第4話 神のみぞ知る 人のみぞ見る
目を覚ますと、見知らぬ場所に居た。
随分と妙な気分だ。
フワフワと浮かぶようであり、それでいて脳の奥がしびれる。
矛盾しているが、微睡みながら強制的に覚醒を促されているような。
実に奇妙な気分であり、有り体に言えば、とんでもなく不快だ。
纏まらぬ思考の不快さに悶えながら周囲を見渡せば、行き交う人々が見て取れた。
どうやら待合室…それも病院の待合室のようだ。
そう思い至ると、消毒液の匂いもするような気がしてきた。
ぼんやりと、周囲の白衣達を見ていると、呼ばれたようだった。
診察室へどうぞ、というあれだ。
問題は、その白衣の天使の姿に見覚えがあることだろう。
不敵に嗤うその女は、管理者を名乗る-。
女は悪戯っぽく、己の左目を指さした。
そこで気がついたが、左目に有るはずの傷がない。
−いや、待て。
いつからあの看護師らしいのは『そこ』に居た?
「そこまでだ」
低い男の声。
それが耳に届いた途端に世界が黒く塗りつぶされた。
「あるがままを受け入れよ」
有り難そうなお言葉だが、それに反応するどころではなかった。
どうにもおかしい。
無限に思考が進むような。
無理やり情報を送り込まれているような。
「ふむ、如何に眼があろうと人は人でしかないか。ならば手助けをしてやろう。我が声を受け入れよ」
その声が脳内に木霊すると、目前に机が現れた。
杖の立てかけられた黒塗りの机の上で足を組み、部屋の主がこちらを睥睨していた。
その男の視線は好意的ではないが、敵対的な視線でもない。
感情を読むなら、無関心、だろう。
虫ケラを見るような目、というのはまさにこういう目ではないだろうか。
「余計な事を考えるな。世界が揺らぐ」
ぴしゃりと男はそう言った。
「此処は何物でもあり何者でもない。無であり有。全にして一。ゼロに近い場だ」
理解を求めるような口調では無い。
淡々と事実だけを紡ぐ男の声は、厭になるほど頭に刻まれる。
しかし、幾ら刻まれようが『理解』が出来ない。
「六道総司で間違いないな」
唐突に問われたが、此方の返答を聞くつもりはないようだ。
此方の応えは聞かず、男はいつの間にか手にしているファイルをペラペラと捲っていた。
「俺はグレゴリー。お前の・・・ふむ。お前の持つ認識で最も近いものでは主治医とでもなるのかな」
そう言って、グレゴリーは初めて此方の顔を見た。
酷く気乗りしない表情だ。
「そうなると、初めに『病院』を描いたのも道理ではあるのか」
そう、苦々しい表情でグレゴリーこと自称主治医は言った。
自称主治医というのも当たり前に引っかかるが。
それよりも、『グレゴリー』という名が引っかかった。
妙に気怠い頭でその名を反芻するが、どうにも思い出せない。
男は、頬が瘦け、無精髭を生やし。
光の無い眼が印象的だった。
顔に見覚えはないが、だが、どうにも聞き覚えがあった。
いや-もしかすればそんなものに意味は無いのかもしれない。
男の言を信じるのならば、恐らく此処は想定するだけで、思うだけで偽りの認識を与えるような空間なのだから。
そう思い至ると、水底に沈んでいた意識が水面にまで浮かんだように感じた。
そんな六道を尻目に、グレゴリーはまたすぐに視線をファイルに落とす。
「…及第点はやれんが、まあ良いだろう」
訝しげに男を見る。
男に視線を向け、問われた事を反芻しようとすると、一瞬、眼が眩んだ。
「激しい…戦乱の中だった」
そう言葉を紡いだのが自分だと分からなかった。
まるで操り人形にでもなったようだ。
しかし、脳裏には確かにその映像が浮かんでいる。
まるで記憶に無いが、知っている映像。
「その中に、居た」
そんなわけは無い、と分かっているが、同時にそこに居たという確信もある。
支離滅裂な思考をしていると、この答えに行き着き、なぜだか妙に納得してしまった。
「どんな戦だ?」
問われ、応える。
火薬の匂いの無い戦だと。
「よろしい」
ファイルを閉じ、グレゴリーが指を鳴らすと、空中に映像が現れた。
映像は机の上にあるクリスタルから発せられているらしい。
相変わらず、いつからそこにクリスタルがあったのかはわからないが-。
「この映像はカッセンロストの映像だ。お前が見たらしい戦場は此処だろう」
そう言うグレゴリーが手元の杖を取り、映像の一部を指す。
するとそこが拡大された。
小高い丘に、戦陣があった。
天幕があり、柵があり。
恐らくは本陣なのだろうと思う。
騎馬を想定したような、過去の遺物のような戦陣。
その本陣の周りでは、紅蓮の焔が地を焼き、豪雷が天を裂いていた。
それらは何かしらの力で張られた防壁で防がれていたが、そこに鉄の塊が撃ち込まれる。
途端に、グレゴリーの表情が険しくなる。
「…砲弾。全く…」
容易く砲弾は防壁を貫き、陣に破滅的な破壊を齎した。
阿鼻叫喚の中、映像は指揮官らしい男にズームしていく。
―何処か、自分に似た男だと思った。
映像の中で指揮官は左腕が吹き飛ぶ中、未だ意識を保って檄を飛ばしている。
もう一度砲弾が舞う。
そこでクリスタルから発せられる映像にノイズが混じり始めた。
「レコードではこの辺りまでか」
グレゴリーの呟き。
それが耳鼻を震わせる前に、猛烈な衝撃と、激痛が体を襲った。
「ふむ、こう言うときは貴様らは何というのだったかな」
突然のことに、椅子ごと倒れる六道を見下ろしながら、グレゴリーはさらさらとファイルに書き込む。
そして、ああ、と言葉を零した。
「そうだった、こう言うときはこれだったか」
意識が途切れそうな激痛が身を覆う。
微かにグレゴリーは笑みを浮かべたようだったが、それよりも何故か。
何故か、未だクリスタルから発せられていた映像に眼が向いてしまう。
クリスタルは、今まさに指揮官が倒れる瞬間を映していた。
何かが、指揮官の失っていない方の手からこぼれ落ちたように見える。
それを自ら一瞥し、そして、指揮官はこちらを見て、不敵に嗤ったように六道には見えた。
あの姿は、まるであの時の己ではないか。
不意に、世界を閉じるようなグレゴリーの声が聞こえた。
自称主治医は良く分からない世界で言う。
では、お大事に、と。
抗えない闇に、六道の意識は飲まれた。
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