間話 極寒の炎


清々しい日になりました。


何故ならば我が主にして、最愛の君、そして、至高の御方であり、今世の奸雄たる若君がご帰還なされたのですから。


卑劣なる者どもの策略により、矮小なる者どもを護るため、愚物どもの戦場に赴かれた若様。

決死の戦場から生還されたと聞いた時は、思わず神に感謝を述べていました。


最も、生還なされたのは、神なんぞの力ではなく、若様の徳と御力によるものなのですが。


しかし、誠に残念ながら、若様は片腕と記憶を無くされました。

我らが償い切れるものではありません。


ですが、勿論ですが、その魅力が損なわれる事はありません。

ありませんが、若様の御身に傷を与えた者には万死を持って報復とせねばなりません。


「ちょ、ちょっと待って」


滔々と話すマリー。

そこに同じメイド服に身を包んだメリー・ジュンが口を挟んだ。


「若君が負傷されたのは聞き及んでいるけど、記憶が無いって…」


赤髪の才媛はそう言うと、卓についている面々を見渡している。

周りの面々も知らなかったらしく、珍しく動揺の色をみせていた。


メリーにならって、マリーも卓を見渡してみる。


卓についているのは、


痩身の優男・エンデバー。

隻腕の騎士・フィリップ。

小柄な老骨・アレスター。

赤髪の才媛・メリー。


今現在、当家を仕切る四人。


これに近衛たる自分を含めた五人が、若君の忠実なる剣であり盾。


その剣の最後の仕事が、若君の命を消すことで終わりそうになったなんてー。


なんて残酷で、それでいて最後の瞬間を賜らせようとするなんて、なんという御慈悲。


ーまさに、これこそ、愛!


「ちょっと、マリー?ねぇってば」


何処か別の世界に行こうとしていた意識を、赤髪の言葉で引き戻された。


幾分かマリーは気分を害したが、この才媛にしてみればそれどころではない。


「若君が記憶を無くされたって…大丈夫なの?」

「私の夜伽を拒絶される程に重傷です」


憮然と答えると、メリーは苦笑いを浮かべた。


「それはいつもの事じゃない…。私たちの事は覚えているの?」


一瞬だけ考え、マリーは首を横に振る。

それを見てメリーは肩を落とした。


「…参ったわね。若様が前線に赴かれた時よりも困ったわ」


そう、この才媛を筆頭に、我らは全員が反対に周った。

しかし、若君の意志は固く、止められかったのだ。

一生の不覚とはこの事。


あの際、若君は最後の指令を私に下され、そして、策は講じてあるとも仰られていた。

まさかとは思うが、結果を見る限りその策は…破られたのだろう…。


否、その策があったからこそ死地から生還なされたのだ!


