第7話 モブの意地
「黑鳴を?」
『おん?』
神妙な顔をしながらそっと指を差したリーナからの申し出に、俺は右手に持つ黑鳴へ視線を落とす。言語を話したり認識阻害という不思議な力を使える刀だと思っていたが、彼女は何かを知っているのだろうか。
そうして彼女は事情を話し始めた。
「実はそのカタナ、とある
「へぇ、そうだったのか」
「私が見つけたのはまったくの偶然でした。その後無事回収して機関に鑑定を依頼しようとしたのですが……そこで思わぬ邪魔が入りまして。敵との交戦の最中、いつの間にか消えていたのです」
『うーむ、さっぱり覚えとらんのぉ』
「……あぁ、だから教室で見つけたって言ってたのか」
「スィー。私は一度見た気配を辿ることが出来るので、そう遠くへは行ってないと踏んでいましたが……まさか転校先の生徒に拾われていたのは予想外でした。ある意味、僥倖とも言えるでしょう」
リーナはそう言い括ると、俺を真っ直ぐに見つめてきた。
「大体の経緯はそのような感じですね。———さて、本筋に戻りましょう。そのカタナは私が見てきた数ある武器の中でも強大な力を秘めています。異能者ならまだしも貴方のようなただの力を持たない一般人が手にして良い代物ではありません。どうか、このまま私に譲って頂けないでしょうか?」
「……もしアンタに渡したら、こいつはどうなる?」
「そうですね、これだけ強力な気配を放つカタナです。異能に関する専門機関へと送り届け、力を引き出せる使い手が現れるまで研究且つ厳重に管理されるかと」
「…………そうか」
俺はそう返事を返して黑鳴に視線を落とすと、まるで否定するかのようにその刀身をカタカタと揺らした。
『い、嫌じゃ嫌じゃ! なぁ優一、妾を見捨てんよな!?』
縋りつくような声で俺に話し掛けてくる黑鳴だが、そもそも俺と黑鳴は知り合ってまだ日が浅い。というか昨日の今日である。
祠に祀られていたというリーナの話が本当ならば、きっと黑鳴は相当曰く付きのある刀なのだろう。でなければ言葉を喋ったり不思議な力を使ったり、ましてやいきなり瞬間移動したりはしない。
恐らく、俺にとってのターニングポイントはここだ。
変に愛着が湧く前にリーナの言葉に従うか、それとも……。
記憶がない黑鳴を想うのなら、今この場でリーナに託した方が良いのだろう。これまで通りの平穏な日常といきなり目の前に現れた黑鳴という非日常。二つを天秤にかけるとやや前者に傾くが、ふと俺は昨日訊いた黑鳴の言葉を思い出していた。
『もう一人ぼっちは嫌なのじゃ……』
昨日黑鳴を見捨てようとした間際にぽつりと洩らした、本音と思わしき発言。黑鳴の正体やその出自は不明だが、あのとき俺は一度でも放っておけないと考えてしまった。
その出来事を思い出してしまった以上、はいそうですかとリーナに渡す訳にはいかない。相手が不思議な力を扱う異能者だとしても、モブにもモブなりの
俺は真っ直ぐにリーナを見据えると、言葉を紡ぐ。
「なぁ転校生、アンタさっき俺にコイツを譲って貰えるか訊いたな?」
「はい」
「———すまん。悪いが、そいつは出来ない相談だ」
『…………っ』
「……一応、理由を聞いてもよろしいですか?」
抑揚のない声音でそう問い掛けてくるリーナだったが、心なしか言葉の端々に冷たさがあるのは気の所為だろうか。
なんとか平常心を保ちつつ、俺はそのまま言葉を続ける。
「きっと、俺はアンタの言う通りに従うべきなんだろうな。全部アンタが正しいよ。何せ俺は昨日たまたまコイツを拾っただけの無関係な一般人。当事者が目の前に現れたのなら、素直に明け渡すのが普通なんだろう」
「ならば」
「だけど、コイツは———黑鳴は俺が拾ったんだ。強大な力も気配も関係ねぇ。記憶がなくったって一度でも放っておけないと考えた以上、ここでアンタに渡せば俺は一生後悔する」
「………………」
「それに独りぼっちは嫌、らしいからな。こんな俺でも側に居てやるさ」
『優一……っ!』
内心は緊張しまくりだったが、なんとか余裕のフリをした笑みを浮かべてリーナを見つめる。この視線は決して外さない。
俺は学校でも
そんな特に秀でた部分もない俺だが———男として、譲れない意地がある!!
