第0−4話〈路地裏の戦い〉

 路地に走り込んだはいいものの、分かれ道が多く入り組んだここは土地勘のない俺にとっては迷宮と変わりなかった。


 大声を出して探すのは……相手がどんな人間かもわからないからダメか。そもそもこの辺りの家の住人も巻き込んでの一味だったりするかも……無策で走ってきちゃったな。


 それでも後悔はない。前回の時は色々と勘違いの起こった幸運だったけど、毎回そうとは限らない。それに、一瞬だけ見えた犯人の人相は相当悪く見えた。役人だったとしたら明らかに人を怯えさせ過ぎてしまう。


「あれこれ考えても仕方ない。とにかく、怪しいところを片っ端から探すしかないか」


 気持ちを切り替えた俺は、家で日光が遮られて薄暗い路地を走る。


 話し声が聞こえる方向や足音が聞こえる方向、逆に何も聞こえてこない不自然な所を次々に見て回る。


 そして、


「オラッ、助けなんて来ないんだよ。いい加減に大人しくしやがれ!」


「ん〜! んぐ〜っ!」


 オラついている男の声と、くぐもっている伊能ちゃんの声が、とある路地から聞こえてきた。


「へっ、上玉じゃねえか。こんな掘り出し物が街をほっつき歩いてるとはな……」


「んぐ! んむむぐむぐ!」


「どうする気かって? 人攫いなんだから当然、それなりの筋に売り飛ばすに決まってるだろ」


「ん!? んむ〜! んぐぐ——」


「おっと、騒ぐなよ。腰のコイツが見えないのか?」


「むぐっ! ん……ぐ……」


「へへっ、偉いぞ。あんまりコイツを汚したくないからな」


 さっきまで威勢の良かった伊能ちゃんが、ついに黙ってしまった。


 そして、伊能ちゃんが泣いている声が聞こえる。


「んっ……んぅ、ん……」


「おうおう、できる後悔は今のうちにしておけよ。どうせこれからは、そんな暇も無いくらいボロボロにされるんだろうからな」


 ……さっきからこうして話を聞いている俺だが、話を聞いているだけなのには理由がある。


 人相が悪かった男は、明らかに身なりのいい服を着ている。その上で帯刀しているとなると、きちんとした武士の可能性が高いだろう。


 人攫いをしているから真っ当とは言い難いだろうけど、それでもかなりの家柄であることは間違い無いだろう。


 となれば、腰にある刀の腕もそれなりにしっかりしているはずだ。


 流石にそんな相手と真っ向から立ち向かうのは……怖い。


 けど、今度は自分から伊能ちゃんに向かって行かなくちゃ。


 そうして俺は、自分の意思で、行くなと止める理性に逆らった。


「そこのお前! 彼女に何やってる!」


 心が鈍らないように勢いよく飛び出すと、伊能ちゃんを悪漢と挟む様な立ち位置で対峙した。


「ん……んい!? ん〜あんぇおこが……!」


「もうじき岡っ引きの連中がここにやってくる! 大人しく投降しろ!」


「チイッ、もうバレやがったか。……だが、丸腰じゃねえかお前。そんなんで何ができるってんだ、アァ!?」


 今の俺は完全にただの町人。武器の一つも持っていやしない。そもそも何かを持っていたとしても、まともに扱ったことのない俺には戦う土俵にすら上がれないだろう。


 だから、ここは嘘と虚栄で乗り切るしかない。


「柔道を習っていてね。むしろ派手な獲物は邪魔になるんだ」


「ハッ、にしては構えが素人臭いじゃねえか。どうせハッタリなんだろ?」


「能ある鷹は爪を隠す、って言うだろ? 一般人に紛れられる様に練習しているんだよ」


 悪漢の目が変わった。ザコを見る目から、敵を見る目に。


「そんだけ言うってことは……覚悟は決まってんだろうな」


「覚悟は、4日前に済ませてきた」


「何を言ってるのかわからねえが……ならいい」


 悪漢は刀に左手を添える。


「俺はコイツ一本で数多の強敵を打ち倒してきた。これだけでのし上がってきたと言っても過言じゃねえ。…………これを聞いても、まだ戦う意思はあるのか?」


「——ある」


「……そうかよ。仕方ねえ」


 悪漢は、居合切りの体勢になった。腰を低くし、刀を前に振り抜く構え。俺を一刀両断する気を、ひしひしと感じる。


