第3話 転校生リーナ・アンデルセン



 そうして黑鳴を携えた俺は高校の玄関に到着するとロッカーで内履きに履き替える。『おぉー、人間がいっぱいじゃ!』と頭の中で可愛らしい声が響くが、登校してきた生徒がたくさんいる以上無闇に声を出してしまうと変人と思われてしまうかもしれない。


 『あれはなんじゃ!?』と何度も疑問の声を上げる黑鳴をスルーしつつ、俺は足取り遅く教室へと歩き出したのだった。



(……しっかし、本当に他人からは見えないんだな)



 俺は周囲へと視線を巡らせつつ腰に下げた黑鳴へちらりと目を向ける。こんな長い刀を持っていれば目立たない筈がないのだが、どうやら彼女の言う言葉は本当らしい。


 もし他者から見えない状態で周囲の人間に刀が当たってしまったらどうなるのかとも考えていたのだが、黑鳴にぶつかる寸前に向こうから避けてくれるようだ。認識阻害、非常に便利な力である。



「……はぁ、憂鬱だ」

『む、どうしたのじゃ優一? そんな浮かない顔をして』

「べっつに」



 周囲から怪しまれないようにそう小声で呟くと、そのまま歩き続ける。そうして階段を上がると、教室の前に立ったのだった。


 はぁ、と溜息を一つ吐くと意を決して扉を開ける。まだホームルームまで十五分ほどの猶予はあるが、既にちらほらとクラスメイトが席について黙々と読書をしたり友人同士言葉を交わしていた。


 俺の席は窓際の後ろから二番目にある。気にせず真っ直ぐ席に行き先生が来るまでゆったりスマホでネットニュースでも眺めていようと考えていたが、俺の視線がとある人物を捉える。


 、といつもの出来事に辟易としつつ俺は溜息をつきながら自分の席へと向かった。



「おはよう煌吏きらり。そして邪魔だどけ」

「邪魔だなんて酷い言い草だなぁ。おはよう優一」



 俺の椅子に座りながらにこやかな笑みを浮かべてこちらへひらひらと手を振る少女の名は紫ノ本しのもと煌吏きらり。なにかと俺に構ってくる親交のあるクラスメイトの一人だ。


 艶やかでさらさらとしたショートボブの金髪に、人懐っこそうな表情を浮かべている端正な顔立ち。紺色のブレザーの制服から覗く乳白色の手足はすらりとしており、思わず視線が吸い込まれそうになる程の魅力を放っている。


 彼女の性格は明るくて優しい、俺を揶揄ってくる事を除けば申し分ない性格をしている。誰とでもすぐに打ち解けられるところを見るに、観察眼とコミュニケーション能力がとても優れていることがわかる。


 因みに俺のくりくりとした可愛らしい瞳を死んだ魚のような目と表現したのも彼女である。


 それはともかく、このままではホームルームが始まるまで他のクラスメイトの椅子を借りてくるか立ちっぱなしになってしまう。さっさと自分の席に戻れ、とジトっとした視線を向けると、口角を上げて目を細めた煌吏はこのように言い放った。



「今日もキミの椅子を美少女である僕がお尻で温めておいてあげたんだよ? むしろ咽び泣いて感謝してほしいなぁ」

「余計なお世話だ。ほれ、さっさと戻れ」

「きゃん♡」



 煌吏の肩に触れながらやや強引に立ち上がらせると、彼女はヘンな声をあげながら素直に前の席に戻っていく。不機嫌な表情を見せていない辺り、どうやら本気で嫌がってはいないようである。


 すると、カタカタと揺れた黑鳴は俺の頭の中に呼び掛ける。



『優一、こやつは何故嬉しそうな顔をしてるのじゃ?』

「知らね」

『むぅ……人間は不思議じゃのう』



 バレないように返事した俺は黑鳴を机の横に置きながら今まで煌吏が座っていた椅子に腰掛けた。いつもはひんやりとしている椅子も今ばかりは彼女の体温で生暖かい。


 軽く溜息を吐きながらバッグから教科書や筆記用具を机の中に放り込んでいると、目の前でにこにこと笑みを浮かべた煌吏が口を開いた。



「それにしても優一、キミ大人しそうな顔をして案外やるじゃないか」

「なんの話だ?」

「昨日の放課後、学校の裏庭で榊原ちゃんに告白されたんだろう? キミはそれを容赦なく断ったって噂で持ちきりだぜ?」

「えぇ、マジ……?」

「マジもマジ、大マジさ。彼女は『黒曜姫』と呼ばれているクラスメイトだ。数多くの美男子が告白して玉砕してきたというのに、榊原ちゃんはキミに告白してきた。よりにもよって冴えない顔をしているキミに、だ。しかしあろうことかなんとキミはその告白を断った。多くの生徒から好かれている彼女の告白を、ね?」