「そう、ですか……つまりどうしてもこちらに渡す気はないと、そういうことですね」
「あ、あぁ……」
「そのカタナは周囲に、そして貴方自身にもどのような影響が及ぶかわかりません。私なりに常盤さんの身を案じて『お願い』という形をとっていたのですが……仕方がありませんね」
そうして俺から視線を外したリーナは困ったようにその綺麗な唇からそっと息を吐く。その様子はまるで絵画のような深層の令嬢の如く気品のある美しさに思えた。
が次の瞬間、リーナの纏う雰囲気が一変する。
スッと瞳を細めた彼女の視線が容赦なく俺に突き刺さった。
「先に謝っておきます。———ごめんなさい。貴方を少々痛めつけてでも、そのカタナは回収させて頂きます」
「っ…………!!」
そうしてリーナは冷徹な目をしながら自然な動作で左手を横に振ると、彼女の周囲にゴルフボールサイズの氷の球をいくつも出現させる。これが彼女の、『氷装の魔女』の異能。さしずめ氷を操る能力と解釈しても良いのだろう。
現在は氷の塊を複数空中に浮かべているが、最初の攻撃がおそらくこれだ。もし当たったらひとたまりも無いので、先程の攻撃の際は相当手加減していたに違いない。
いやまぁ、少しでもずれていたら俺は死んでいたのだが。
尋常ではない気迫に俺は思わず身をぶるりと振るわせる。今すぐにこの場から逃げろ、と身体中から本能が叫んでいた。
「
「ッ!!」
「これが最終通告です。常盤さん、大人しく素直にカタナを渡してください」
『ゆ、優一……っ。お主が傷つくくらいなら、妾は……っ!』
「いいからお前は黙ってろ……っ!」
俺の身を案じる黑鳴が声を震わせるが、俺はそれを一蹴。その先の言葉を、コイツの口から言わせるつもりは毛頭なかった。
ふと、ズキリとした痛みが俺の頭を襲う。
(痛いってぇ……!! なんだこれ…………っ!!??)
すると目元をぴくりとさせるリーナ。黑鳴に返事を返したつもりだったのだが、どうやら自分に言ったと勘違いしたようだ。呆れと憐憫を含んだ眼差しでこちらを見つめ返すと、このように言葉を紡いだ。
「はぁ、ここまで貴方が愚かだとは思いませんでした」
「…………っ」
「骨の一、二本は覚悟して下さいね。大丈夫です、死なないように加減はしますか———ッ!?」
「な、なんだ……ッ!!?」
リーナが氷の塊を射出する準備をし、俺の持てる最大限の脚力でこの場から脱兎しようとした瞬間、突如空気が揺れる。ズズズッ、と空間が歪むかのような鈍い不快な音。
———頭が、痛い。
「こんな時に
「ど、どこかってどこだよ……っ!? ってかなんだよコレ!?」
『な、なんじゃこれ……っ! 生き物……?』
「普通の一般人には手に負えないモノ、ですよ……っ! ッ、くる!」
「うお……っ!!」
すると、夕暮れに広がっていた空の一部がピキピキッ、と音を立てながらじわじわと侵食していくように漆黒に塗り潰される。いいようも知れない不気味さに寒気を覚える俺だったが、その範囲は小さいとはいえ、パッと見ただけでも底知れぬ深淵……闇を感じる。
そして次の瞬間、ソレは墨汁を垂らしたように俺たちの前に現れた。
『ガルルルルルルルッッ!!!!』
「手遅れですか……っ!!」
「なんだよ……なんなんだよ、あの虎みてぇな生き物は!!??」
俺の身体よりはるかに質量がありそうな巨体。動物の四足歩行でしなやかな身体をしたソレはまるで黒く塗りつぶした影のようで。頭であろう部分には鋭い目があり、俺たちを見据えながらも燃えるような灼熱の紅い眼光を放っている。
———突如嵐のような脅威が、今まさに俺たちに襲い掛からんとしていた。
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