまだ。
「ふむ、その顔は……男絡みだね?」
「な、なんでわかるのよ!?」
「はっはっは! ま、人生経験ってやつさ」
久保木さんは派手に笑う。わたしとは逆の性格だ。
「あんまり聞くのも野暮だし、おばさんの独り言として聞いてってよ」
そう言うと、久保木さんは遠くを見た。ただの遠くではない、記憶の遠いところを思い返しているようだ。
「やっぱり、思っていることはちゃんと伝えたほうがいいよ。心にも無いことを咄嗟に口走ったり、逆のことを言ってしまいそうになるかもしれない。それじゃ絶対にダメだ。……男ってのは単純でね、言われたことをそのまんま信じる。つまり、拒絶されたと思ってしまったら、ずっとそこから覆らないんだよ」
妙に実感のこもった声で、久保木さんは続ける。
「逆に、きちんと本心を伝えることができれば、それはそのまま正しく伝わる。そのためには、ほんの少しの勇気と、彼の事が大好きな気持ちさえあれば、それでいい」
……わたしは、その言葉が深く沁み入ってくるのを感じた。
「久保木さん……ありがとうございます」
「おや、敬語とはまた珍しい。明日はよく晴れるかもね」
「だと……いいですね」
話は終わったとばかりに、わたしに背を向けてひらひらと手を振る久保木さん。
…………明日は、ほんの少しだけ、勇気を出してみることにした。
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