「うっ……」

「冴えないモブが清楚系美少女の告白を断る。まるで勇者だ。こんな愉快な話はないよ」



 新しい玩具を見つけたかのようにけらけらと笑う煌吏だったが、事実彼女の言葉に嘘はない。確かに、俺は昨日『黒曜姫』と呼ばれるクラスメイト、榊原さかきばら撫子なでしこから学校の裏庭に呼び出された。

 こんな至って普通の冴えない男子高校生でも立派な男だ。大して碌に話したことがないとしても、下駄箱に入った丁寧な文字で描かれたラブレターを見て期待しない男子はいない。



(でもなぁ。危うく騙されるところだったが、あれ実は嘘告だったんだよなぁ)



 実際に裏庭へ行くと榊原はいた。そうして彼女と向き合う訳なのだが、その告白の途中で後ろでこちらをニヤニヤと見ていた女子がいたのだ。そして俺は気付いた。あ、これは巷で流行りの嘘告というやつだと。なので俺は丁寧にその告白を断ったのだ。


 ……そういえば榊原に断っている時に何か言いかけていたが、あれは一体なんなのだろうか。確かに真面目そうな彼女が俺の純情な心を弄ぶだなんて少しショックだったが、別に吹聴する気なんてさらさらない。



(多分、裏庭で誰かに見られてたんだろうな。……にしても、だ)



 いくら榊原が美少女だとしても噂が広まるのが些か早すぎやしないだろうか。


 しばらく無言でいると、煌吏はきっと俺の考えていることを察したのだろう。フッと表情を緩めると、次のように言葉を紡いだ。



「人気者の彼女のことだ、昨日の今日で噂が広まるのは当然の結果じゃないかな。でもま、そう落ち込むなよ。何があったのかは知らないけれど、僕はキミの味方だぜ?」

「あぶねぇ、真剣な眼差しで言われてたら危うく惚れるところだった」

「よーーくモブ顔を洗って出直しな?」

「急に辛辣ぅ……」



 さらりと毒を吐いた煌吏きらりにげんなりしつつ肩を落としていると、扉を開ける音が聞こえた。ふと顔をそちらへと向けると、話題の美少女がそこにいた。



「——————」



 立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花。背筋をピンとさせた綺麗な立ち姿に端正な顔立ち、黒曜石の如く綺麗な輝きを放つ長い黒髪を一房に纏めた『和』が似合う清楚系美少女、榊原さかきばら撫子なでしこはゆっくりと教室に入る。


 心なしか若干顔が強張っているように見えるのは気のせいだろうか。そうして暫く誰かを探すようにきょろきょろと教室を見渡すと、瞳をぱちぱちとさせながら首を傾げる。やがて沈んだ表情を浮かべながら前から二番目にある自分の机へと向かった。

 榊原が椅子に座ると、その途端彼女にクラスメイトが群がる。



「………………」



 その一連の流れを見た俺は顔を背けながらおそるおそる小声で黑鳴に話し掛けた。



「………………なぁ、黑鳴」

『んぅ? なんじゃ優一?』

「お前やったな」

『なんの話じゃ!?』



 この驚きようから察するに、黑鳴自身も能力の全てを把握しきってはいないのだろう。てっきり認識阻害は黑鳴だけ効力があると思っていたのだが、どうやら所有者である俺も含まれているらしい。


 何せつい昨日の出来事だ。嘘告だと看破して告白を断った俺でさえ気まずいのに、告白してきた生真面目な榊原が気まずくない筈がない。それらの感情や表情が一切窺えず、俺の存在を認識していない素振りを見せていたということは、つまりそういうことなのだろう。


 噂の渦中にいる俺が登校してきたというのに、道理でみんな無反応な訳である。それとも俺が自意識過剰なだけだろうか。



「……優一、一人で何ぶつぶつ言ってるんだい?」

「なぁ煌吏、お前俺のこと大好きだったりするか?」

「ちょっとでも心配した僕が馬鹿だったよ」



 心配そうな表情から一転、口元をへの字に曲げながら呆れた表情を浮かべる煌吏。別に下心なく純真な気持ちでそう訊ねたのだが、どうやら茶化されたと思ったらしい。


 何故煌吏には俺の姿が認識出来るのかは謎だったが、彼女とは高校入学時からの付き合いである。きっと親しい相手には認識阻害の効果は薄いのだろう。


 そのように結論付けてなんとか調子を取り戻した煌吏と談笑していると、担任の先生が教室に入ってきた。



「ほら、静かにしろー。これから朝のホームルームを始める……が、突然だが転校生を紹介する。はい、どうぞー」

「——————」



 突然気だるげにそう言い放った担任に促されて教室に足を踏み入れたのは一人の美少女。ざわつくクラスメイトをよそにコツコツと靴の音を鳴らしながら教壇に上がると、教室をぐるりと見渡した。


 そうして長い銀髪を靡かせた彼女は淡々且つ流暢に言葉を紡いだ。



「初めまして。つい先日まで向こうの学校にいましたが今日からこの高校でお世話になります、リーナ・アンデルセンです。出身地はイタリア。どうぞよろしくお願いします」

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