恍惚としているマリーを他所に、老骨・アレスターは人懐っこい笑みを浮かべて口を開く。


「ご存命でさえあれば如何様にもなろう。我らは当家に忠義を誓うものにあらず。お館様に忠誠を誓う者」


然り、とフィリップも続く。


「しかし、お連れになられた近衛も全滅し、マリーの連れた別働隊も壊滅とは…」


厳密に言えば、残っていた近衞と別働隊に関しては、若様を御守り出来なかった責の為に命を絶ったのですが、結果に差はありませんので口を挟む事もないでしょう。


大仰に頷くマリーに、よからぬことを感じ、メリーは目を細めた。


「…あんた、何か隠してない…?まさかとは思うけど…」


赤髪の言葉に微笑みを返し、沈黙を保つ優男に顔を向ける。


「エンデバー、貴方の方こそ手抜かりはなくて?」


怯えた目を、エンデバーはマリーに向けた。


「せ、政府の方には、グレゴリー家の恭順は伝えているよ。内紛という形にしてるけど、それでよかったのだろう?」


良いも何も、若様の御支持に疑問を持つこと自体が不敬。いつもなら叱責の一つでも物理的に与えるところですけども、今回は免除しましょう。


にこりと微笑みかけると、エンデバーは声にならない悲鳴を上げたようだった。


「しかし、我らが内紛か…片腹痛いのう」


嗤う骸骨に続いて、猛る赤髪も口角をあげる。


「本当に。でも、若君は大丈夫なのかしら…御記憶はもう戻らないのでしょう?」


残念ながら、そうなのだ。

失った腕と同じように、御記憶が戻る事は無いと仰られていた。


「そう仰られていたけど、万に一つと言うこともあるわ。それに御記憶が無かろうとも、若君は若君。我らの至高の君」


また遠い世界に行こうとするのをメリーが止める。


「それで、プラン通りにいいのね?私達は若様にお会いしていないのですから、そこのところをしっかりと言いなさい」


そうだ。この面々は哀れにも未だ拝謁の栄誉を賜っていないのだ。

そうならば若君の今の御姿を伝えるくらいはしてやろうと思える。


「若君は予定通り、屋敷を後にされたわ。すぐに後を追いたいところなのだけどね…」


計画では、暫くは単独行動。

街で合流の手筈になっている。


ふむ、と隻腕の騎士・フィリップは唸り声を上げた。


「深手を負われておられるのであろう?お一人でご無事であろうか…」


思考の外に追いやっていた恐怖感がぶり返し、思わず声を上げそうになった。

お怪我の事を思うと、今すぐに駆けつけたくなってしまう。

ふと、視線の片隅に、片手で顔を覆うメリーが見えた。


「余計な事を…この娘が暴走したらどうするんです。我らには任された大任があるでしょう?」


笑い、老骨・アレスターは立ち上がった。


「然り然り。我らが案ずる事自体、不敬じゃわい。それではの、皆の衆。武運を祈る」


しっかりとした足取りでアレスターが扉の向こうに消えると、今度は隻腕騎士・フィリップが立ち上がる。


「老師の言、誠に感じ入った。我不明を恥いるばかりよ。ではな、果てにて会おう」


音もなく騎士は消え、残りは外交官と従者が二名。


「まあ、思うところはあるのだけれど、仕方がないわね。最善を尽くすわ」


皆と同じように立ち去ろうとし、ふとメリーは立ち止まり、振り返った。


「そうそう、エンデバー。内緒話なら誰にも聞かれないところで、口の固い相手とするのが基本よ。お友達は、残念ながらあなたの事を大して評価もしていなかったようだし、その方自体も紙屑のような男だったわ。本当に残念だわ」


言葉と共に、エンデバーの四肢が氷に覆われた。

皮膚を刺す痛みにこえを上げようとしたが、その頭をマリーが掴み、卓に叩き付けた。


「本来なら尋問の一つでもしてあげるのだけど、もういいわ。その子のお願いでもあるし。妹の願いを聞いてあげるのも姉の勤めだしね」


冷笑を浮かべ、メリーは部屋を後にした。

残されたのは苦悶の表情を浮かべるエンデバーと、表情の消えたマリー。


人形のような目で見下しながら、女は言葉を紡ぎ始めた。


「お前が、他家と共謀し、援軍を送らなかった事の調べはついている」


感情の一切乗っていない声色にエンデバーは震えたが、辛うじて口を開いた。


「な、何かの間違いだ…私は…裏切ってなど」


とたん、腕が落ちた。

凍りついていた腕が、枯れ枝のように折られ、落ちた。

吹き出すはずの血飛沫も、瞬間的に凍りつき、傷は氷によって止血されている。


その落ちた腕を拾い、振り上げ、マリーは思い切り男の背を打った。


息がつまる。


女を見上げると、女はやはり無表情にこちらを見ていた。


「間違い?間違いといったの?」


また女は腕を振り上げたが、そこで先ほどの一撃で手に持つモノが半壊している事に気がつき、無造作にもう片方の凍りついた腕をもいだ。


もはや悲鳴も無かった。

目の前の光景に理解が及ばなかった。


「貴様の企みなんて、若君にはとうの昔にわかっていらしたのよ。愚鈍な我らとは違ってね。ああ、許しがたい。おのお方を策略に嵌めるだなんて。ああ、妬ましい、あのお方の腕を奪うだなんて」


女の声と共に、チリチリと周囲に火の手が上がり始めていた。


「私はお前を殺してあげない。泣いて喚いて勝手に死んでいけ」


女が立ち去り、ようやく思考が戻ってきた。


そこで気がついた。


マリーのつけた炎に勢いがない事に。

そして、メリーによって凍らされた部位が段々と溶け出した事に。


次第に、激痛が体を襲ってくる。

血が吹き出す。また固まる。

溶けて、痛くて、固まって…


この氷が完全に溶ける事はない。

これは、あの女がこちらに向ける視線の温度と同じなのだから。

溢れ出し始めた血液で炎を消すことは出来ない。

あれは、あの女の怨嗟の炎なのだから。


一思いに死ぬことは許されない。


それが、あの女達からの『贈り物』なのだから。


そうして、男は朽ち果てた。

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