第0−5話〈夕焼け、病室、2人のこれから〉

 目を覚ますと、見慣れない天井だった。


「こ、ここは……?」


「エイさん! 目を覚ましたのね。よかった……!」


 起きあがろうとした俺の肩を、誰かが掴む。


 その手の主は、伊能ちゃんだった。


「ここは、もしかして——」


 伊能ちゃんの家? と聞こうとして、違うことに気がついた。


 しっかりとした薬棚がある。一般の家には絶対に置いていないような量の薬が、所狭しと並んでいる。


「ええ、ここは救護所よ。気を失った後、ここに運び込まれたの」


 そうだったんだ……。だとしたら、ここまで運んでくれた人に感謝しないと。


「それにしても、本当に良かったわ……! だって、丸一日も眠ったままだったもの」


「ま、丸一日!?」


 外を見ると、綺麗な夕焼け空が広がっている。確かに、どんよりと曇りきっていたあの天気だったら、こんな景色は見られないだろう。


「あっ、目が覚めたんだったら伝えないと。よっ——いだだだだ!」


 手を付いて立ち上がろうとしたが、その瞬間に全身を激痛が走った。


「動いたらダメじゃないのよ! しばらくは絶対安静なのよ」


 医者の先生みたいに、伊能ちゃんが言う。


 身をもって絶対安静しなければならないことを感じ取った俺は、大人しく再び横になることにした。


「いたた……一回痛いって認識すると、ずっと全身が痛いや」


「もう……どうしてあんなに無理をしたのよ」


 伊能ちゃんがぽつりと言う。その声音は、本当に聞いてもいいのか、伺っている様に感じた。


「それは——伝えなきゃいけないことがあったからだよ」


「つっ! …………伝えたいこと、っていうのは……昨日言っていた『あれ』なのかしら?」


「昨日——」


 多分、気を失う直前に言ったんだろう。申し訳ないが、そのあたりの記憶がかなり曖昧になってしまっている。


 けど、これを言ったらまた不安にさせてしまうだろう。


「——うん、そうだよ」


 不安がらせないようにと答えた俺。しかし伊能ちゃんは、顔を真っ赤にして俺を見つめ返してきた。


 ……あ、視線外された。


「そ、そうなのね……。じゃああれは、その……そういうことだと思って、いいのよね」


 そういうこと……何を指して言っているのかわからないけど、俺はきっと「夢を叶えに行ってくれ、俺の思いも一緒に」的なことを言ったんだろう。


 多分、あっちは口走ってないはず。


「うん、その認識でいいと思うよ——」


「えぅ……そ、その……こ、こちらこそ、よろし——」


「——俺の夢も、一緒に持っていって欲しい。その認識であってる」


 伊能ちゃんが何かを言おうとしたが、それに言葉が被ってしまった。


 言葉を促そうと伊能ちゃんに合図をしようとして……顔を赤から急激に戻していく伊能ちゃんと目が合った。


「——はあぁぁ……そういうことなのね。で、その夢って何なのよ?」


 呆れたような残念がるような、そんな伊能ちゃんに聞かれ、俺は俺の夢についてを話し出した。


「俺は、全国の城を記録として残したいんだ。今行われている電気の普及で、近い将来ほとんどの城が住宅地になっていくと思う。その前に、後世へ今の城のことを伝えたいんだ」


 話していて気づいたが、俺はこの夢を他の人に語るのが初めてだ。いつも本を売っている書店のおばちゃんにすら話したことがない。


 それなのに、ほぼ初対面の伊能ちゃんにはすらすらと話せてしまう……なぜだろうか。


「それでも、この夢を叶えられる自信が、俺にはない。だから、全国を旅しようとしている伊能ちゃんに、託したいと思ったんだ。思い出した時だけでいいから、少しでも城のことを何かに残してもらえないだろうか?」


 語り終えた俺は、伊能ちゃんの目を見つめる。


 伊能ちゃんの目は左右に少し泳いで、一瞬俺を見た後、目を瞑ってため息が漏れた。


「——嫌なのよ」


 …………一蹴された。


 そんな可能性があるとはわかっていたけれど、やっぱりそうなった。


「そうだよね。初対面の相手から勝手に夢を託されても——」


「わたし1人でエイさんの夢も抱えるのは、嫌なのよ」


 訂正するように、強く言われる。


「だから……2人で、それぞれの夢を抱えたいのよ。半分ずつじゃなくて、合わせて1つの夢を、2人で」


「え……っと、それってつまり……」


「エイさんには、わたしの旅について来てもらいたいのよ。……その、それでもいいかしら?」


 最後に弱気になってしまうのが、伊能ちゃんらしいと思ってしまった。


「で、でも、俺と伊能ちゃんは初対面で、それなのにいきなり旅って……!」


「初対面じゃないわよ。だって、エイさんは体を張ってわたしを助けてくれたじゃない。そんな人のことを、他人だなんて思えないわよ」


 そして、声の大きさを少し落として、伊能ちゃんが独り言のように言う。


「あんな風に守ってもらえたら、好きにだってなるじゃないのよ……」


 ……実は俺は耳がいい方だと思っている。こんな風に、ほんの小さな声も聞き取れるくらいに。


 …………仕方ない。女の子にだけ恥ずかしい思いをさせるわけにはいかない。言わなかったであろう『あっち』……夢を託すだけじゃ飽き足らず、思ってしまったことを伝えよう。


「伊能ちゃん」


「うん? 急に真面目な声になって、一体何なのよ?」


「初めて見た時から、一目惚れで好きでした。俺と、付き合ってもらえないでしょうか」


 本気であることを示すために、敬語で言った。


 伊能ちゃんを探している4日の間、ずっと伊能ちゃんのことを考えていた。


 夕日にきらきら輝いている、美しい茶髪。愛らしい表情。暗く卑屈に見えて、本当は明るい感情。


 そして何より、眩しい夢を持っているところに、惹かれた。


 日が経てば経つほど、どんどん伊能ちゃんへの想いが強くなっていくのを感じていた。


「ふぇ……う、あ…………」


 何と答えたらいいのかわからなくなって、伊能ちゃんが止まってしまっている。


 そんな姿すら、可愛らしい。


「……その、返事は」


「えっと——」


 伊能ちゃんが返事をしようとした瞬間、この部屋の戸が勢いよく開けられた。


「はいはい、イチャつくのもいいけどもう暗くなるからね。この診療所にはここ以外泊まれる場所無いから、彼女ちゃんは帰った帰った」


 診療所の管理人と思しき、白衣姿の女性が言う。


「あう……え、あ……その、また明日! 明日、返事をするのよ……します」


 色々とあったせいでおかしくなっているのか、わざわざ言い直す。


 そしてそそくさと、この部屋から退出してしまった。


「……はあ、今日は眠れそうにないですよ」


「ま、明日も生きる楽しみができたと思ってよ」


 軽くこの女性を恨みながら、夕日が沈んでいくのを眺めていた。

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