 ここまで来たら、後戻りはできない。なんとか刀に食らい付いて、致命傷を避けながらその動きを止める。そうしている間に、伊能ちゃんには逃げてもらう。


 視界の奥にいる伊能ちゃんへ意識を向けると、ひどく怯えている。


 当然だろう。目の前で流血騒ぎ、一歩間違えば人殺しが起こってしまうんだから。


「ならこれを——」


 来る。


「——受けてみやがれ!」


 ドン! と一歩を踏み込まれる。


 次の瞬間。瞬きよりも早い一瞬で、俺の視界に刀が迫る。


 右下からの打ち上げ。逆袈裟斬りと呼ばれるものだろう。


 避けられない。


 咄嗟に判断した俺は、ゆっくりに見える世界の中で右腕を上げた。


 バッッチィィィ!!!


 激しく物同士を打ち合わせる音が鳴った。絶対に金属からは鳴らない音だ。


「クソ。虚勢だけじゃなくて肝っ玉も一丁前かよ、オメエ」


 苦虫を噛み潰したような顔で言う悪漢。


 その手に握られている刀は、竹光だった。


 質に入れるなどして刀を失った武士が、見た目だけでも威厳を保つために使われる物。根元以外は竹で出来ている、模造刀だ。


「これだから脅しで逃したかったんだよ。……ま、見られたからには口も開けないほど痛めつけてやるがな」


 ……確かに、実力差は歴然だ。このままやり合っていても、万に一つも俺が勝てる道理はないだろう。


 伊能ちゃんは……まだ逃げていない。ここは耐えて、少しでも時間を稼がないと。


「二発目行くぞォ!」


 バッッチ!


 今度は左脇腹に命中した。体が横に折れ曲がるのを感じる。


「ぐぉえっ」


 肺から空気が押し出される音がする。


「まだまだ、三発目ェ!」


 ズバッチィィ!


 右肩に痛みがある。打ち下ろしが当たったんだろう。


「オラオラオラ!」


 四発目、五発目、六発目……。


 最早、全身の感覚が薄れてくるほど攻撃を喰らった。


 今は、気合だけで立っている。


「いい加減……倒れやがれ!」


 焦った悪漢が、大振りに頭めがけて竹光を振るう。 


 その刀の軌道をしっかりと見ていた俺は、おもむろに両腕を伸ばした。


 そして中空に伸ばした腕と待ち構える胴体を利用して、竹光の動きを完全に封じた。


「なっ……! クソ、離しやがれ!」


 グイグイと竹光を引かれる。


 それでも食らい付いた俺は、死んでも離さない思いで刀を抱え続ける。


 もう、喋る元気もない。周りを見る目も、白く霞んで状況が理解できない。


 伊能ちゃんは逃げたんだろうか。無事に遠くへ離れられているといいな。


 遠くで千々になりそうな意識をなんとか繋ぎ止め、必死に両腕へ力を込める。


 そんな状態で、体感一刻が過ぎた頃。


「ここだ!」「出逢え出逢え!」


 そんな声が聞こえてきた。


「なっ、本物の岡っ引き!? チクショウ、離せってんだよ!」


 強く足を蹴られる。


 倒れてしまいそうな体を無理やり真っ直ぐに伸ばし、その攻撃にも耐える。


「捕らえろ!」「大人しくしろ!」「抵抗しても無駄だ!」


 なんだかんだと声がする。しかし、俺の脳はこれを理解するだけの元気も残っていない。


 今はただ、死に物狂いで竹光を抑え込むだけだ。


「え、エイさん!」


 耳に、伊能ちゃんの声が聞こえた。


 ハッとして周りを見ると、俺が対峙していた男は捕まっていた。男数人に取り押さえられて、簡単には動けないような状態だ。


「い、伊能、ちゃん。無事で……よかった」


 今にも吹き飛びそうな意識を引き戻しながら、伊能ちゃんに伝えなければならないことを言う。



「伊能ちゃん……君の夢は、叶うよ。その夢は、諦めたら、いけない。きっと……みんなのために、なる。だから…………全国測量へ行こう。俺と、2人で」



「えっ……! そ、それって——」


 伝えたいことを伝えた安堵からか、急激に世界が遠のく。


「エイさん——エ、さん。エイさ——!」


 伊能ちゃんが俺を呼ぶ声を聞きながら、俺は意識を手放した。

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